第3話 清少納言を名乗る女

 清少納言を名乗る女

 二人に声を掛けたのは容姿端麗の鏑木渉だった。

 渉は有美と付き合っているのは周知の事実で、こんな美男美女の恋人同士は必要以上に注目を浴びていた。この優れた容姿と反比例して人としての評価は芳しくない。職人気質とでも言おうか、二人とも信念に忠実で、物事に対して直言して憚らない嫌いが有る。二人の制空権を侵すと激しい対空砲火に見舞われ再起できないほどの心の損傷を被る。

 人と言われる生き物は悲しい。望は主語を広くすることを極力避けるのだがこれだけは宣言できると思う。

 この場合も、自分だけは心の傷を負わないという根拠に乏しい信念を抱えて、この器量よし、容姿端麗の魅惑に憑かれて近づき撃墜されてしまう。

 望にとって渉はの写真部の先輩である。望は浪人しているので年齢は同じだが、”渉師匠”もしくは”先輩”という礼儀は崩していない。渉は望と馬が合ったようで、何かと面倒を見てくれた。望も特別気を遣うわけでもなかったが、決して渉の制空権を侵すことはなかったが、今回ばかりは制空権に入ってしまったと思った。

 渉は”あいつ”に

「これから3人で折り入った話をするから外してくれ」

 と厳しい口調で告げた。”あいつ”の顔は青ざめ右手を顔まで挙げて「じゃあ、また」と小声でつぶやき去って行った。望は”あいつ”が自分ならばともかく、渉には付入る隙もないのだろうと感じた。

 望が見回すと既に教室には3人だけしかいなかった。

「いつからいたの?」

 有美が最初に口を開いた。

「”小夜さんの思い出に踏み入って欲しくないんです”のところからかな」

 望は状況は有美がいちばん聞かれて欲しくないところを渉に聞かれたことに気付いた。ともあれ、渉にも有美にも恩を感じていたので自分が罪を全てかぶる形で事態を収拾する手段を選択した。

 望にとって有美には小夜の時と違って特別な恋愛感情を持っていなかったので比較的冷静に言葉を選ぶことができた

「すいません。魔が差しました。許してくれとは言いません。学祭が終わったらお二人の前から消えます」

 唯一心残りは望が切望していた有美の高校時代の友人を紹介してもらうことが叶わなくなったことだったが、畑違いの才媛と上手くいく自信もなかったので引き際にはうってつけだったのかも知れない。

 有美の友人は自らを清少納言と語り、清少納言を侮辱した新人教師を精神病院送りにした豪傑と有美から聞いた。誇張があるのは明確だが、有美の友人が務まるということで、望は彼女が、只者でないことは分かっていた。望は事ある毎に紹介して欲しいとお願いしていた。有美に恋愛感情がないという渉への謙譲の意図もあるが、実際のところ恋愛に発展することはないと思うが、深い興味を抱いていて友達になることを切望していたのは明確な事実である。

 望にとって女性に精神病院送りにされることは、ほのかな期待でもあった。有美の友人ならば感情で人を責めるはずがないとも確信していたし、優秀な女性に理詰めで罵られることは望の琴線に触れることだった。

 望は、まだ彼女の写真すら見たことがなかった。もっとも才媛ならば容姿はどうであろうと気にしなかったに違いない。小夜も相対的にはかなり醜女だった。彼女が醜女ならば恋愛の芽もあった。

 沈黙が訪れた。

 誰かが3人のいるこの空間の時を刻まなくてはならなかった。

 望は後ろにいた”あいつ”は渉が来たことに気付かなかったのかと思った。多分二人の話を夢中で盗み聞きしていて渉の存在に気付かなかったのかもしれない、そしてF1の話題になって口を出さずにいられなくなったのだろう。

 望は“あいつ”と自分は本質は似ていると思うが、望にとって無作法の象徴であるセナの話をする奴とは快い会話は期待できないし、する気もない。本質は似ていても嗜好が違うと人は全く別物であるようだ。

