第47話 なれの果て
side吉良聖夜
朝からいつも通り粋先輩と武蔵くんと登校して、昇降口で2人と別れた。一昨日庶務係のみんなに2人と付き合っていることを明かしてから、みんなでいるときは肩の力が抜けるようになった。
粋先輩もレオ先輩たちのことをもっと信用できるようになったみたいで、たまに敬語が混じるようになった。普通の人なら逆なんだろうけど、粋先輩にとっては敬語の方が身体に染み込んでいるからそっちの方が気が楽なんだそうだ。
武蔵くんも特に蛍先輩に対してしていた警戒を少し緩めたようだった。さっき本人に聞いてみたら、ボクを取られそうになっても正面から殴りこめると判断したからだと言われた。何故かわざわざ物騒な言い方をしているけれど、その本心はみんなのことを信頼しているということだと思う。
別棟に入るための窓ガラスに映った自分の顔は緩み切っていて、慌ててキュッと引き締めた。2人のことを考えていたら自然と頬が垂れてきてしまったらしい。ボクたちの関係を知らない人たちにバレてしまわないように気を付けないと。
なんて思っていると、窓越しにボクの後ろに男女合わせて10人くらいの集団が立っていることに気がついた。誰も別棟で見たことはない顔だけど、ここに何か用があるのだろうか。すぐに中に入って、彼らが入りやすいようにドアを抑えた。
全員が中に入ったことを確認してから教室に向かおうと背を向けた。その瞬間、後ろから襟首をグイッと引っ張られてバランスを崩した。
「吉良聖夜だよな? ちょっと来いよ」
低い声が耳元で響いてぞっとした。彼らが誰かは全く分からないけれどあまり良くない状況だということは分かる。湧いてきた唾をゴクリと飲み込むと、素直に黙って頷いた。
襟首を掴まれたままズルズルと引っ張られて、人目につきにくい第1体育館の裏手でようやく投げ捨てるように解放された。その反動で転んでしまって手のひらに血が滲んだ。
「あんた、なんなのよ」
今度は女子生徒たちに詰め寄られる。男子4人と女子6人。ボクより身長が高い人はいなさそうだけど、男子はみんなガタイが良くて逃げられる気がしない。
「何、とは」
「だから、粋の何って聞いてんの」
「粋、先輩?」
ポニーテールのリーダー格らしい女子にボクが聞き返すと、その隣に建っていたツインテールの女子の顔がカッと赤くなった。
「何馴れ馴れしく呼んでんのよっ」
「わっ、いっ!」
言葉と同時に勢いよく押されて、突然のことに対応できなかったボクの身体はまたコンクリートに打ち付けられた。幸いなのか右手をつけたけれど、不幸にも変な方向に曲がったまま手をついてしまった。強い痛みと嫌な熱さに顔を歪めた。
すぐに保健室に行きたい。けれど彼女は仁王立ちのままグッと唇を噛んだ。そこを退いてくれる気はないらしい。
「あんたが粋の近くにいるせいで、私たちは粋に近づくこともできないの。分かる? あんた、邪魔なのよ」
吐き捨てるような彼女の言葉に、他の人たちも頷く。女子の1人はポロポロと泣き出してしまって、隣の男子に慰められていた。申し訳ないけれど、今泣きたいのはボクの方だ。怖いし痛いし、どうしてボクがこんな目に合わなければいけないのか分からない。
とはいえ彼女はもう近づいてこない。心配そうに視線が泳ぐから、きっと勢いが付きすぎてしまっただけだったんだと思う。悪意はなくて、ただ嫉妬に苛まれている。けれど1度突き飛ばしてしまったせいで引くに引けなくなってしまったんだよね。
何度もこういう場面に出くわしているから、メンタルは強くならなくても状況の俯瞰的な把握は得意になってきた。こんなことが上手くなるなんて、ただ悲しいだけだけど。
「確かにボクも粋先輩と一緒にいたいと思ってますけど、粋先輩も一緒にいたいと思ってくれているから一緒にいるだけです」
