第8話: 確かに、話したのだ
──意外に思ったが、六つ目の別荘は、これまでと違って整然としていた。
あれほど所狭しに置かれていた少女像等のアート作品は一切無く、むしろ、生活感が何処となく残されている家……といった感じであった。
それは、単純に食べ物とかが残されているという話ではない。
玄関の床にこびり付いた足跡や、立てかけられている箒、半端に戻されたテーブルの椅子。無理やり書物が押し込まれた本棚とは裏腹に、乱雑に物が詰め込まれているロッカールーム。
ダンボールのまま放置されている物もあれば、雑に取り出されてそのまま放置されたせいで埃被っているタオル、カラカラに乾いた消臭ボトルもあった。
他には、家電だ。洗濯機や、扇風機、テレビや、電気ポッドも埃被ったまま放置されている。
まあ、これ自体はこれまで見てきた別荘にもあったのだろうが、改めてそれらを確認した袴田は、初めてこの家はちゃんと使用されていたのだということを実感した。
他には、冷蔵庫などは当然空っぽ(おそらく、食料品等は全て処分されている)で、直近まで誰かが居た形跡無し。それは、玄関を見た時点で察せられた。
そこから移動して見やれば、ブレーカーは全て落とされている。
スイッチを入れれば、とりあえず電気は点いた。ここも、他の家と同じく電気は通っているようで……水は、確認する必要はない。
長居をするつもりはない。以前なら少しばかりそういう気持ちも湧いていただろうが、今はとにかく前へと進みたかった。
(ふむ……今回は、場所だけしか教えてもらってないから……一通り見て回ってから、気になるところだけを調べるか)
なので、今回は特定の部屋だけ調べるようなことはせず、順々に家の中を回っていき……何も無ければ、一旦は引き返すのも視野に入れていた。
……。
……。
…………そんな、袴田の計画も。
「──こ、これは!?」
最後となった未確認の部屋……一番奥まった場所にある、その扉を開けた瞬間──鼻を突く強烈な異臭に、袴田は顔をしかめた。
その部屋は、せいぜい5畳半ぐらいの小さな部屋であった。
床はフローリングで、家具などの私物は一切無い。窓は開けられており、そこから吹き込んだ砂埃などによって黒く汚れていた。
いや、黒いのは何も砂埃だけではない。
よくよく見やれば、窓枠周辺どころか、部屋の至る所に散らばっている虫や……干からびている蠅が、目視で確認出来るぐらいに大量にいた。
本当に、多い。これほど大量の虫の死骸を一度に見るのは始めた。
だが、袴田の視線を釘づけにしたのは、そんなモノではない。
「……白骨、だと?」
そう、袴田の視線を釘づけにしたのは……部屋の中央にて鎮座している、人間の白骨死体であった。
その白骨は、胡坐を掻いたままの姿勢を取っている。足元は黒く変色し……おそらく、腐敗した肉などが染みた結果であり、異臭の原因はそこだろう。
窓が空いているので多少なり臭いも薄れてはいるようだが、残念ながら腐臭……肉が腐敗した際に発生する悪臭は、その程度で無くなるものではない。
大量の分解者(獣を始めとして、蛆や微生物など)で溢れた森の中ですら、近づくだけでハッキリ分かるぐらいに凄まじいのだ。
窓が空いているとはいえ、換気が不十分かつ分解者が限られている場所で遺体が出来ればどうなるか……その結果が、この部屋の惨状であった。
……遺体に慣れているとはいえ、腐敗臭が平気かといえば、そんなわけがない。
(現場の保全……まあ、今さらか)
このまま通報したとて、疑われるのは己だ。
なにせ、周辺に家屋のない、寂れた郊外の一角にポツンと立っている家だ。当然ながら、この日、この辺りで人が集まるような催しもなければ、観光名所があるわけでもない。
どうしてここに居るのか、その理由を説明出来ない時点で、第一発見者であると同時に、第一容疑者として監視されるのは目に見えていた。
ここまで来たのだ……今さら、怖気づくつもりはなかった。
扉を完全に開け放ち……それでも時間が掛かりすぎるので、埃被っていた扇風機を持ってきて……我慢しながら室内に入り、セットしてスイッチオン。
幸いにも、扇風機は壊れていなかったようで、羽にこびり付いた埃ごと臭いを窓の外へと吹き飛ばし始める。まあ、気休めにしかならないだろう。
悪臭の大本が、血が浸みて腐った部分なので、現時点では完全に取りきれることはないが……それでも、何もしないよりははるかにマシであった。
「……骨格の大きさ太さから見て、成人男性……か?」
そうして、少し間を置いた後……改めて室内に入った袴田は、鎮座している白骨と目線を合わせた。
(『I・A』製作者……いや、違う。製作者の遺体は、河川敷にて倒れているのを通行人が見つけたと確か記録で……ん?)