 ・・・しかしこんなときに何を考えているのだろうと、望は可笑しくなった。人は窮地に立つとこんなことを考えて自分を誤魔化すのだなと思った。そんな主語の広い考えてをしている自分の心が弱っていると認識した

「小夜に会った」

 切り出したのは渉だった。渉はいつも女性を呼び捨てにしているが、望にとっては渉の口から出た”小夜”の呼び捨てには嫌悪感があった、嫉妬とは違う絶望にも似た何か。あえて何も答えなかった。むしろ、絶句したと言った方が自分の状態を表すのに適切だと思った

「話かけたら、いきなり”なに”と無機質な声で突き放された」

 望は、有美の視線が何かを探るように見えた。渉は続けた

「望のことを聞きたいと言ったら、顔色一つ変えずに”で、なにを”と事務的な答えが返ってきた」

 望はどうしてとは聞かなかった。望にとって小夜は友達という定義からも外れた学生の1人となっていた。渉は続ける

「”随分僕に冷たいんだね、望から聞いている印象と随分違うな。

 そもそも学校じゃ評判の悪い俺だけど、こんな冷たい対応を露骨にされるのは久しぶりだ、余程望に俺の悪口を聞かされていたのだろう。”

と言った」

 ここで有美は嫌味の相槌を打った

「常に女の顔色を伺っているからね、渉は」

 渉は苦笑いをして、そのまま話を続けた

「”富樫君が悪口を言うのは、平等や権利を要求する人もしくは道理の通じない人、あなたもそういう人? ”と聞き返してきた」

「さすがは望の元カノ、的確にみているわね」

 有美は笑って口を挟んだ

「望が惚れるだけはあるな。

 でも付き合っていれば悪口くらいは言うだろうと言ってたら

 ”さっきの定義を外れることはない。

富樫君は何よりも道理を重んじる人で

私は悪口を言われたことはない”

とあっさり言われた」

 さすがに黙っていられず望は口を挟んだ。

「僕のことで、今更小夜さんに迷惑を掛けるのは辛いです。どうしてそんなことをするのですか」

 答えたのは有美だった

「ごめんなさい

 私が渉に頼んだの。小夜さんはどうも私を避けているみたいで、話ができないのよ」

 有美は手を合わせて詫びた。

「”みくり”は有美の高校時代唯一の友達だから泣かせたくないんだってさ」

 渉は有美の言葉を援助した。望は先ほどまでの有美の行動の意図が渉の言葉で察しがついた。

「さっきの望だってそう

 原因が私にあるのに絶対私のせいにしない。きっと小夜さんにはそれ以上に相手を立てて接していたはず。なのになんで二人は別れたのか疑問だった」

 望は恐らく、小夜が別れることを決意した理由が、有美の友人である”みくり”にも起こることを予想して予防処置を打ったのだろうと考えた。

 望は、有美と渉が自分が“みくり”に恋愛感情を抱いていると解釈していることが顕在化した結果だ。確かに今までの言動を振り返ればそう解釈するのは自然な話である。

 渉は続ける

「単刀直入に言うと、どうして望と分かれたか聞かせてほしいと頼んだ」

 望は小夜なら”話すことはない”と冷たくあしらうだろうなと思った。

「で、なんて」

 有美が尋ねた。

「”別の人が好きになって許せなかった。これでいいかしら”って言ってた」

「意外、望も浮気するんだ」

 有美が笑いながら言った。

「まあ、先輩の彼女口説くくらいですからね」

 ぶっきらぼうに望は答えた。

「”も”ってなんだよ」

 渉が口を挟んだ

「いいから続けて」

 有美は話の腰を折られることを嫌ってか強めに言った。

「望が浮気するなんて意外だな、そんな素振りを俺達には見せなかったし。って言ったら、”別の人が好きになったのは私の方”」

 望の心の中で何かが壊れたような気がした。

<つづく>

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