第5話 のんびり喋る女

のんびり喋る女

 飲み会は参加したクラスの女子が集まって座っていた。奈緒から他の席に誘われていき、小夜と菫だけになったところで望は話しかけに行った。ほぼ同時に菫が化粧直しに行ったようで小夜は1人になっていた。

「酔った勢いで口説きに来ました」

 最初の一声は軽めに入った。小夜は驚く素振りも見せず、冷静な声で

「眼鏡の度、合ってないんじゃないの」

 望はできる限りの笑顔で

「うわぁ、大人のあしらい方」

 小夜は冷静な調子を崩さず

「だめよ、お酒は20歳から」

「僕は浪人者なので、すでに20歳です

 新しい主君に仕えるため、傘貼りをしながら武術を学んでおりました」

 小夜は少しだけ表情を崩して

「くだらないわね」

 と冷たくあしらった。

「でも笑ってくれたから話した甲斐がありましたよ」

 望は笑顔を崩さなかった。そして手応えを感じていた。

「あなたも物好きね」

「加藤茶さんの”ちょっとだけよ”ですか」

「ばーか」

 望は、小夜が見せた笑顔に安堵の気持ちが溢れた。

「僕は自分より賢い人に罵られると興奮するんです」

「変態はお断りです」

「ははは、早速罵ってくれるとは芽があるかな」

「ばーか」

「ははは、”勧誘お断り”って張り紙貼ってある家ほど、新聞契約してくれるって予備校の英語教師が言ってたな」

「調子狂うわね 私なんかに係わらないで他で楽しんだら」

 アニメの個性的なキャラクターの登場人物のような声とゆっくりとした語調が刺さった。

「あ~小夜ちゃんに魔の手が伸びている〜」

 声の主は佐々木菫。容姿はきれいな人だが、同期には変わり者と評される女性だ。望は涼しい顔で

「お邪魔しています」

 菫は小夜の隣でなく、望の隣に座った。連座の椅子だったので、座る瞬間望の腿に菫のお尻が触れた。望は“ごめん”といって座る位置を奥にずらした。菫は自分の使っていたコップと小皿と箸を自分の前に取り寄せた

「ごめんね、私がいない間にあられもない姿になって」

 望は隣に座ったことと、菫のお尻に触れたことに動揺したが、笑顔を崩さず

「今度は菫さんを口説こうかな」

「え~私面食いなの~」

 望は意外にも食いついて来たことに驚いた

「それは残念ですけど

特別採用とかしたりはしませんかね

トンネル効果みたいな」

 望はさりげなく”トンネル効果”という量子力学の用語を挟んでみた。

「う~ん、さすがは鏑木先輩の心を掴んだ人の言葉は巧みね~」

「何ですか?渉先輩と付き合っているみたいな言い方。僕は小夜さんや菫さんみたいな素敵な女性とのお付き合いしたい所望です。男色の嗜好はないです」

 望は菫に凝視されてはにかんだが、表情に出さぬよう努力した。同時に記憶の片隅に蘇るものがあったが、鮮明な記憶でない

「あの男前の鏑木先輩と普通に話しできるの学校で望君ぐらいだよ」

「”普通”ってなんですか?」

 望は思わず強い口調で答えてしまったことに自省した。

「あれれ、禁止用語だった?ごめんね~悪気はなかったのよ。パンツ見せてあげるから許して」

 菫は顔色一つ変えずに、同じ口調で返答した。

「いいですよ、怒っていませんし」

「声が怖いわよ、ブラジャーの方にする?」

 今度は同じ口調で笑顔だった。

「気を遣って頂かなくて結構です」

 望は、余所余所しく応えた。

「え~、望君エッチなんだから。中身はまだ無理よ」

「だから、そういう話ではなくて」

 望はできる限りの笑顔を作った。

「うっ、うっ、私に魅力がないから見たくないわけ」

 刹那、菫は真顔になった。

「気持ちだけ頂いておきます」

 望はできるだけ動揺を隠して涼しい顔をした

「70点。さすが~すけこましの望君」

 菫は笑顔に遷っていた。望は菫が只者ではないことを痛感した

「では、拝見して今晩お世話になります。そこまで仰るのでしたら」

「10点。最低です」

「でも、0点じゃないんですね」

「それが女心というものよ

あ~あ、かわいいの履いてくればよかった~」

「見せなくていいです。気持ちだけで十分です」

「もう、望君ったら妄想系の嗜好かしら」

「菫さんは異性に対していつもこんな調子なんですか」

「え~論点ずらし~ずるいぞ望君。私はね、望君差別論者なんだよ。相手によって対応が違うのよ~

 望君の好みはこんな感じかな~って」

「はいはい、ご配慮、痛み入ります

 菫様の下着を拝見したら

 1週間おかず無しでご飯食べられます

 でも、次回菫さんとお話できなくなります」

「80点。ちょっと気色悪いけど誠意だけは受け取りました~」

「菫さんの話は楽しいし、僕みたいな奴も気を遣ってくれるからとても嬉しいですよ」

 菫は考え事をするような顔をした

「望君さ~いつも小夜ちゃんを見ているよね」

「ははは、気付かれていたか」

「否定しないんだ」

「奈緒さんにも言われた」

「奈緒ちゃん、気になるんだ」

「奈緒さんは良い人ですね。僕みたいな変わり者にも気さくに話しかけてくれるし…

 もっとも、最初話しかけられたとき宗教の勧誘かと思いましたが」

「質問、聞き違えているよ~。奈緒ちゃんが望君のこと気になるんだ」

「へー意外、菫さんにはそう見えるんだ」

「うわ~それこそ意外

 もしかしてもうおっぱい触る関係とか」

「大分菫さんの会話にも免疫がついてきましたよ

 奈緒さんにはよくからかわれるだけです

 今日の菫さんみたいに」

「奈緒ちゃんのおっぱいは反則よね~」

「拝見したことないので何が反則なのか分かりませんが」

「80点。今、私の胸を見たらひっぱたいてやろうと思った。そういうところは紳士よね」

「男前じゃなくても惚れました?」

「40点。私は面食いなの~

 それより奈緒ちゃんのことよ

 望君は、今何か視線を感じない」

 望は笑顔で菫と小夜の顔を見て、飲み物を口にした。

「振り向かないんだ」

 口にしたのは小夜だった。望は二人に奈緒から飲み会に誘われた際の会話を話した。

「そっか~小夜ちゃんに袖にされる場面を期待しているのか~

私はてっきり奈緒ちゃんのおっぱい触る関係かと思っていたよ~」

 望は笑いながら

「その表現、止めません?」

「奈緒ちゃんのおっぱいは反則よね~」

 望は小夜に話しかけた

「小夜さん、リーマン面ってどういう風に解釈しています」

 望が小夜の持っている本の題目を盗み見したとき捉えた「相補性」は、先に述べた通り量子力学を語る上で外すことのできないニールス・ボーアの言葉である。そのボーアが亡くなる前日に書いていたものが光量子箱とリーマン面の描写だった。リーマン面は複素関数を表現する図形で、ボーアが書いたのは螺旋状のものだったという。

 これは先に亡くなったアインシュタインに量子力学の妥当性をあの世で解説するための準備だったともいう。死期を悟った科学者が残された時間で心残りの清算をしたのだろう。アインシュタインは生涯量子論を認めず、最後の講義では歴史的な理論物理学者が学生に揶揄される有り様だった。

<つづく>

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