第48話 手を繋げば

side鬼頭武蔵



 聖夜と付き合うようになってから、朝の時間は教室にいることが増えた。友達はできないけれど、噂話をされることは減ったように思う。


 特にすることもないからネットサーフィンをしていると、珍しく蛍先輩から個人PINEが届いた。意外と話も合うから、もしかしたら友達になれるんじゃないかと思い始めた相手からのPINEは少し緊張する。


 恐る恐るメッセージを開いて、文章を読んだ瞬間に居ても立っても居られなくて教室を飛び出した。


 呼び出された会長の教室に向かう途中で何人かにぶつかりそうになった。ちょっと適当になってしまったかもしれないけれど一応は謝ったと思う。よく覚えていない。



「会長!」


「武蔵くん!」



 ちょうど教室から出てきた会長を呼ぶと、周りの人の視線が一斉に俺の方に向いた。けれど今はそんなことを気にしている余裕はない。



「来たか」


「蛍先輩、聖夜は?」


「第1体育館の裏だ」



 どうして聖夜がいる場所を連絡してくれなかったんだ。聖夜が怪我をしているなら、すぐにでも駆け付けたいのに。それに、怪我をしたのにどうして保健室じゃなくてそんなところにいるんだ。


 聞きたいことが頭の中に溢れるけれど、口より先に足が動いた。今は1秒でも早く聖夜の無事を確かめたい。



「待てっつうの。今の状況だけ説明させろ。粋は足遅いし、早歩きで我慢しろ」


「置いてく」


「聖夜は2人を待ってんだよ」



 蛍先輩の呆れたような声に、少し気持ちが落ち着いた。聖夜が求めているのはいつだって俺と会長の2人だ。どっちかを贔屓したり、除け者にしたりはしない。



「会長、ごめん」


「大丈夫ですよ。焦る気持ちは僕も変わりません。蛍、移動しながら説明して」


「お前、器用だな」



 会長の言葉の使い分けに苦笑した蛍先輩は、早足で歩きだした。俺たちよりもちょっとだけ足が遅い会長の背中を押しながら後を追う。



「俺と昴が見つけたときには10人くらいに囲まれてて、聖夜は過呼吸になってた。聖夜の友達っぽい女子2人がついててくれてるから今は少し落ち着いてると思うけど、身体の震えが治まってない」



 聖夜と付き合うことになってから、昔嫌なことがあってそれを今でも思い出して身体が思うように動かなくなることがあると聞いたことがある。周りのことがよく見えなくなるとも言っていた。その状態から少し持ち直したということは、一緒にいるのは柊と周だろう。



「あと、これは聞いたわけじゃないけど、手首を怪我してると思う。ハンドでもよく怪我するやつがいるからさ。でも、それと似てると思ったくらいだから確かじゃないから」



 蛍先輩は将来スポーツ医学だったか、そういうスポーツ系の怪我を専門にした学問を学びたいと言っていた。知識は今でもかなりあるし、80パーセントくらいは間違いないだろう。


 聖夜が苦しんでいるだけじゃなくて痛がってもいるかもしれないと思うと悔しさが込み上げてくる。俺が一緒にいたら守ってやれたのに。



「なあ、聖夜を囲んでたってやつらは?」


「昴が睨みを効かせていてくれる」


「だいぶ心もとないけど?」


「俺がこっちに来る前に睨んでおいたし、揃って腰抜けたから大丈夫だと思うぞ」



 その場に柊と周がいるなら逃がすことはないだろう。あの2人の聖夜に対する友情は信頼できる。柊が怒りに任せて何かしていないかは心配だけど、何かしそうになったら周が止めるだろう。