その瞬間──違和感を覚えた袴田は、首を傾げ……ハッと我に返って、改めて白骨を見やる。
専門外なので詳細は分からないが……とりあえず、骨に目立った傷などは見当たらない。
同様に、傍に凶器の類は転がっていない。自殺の線を考えたが、さすがに凶器だけを動物が持って行く……なんてことはないだろう。
「……ん? これは……なにかの模様か?」
とりあえず、室内をくまなく(といっても、何も無いが)見て回った袴田は……ふと、大量の蠅の死骸に隠れている、床の模様に目が留まる。
最初は床の汚れか何かだと思っていたが……やはり、違う。
ひとまず部屋を出て玄関へ……箒を手にして戻って来た袴田は、床の模様を消さないようササッと撫でるように表面を掃いてゆく。
そうして露わになったのは、だ。
それを、どう言い表せば良いのか袴田の語彙では説明出来なかったが、強いて挙げるならば……幾何学模様であった。
(……オカルトか何かか?)
もちろん、そういった知識の無い袴田に、その模様の意味は分からなかった。
しかし、模様の中心地……そこに白骨が鎮座しているあたり、何かしらの意味が有るのは明白であった。
……。
……。
…………しばし白骨と模様を見比べていたが、考えたところで埒が明かないと判断した袴田は、扇風機を止めてから外に出る。
その足が、向かう先は……書斎と思わしき、一室であった。
どうしてそこへ向かうのかと言えば、刑事としての経験。
逆に目立ってしまうといった理由が無い限り、見られただけでヤバい私物なんかは手元に置く。
この家の中で、特にプライベートな場所として利用されていた雰囲気が残されているのは、そこだ。
まあ、あくまでも可能性の話なので、無かったら他も調べてみるか……そんな覚悟もしつつ、袴田は書斎へと足を踏み入れる。
そうして、まず調べるのは……設置されている本棚ではなく、置かれている机の引き出し等だ。
幸いにも……いや、そもそも隠す気があるのか分からないが、どの引出しにも鍵は掛かっていない。
中には、これまで見てきた別荘にあった物と同じく、意味不明な数式や英語やら何やらが記された用紙が詰まっていた。
それらを一つ一つ退かして引出しの奥を見やり……ふと、何も入っていないが、何かが入っていたと思われる封筒を見つけた。
(この臭い……まさか、麻薬か? あるいは、もっと別の……)
くん、と封筒の臭いを嗅いだ袴田は、ピクンと目尻をケイレンさせると、それを机に置き……ふと、隠れるように置かれている小さなゴミ箱を見つける。
中には……大量の封筒(全て、使用済みだ)。臭いを嗅げば、全てではないが……大半から、特有の甘ったるい臭いがうっすらと残っていた。
(……どういうことだ? 日数が経っても臭いが残るぐらいの濃度……製作者の遺体から、麻薬成分が検出されたという話は聞かなかったぞ)
そもそも……湧いてくる疑念に、袴田は唸った。
(製作者は首をくくって死んだ。遺体は検死に回され、麻薬はおろか薬物を使用していた疑いがあるって話も……日常的に使用しているなら、身体のどこかに特徴が現れてもおかしくは……ん?)
