第123話 ブルーベル:一緒に結婚しようよ

 イオ君が帰った後、すぐにミシェルの部屋に突撃した。当然、私一人である。


 ずいぶんと出世してしまった幼なじみは、膝をついて手を組み祈っていた。


 来訪に気づけないほど集中しているみたいなので、近くのあるソファに腰掛け様子をうかがう。


「おお、神よ……これも試練なのですね」


 なんか泣いているんだけど……。


 よく見れば眉間にシワが寄っていて小刻みに震えている。狐の耳もペタリと垂れてしまって精神的に追い詰められていると、一目でわかった。祈りを中断させてしまうのは良くないけど、眺めていていい状況ではない。急いで立ち上がると駆け寄って体を抱きしめる。


「どうしたの? なにかあった?」

「……ブルーベル?」


 ゆっくりと目を開いたミシェルは私を見て、大粒の涙をボロボロとこぼしていく。


 子供の頃、偶然にも出会った男性に振られたとき以来の号泣だ。


 可愛い顔が台無しじゃないか。


「あのね……彼氏が消えたの! 私は聖女なのに! 皆を導かなきゃいけないのに何も見えなくなっちゃったっっ!!」


 心の中に彼氏を作り、現実にいる男性を戦ってまで奪い合わないようにする。


 それがポンチャン教の大方針だ。異性をめぐる殺し合いに疲れた女たちが立ち上げたと言われ、心に深い傷を負った人ほど強い信仰を持つ。ミシェルだって例外ではない。過去に何度も男に暴言を吐かれ、心はボロボロだ。今生きているのだって信仰があってこそ。


 だからポンチャン教にのめり込むのも理解はできるし、イオ君を誘拐した話を聞いても「らしいな」としか思わなかったから、まさかこんな事態になっているとは想像つかなかった。敬虔な信徒として深い絶望を感じていそうに見える。


「彼氏がいなくても貴方は立派な聖女じゃない。大丈夫だよ」

「そんなことないっ! 体が、心が男性を求めているの! こんなんじゃ誰も諭せないよ……」


 心のバランスが崩れて思い出しちゃったんだ。


 女の醜い本能を。


「どうしてもダメなの?」

「うん。何度目を閉じても何も見えてこないどころか、イオディプス様の顔ばかりが浮かんできちゃうっ! どうしてなの!?」


 近くにイオ君という極上の男性がいるから、耐えようと思っても無理なんだよね。それよくわかる。婚約の話が進んでいた私ですら、彼を見た瞬間に一目ぼれして婚約破棄を決めちゃったもん。


 あんな可愛い男の子を見たら、他の男性に価値を感じなくなるよね。


「イオ君に惚れて心の中の彼氏が消えたんじゃないの?」

「え…………っ?」


 ぽかんとした顔をして口が半開きになっている。


 こんな単純な結論すら思い浮かばないほど、ミシェルは追い詰められていたみたい。


「さっきイオ君に会ったんだけど、彼は素敵だね。一目惚れしちゃったよ」

「どどどどういうこと!? 何で会えたの? じゃなくて! 惚れたってどういうことっ! 許さないんだからっ!」


 立ち上がって顔を真っ赤にしながら、震える手で私を指さしてきた。


 尻尾の毛は逆立っていて本気で怒っているとわかる。


「私も一応はポンチャン教の信者なんだし、イオ君がいいと言えば結婚する権利はあるよね?」

「けけけけけっこん!? 私が認めませんっ!」


 さっきまでこの世の終わりだと言わんばかりの泣き方をしていたのに、たった一人の男性を話題に出しただけで元気になってくれた。


「だったらミシェルも結婚する?」

「…………え、私?」

「そうだよ。一緒に結婚しようよ」


 きっと今の私は悪い笑みを浮かべている。イオ君は押しに弱いタイプだから、泣き落としでもすれば断れない。周りにいる女はイザベル王女が諫めてくれるだろうし、勝算は充分にあるんだよね。


 戸惑っているミシェルにゆっくりと近づくと、後ろに下がってしまった。けど、歩みは止めない。壁際まで追い詰めると顔を耳に近づける。


「何に怯えているのかな?」

「怯えてなんていません! 男性を手に入れようとする卑しい心を持つ貴方に説教を――むにゅっ」


 片手で両方の頬をつまんでしゃべれないようにした。唇が鳥のくちばしのようになっていて愛らしい。このままキスしちゃいたいのを我慢して、耳たぶを甘噛みする。私、女もいけるんだよね。


「にゃにを……」

「ねぇ。聖女、辞めちゃおうよ。一緒にイオ君と生活しない?」

「!?」


 ようやく本題に入れた。私の狙いはミシェルを聖女の座から引きずり下ろすこと。そうすればイオ君をボレル島に留める理由がなくなるからね。


 他の信者たちが反乱を起こすかもしれないけど、聖女さえいなければやりようはある。ポンチャン教とはいえ一枚岩じゃないのだ。


「ちょうど心の彼氏がいなくなったし、タイミングは悪くないでしょ?」


 頬をつまんでいた手を離すけどミシェルは黙ったまま。一点を見つめて動かない。


 考え事をしているみたいなので少しだけ時間をあげようかな。


 もう一度、ソファに座って足を組む。


「私が聖女を辞めてイオ君と結婚しようとしても、ナイテア王国は許さないよ。返せと言ってくる」

「ふふふ」

「何を笑っているの! こっちは真剣なんだよ!」


 聖女を辞める。そのことを前提とした未来を描いているんだから、笑うなって言う方が無理な話でしょ。


 ポンチャン教や聖女にすがって男性を我慢しなくていい。私たちは望めば手に入るんだよと、ようやく気づいた幼なじみが愛おしくて仕方がない。


「この私が手を打っているから大丈夫だよ。イオ君さえナイテア王国に戻れば、私たちは結婚するチャンスが生まれる。そうなってるんだよ」

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