痛む手首に気を取られながらもなるべく冷静に言い返すと、ツインテールの女子が膝から崩れ落ちてポロポロと泣きながらボクの足を叩いた。本当に軽くだから手首ほどは痛くないけれど、ボクが叩かれる必要はない。
「何、するんですか」
「うるさいっ! あんたなんか、あんたなんか……」
彼女の涙が止まらなくなって、量産系女子がその肩を抱いてボクの傍から彼女を遠ざけてくれた。ホッとして痛くない左手を使って起き上がろうとした瞬間、肩を掴まれて後ろを振り返させられた。座ったままだからお尻が摩擦で熱い。
最初にボクをここに引っ張ってきた男子の怒りと悲しみに満ちた顔が目の前にあった。彼は目から零れ落ちそうな雫を抑え込んで、ボクの肩を掴む手に力を込めた。
「お前さえいなければ!」
その言葉と共に握られた拳。その刹那、小学校のころの記憶がフラッシュバックして呼吸がしづらくなった。そんなボクに構わず彼自身の太ももに苦しみをぶつけるように振り下ろされた拳をぼやける視界の中で眺めていた。
目を塞ぎたくても身体が動かない。やけにゆっくりに見えるそれを見ながら昔与えられた身体と心の痛みを感じる。ぼんやりと感じるそれらとは別に強く現実を教えるようにズキズキと痛む手首や腰。
痛みはどれが現実か認識できる。けれど今目の前で握り拳を握っている人が小学1年生のときのクラスメイトなのか、エナちゃんたちなのか、知らない男子なのか。それが分からない。意志に反して身体が震える。
ゆらゆらと亡霊のように揺れる影、拳が幾つも振り下ろされてくるのが見えた。だけどボクの身体はどうしても動かなくて、ただそれをぼうっと眺めた。
「おい、何やってんだ!」
そのとき聞こえた声にハッと意識が現実を捉えた。目の前にいるのは知らない男子。亡霊みたいな影は見えない。
「離れろ!」
「聖夜くん! しっかりして!」
ぼんやりした視界の中で、誰かが心配そうにボクの顔を覗き込んでいる。向こうではまた違う誰かが怒鳴り声を上げて彼らをボクから遠ざけようとしてくれている。どこかで聞いたことのある声に少しだけホッとする。
けれど今1番傍に感じたくて、その温かい腕で抱きしめて欲しいと願う人とは違う。あの少し高い声と、低く震えるような声が聞きたい。2人に抱きしめて欲しい。
身体の震えが止まらない。泣きたいのに涙が出ない。
「いた!」
「セイ!」
またさらに近づいてきた影。ふわりとハーブティーの香りがする。ぼんやりしていても、月ちゃんと星ちゃんのことが分からないなんてことはない。2人の方に手を伸ばしたいけれど全く身体が動かない。けれど2人は気持ちが通じているかのように力強くボクの手を包み込んでくれた。
「大丈夫だから」
「あの、生徒会長と1年4組の鬼頭武蔵くんを呼んできてもらえませんか?」
星ちゃんの声に少し力が抜けて、口だけは何とか動かせそうだった。
「す、い、せんぱ……む、さし、く」
名前を聞くだけで少し気持ちが落ち着くなんて、不思議だ。何とか絞り出した声を聞き取ってくれた月ちゃんは、その柔らかくて温かい手のひらでボクの頭を優しく撫でてくれる。
「蛍、その人たちお願い。オレが粋と武蔵くん呼んでくるから!」
「いや、俺の方が足早いから俺が行く。お前ら、逃げんなよ?」
焦った様子の昴先輩とドスの効いた蛍先輩の声が聞えたかと思ったら、軽い足音が颯爽と去って行った。
「セイ、会長も武蔵くんも来てくれるからね」
「もうちょっと待っててね」
「あ、り、がと」
何とか言葉を紡いだけれど身体がずっと緊張しているせいで体力が削られる。震えも収まらないし、情けない姿を晒してしまっていることは分かっている。けれどそんなことがどうでもよく感じるくらい粋先輩と武蔵くんを求めている。
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