「あそこ」



 別棟に繋がる渡り廊下に出ると、蛍先輩は第1体育館の方を指さした。



「武蔵くん」


「ああ」



 会長の目は先に行けと言ってくれていた。会長の背中から手を離して先を急ぐと、柊と周の腕の中でガタガタと震えている聖夜がいた。



「聖夜!」



 柊と周から聖夜を受け取って抱き寄せると、聖夜の震えが少しだけ治まった。



「む、さしく……?」


「ああ。俺だ。もう大丈夫だから」


「すい、せんぱ、は?」


「ここです」



 やっと追いついた会長が俺とは反対から聖夜を抱きしめた。すると次第に聖夜の呼吸が落ち着いて、身体の震えが治まった。



「粋、武蔵。俺らはこいつら突き出してくるから、聖夜頼んだぞ」


「ああ」


「蛍、昴。頼んだ。本当は僕も行った方が良さそうな顔ぶれだけど……」


「大丈夫。こっちは俺たちに任せて、粋は聖夜くんの傍にいてあげて?」


「会長、私たちも先輩方について行きますから。セイのこと、お願いします」



 周は聖夜に心配そうな視線を向けるけど、決意を固めた表情をしていた。ツインテールを振り回しながら一礼すると、聖夜を囲んでいたという人たちを一瞥した。



「セイをこんな目に合わせた人たちですから、ただじゃ済ませませんよ」



 冷ややかな目に、上級生らしい人たちもビクリと肩を跳ねさせた。柊と同じくヤバそうな雰囲気はあるけれど、俺も止める気はない。



「頼む」



 柊は俺に1つ頷くと、蛍先輩たちと一緒に聖夜を囲んでいた人たちを先生のところに連れていった。


 俺たち3人だけがその場に残されると、俺は聖夜をより強く抱きしめた。会長も聖夜を抱きしめる力を強めて、ポロッと涙を一筋零した。



「ごめんなさい。僕のせいで聖夜くんに辛い思いをさせてしまいました」


「粋先輩、僕は大丈夫ですよ。それに、粋先輩は悪くないです」



 聖夜はどっちが倒れたのか分からないくらい会長の頭を優しく撫でる。



「ボクが2人といたいと思ったときに駆けつけてくれて、それだけで辛かったことが落ち着いたんです。粋先輩と武蔵くんが、助けてくれたんです」



 聖夜は心から嬉しいと思っていることが伝わるくらい、穏やかに頬を綻ばせた。聖夜のそういう優しさに俺たちは救われ続けて、もっと守ってやりたいと思うんだろう。今度は、もっと早く駆け付けたい。



「聖夜、手首怪我した?」


「え、あ、うん。どうして分かったの?」


「蛍がそうじゃないかって。保健室行くぞ」


「うん。でも、もうちょっと待って? そうしたら、歩けるか、らっ!?」



 聖夜が言い切る前に、聖夜を姫抱きで持ち上げた。聖夜は軽いから難なく持ち上げられる。



「ちょ、武蔵くん! 重いから!」


「聖夜、今きっと全校中の女子を敵に回したぞ。……ま、他の奴の体重なんざ知らないけど」



 聖夜の表情が暗くなったように感じた。心配なんてしなくても、俺がこんな抱き上げ方をするのは聖夜だけだ。聖夜が俺に対することで嫉妬してくれることが嬉しいなんて思っていること、聖夜が知ったら引くかな。



「会長、聖夜の荷物頼む」


「うん。でも、僕が聖夜くん抱っこしても良いんだよ?」


「それは、また今度な」



 今日は譲ってやらない。



「ほら、早く冷やした方が良いから。急ぐぞ」



 後ろで少しもたついている会長を置いて、さっさと保健室に向かう。聖夜のいつもより早い心音が伝わってきて、心配になって聖夜の様子を見る。そんな場合じゃないのに、右手が俺のシャツを控えめに掴んでいることに気が付いてキュンとした。


 保健室の前まで来て、両手が塞がっていていてドアが開けられないことに気が付いた。内心舌打ちを打つ。



「あら、武蔵? ちょっと」


「美和子! 聖夜が手首怪我したんだよ。あと、多分フラッシュバックとかそういう類のも!」



 ちょうどトイレから出てきた美和子を捕まえて、ニヤニヤしながら何か言いかけたところを遮った。事情を聞いた美和子が真面目な顔で保健室のドアを開けてくれたタイミングで会長も追いついた。



「北条くんも。ま、そりゃそうよね。入って」



 美和子は俺たちの顔を見て微笑むと、俺たちを保健室の中に案内してくれた。そして聖夜くんを椅子に座らせるように言った。



「まず手首。ちょっと調べるわよ。武蔵、吉良くんの入室者記録、分かるところだけで良いから書いておいて」



 いろいろな角度に曲げたりしながら聖夜くんに痛みの様子を聞いた美和子は、ホッとしたように微笑んだ。



「北条くん、冷凍庫から保冷剤取ってきて。吉良くん、手首は捻挫してるわ。とりあえず冷やしておくから、あまり痛みが強くなるようなら病院に行きなさいね。とにかくしばらく安静にしてること。良いわね?」


「はい。ありがとうございます」



 骨折まではいっていないと分かってホッとしたのも束の間、美和子は厳しい顔つきになった。



「それで、もう1つの話の方ね。どうする? 武蔵と北条くんにもいてもらう? 出て行ってもらう?」



 聖夜の心の奥深くに巣食う黒いものについての話。デリケートな話題だろうから、俺たちは聞かない方が良いだろう。会長に目配せして出口の方に足を向ける。



「待って。2人が良かったらで良いから、聞いて欲しい」


「良いのか?」


「うん。いつかは話したいと思っていたから」



 聖夜の意志の強い目に見つめられて、俺と会長は聖夜の近くに戻った。適当に椅子を持ってきて、美和子に案内された机のところに3人で横並びで座った。


 向かいに座った美和子は一瞬驚いたような顔をしたけれど、聖夜が俺たちの手を強く握っているのを見て納得してくれたようだった。変な人だし、身内で恥ずかしさはある。けれど頼りになる先生であることに間違いはなかった。



「最初は、小学校の1年生のとき」



 聖夜は俺たちの手を握りながら、不安そうにゆっくり話し始める。聖夜が苦しくなったら、俺たちが助ける。そう思いを込めて手を握り返すと、聖夜は少しだけ笑ってくれた。


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