──そこまで考えた辺りで、また違和感を覚えた。
何と言えば良いのか……何か、そう、何か間違えているというか、言葉には出来ない違和感を袴田は強く覚えた。
だが……それが何なのか、袴田には分からなかった。
何かが違う……そんな感覚はある。己の中にあるナニカが、違うのだと警報を鳴らしている。
けれども、同時に、そんなのは気のせいで、いわゆるデジャヴュというやつでは……という冷静に指摘する己も居る。
「……あ~、モヤモヤするな」
どうにも気持ちの悪い感覚を拭えない袴田は、苛立ちを堪えるようにガシガシと頭を掻いた──と、その時であった。
「──袴田さん。そっちはどうですか?」
がちゃり、と。
書斎の扉を開けて入って来た勿塚に、袴田は……収穫は無しだと言わんばかりに疲れた眼差しを向けた。
「どうやら、一足遅かったようだ。既にもぬけの殻、ホシ(犯人のこと)に繋がる情報はおそらく残っていないだろう」
「そうですか……こっちも同じです。
「そりゃあそうだろう。初めから無いんだから、100年探し続けたって見つかるわけがない」
「え? なんでそんな事が分かるんですか?」
「なんでって、そりゃあ……決まっているだろ」
不思議そうに首を傾げる『勿塚』に、袴田は苦笑した。
「全部、偽物だからだよ」
「偽物、ですか?」
「ああ、偽物だ。俺の前に居るおまえも、ここにある封筒も、本当は存在していないんだ。俺の頭が見せる、偽物の光景だ」
常識的に考えてみろ──そう、袴田は言葉を続ける。
「製作者が使用していたとしたら、何年経っていると思う? 検査キットには反応するかもしれんが、臭いなんて残っているはずがねえだろ」
「……? それじゃあ、なんで臭いがするんですか? それも幻覚ってやつですか?」
「おう、そうだよ。これも、無意識の海がもたらす記憶の残り香みたいなもんだ」
「記憶……なんだか壮大な話ですね」
「な~に、難しく考える必要はない。俺たちは所詮、群体ってことだ。無意識っていうどデカい根っこから伸びた、自らを考える
「はあ、なるほど。それにしても袴田さんって物知りなんですね」
「ははは、俺が物知りだって? そんなわけねえだろ、こんなのは誰でも知っている事だ……ただ、誰もが思い出せないだけだよ」
「思い出せない? どうして?」
「そんなの、思い出し始めるとドンドン自我が無意識に溶け込んでいくからに決まっているだろ。無意識の海ってのは、人間の尺度では測れないぐらいに大きいからな……まあ、それでも無意識の影響から逃れる事は出来ないんだがな」
「はあ、なるほど。はあ、なるほど。はあ、なるほど」
「まあ、そういう事だ。それじゃあ行くぞ」
「行くって、何処へ?」
「ここを離れるんだよ。ここは、あの男が無意識の海へと向かった出発の地……残りカスみたいに、こびり付いているんだ」
「なるほど、ここに居ると影響されてしまう……ってわけですね」
「そういう事だ、長居するのは止めた方がいい。人間だって、これからは逃れられない──
『──そう、考える事が出来るようになった生き物だって、例外じゃない』
──そう、そうなんだよ。だから、こんな場所はとっとと離れた方が……あっ?」
掛けられた声は、聞き覚えのある女の子の声であった。
なので、何気なく振り返った袴田は……その瞬間、己が何をしていたのかを理解出来ず、ポカンと呆けるしか出来なかった。
何故なら、その視線の先には誰も居なかったから……いや、人だけではない。
そこには、何も無かった。
書斎に置かれていた大量の書物どころか、本棚も。机も無ければ、今しがた目にしていた物は何一つ……それこそ、手にしていた封筒すら無かった。
……当然ながら、だ。
視線を動かし……たった今までそこに居たはずの勿塚が……ああ、いや、違う、そんなわけがない。
──勿塚は、既に死んでいる。居るわけが、ないのだ。
では、己が今しがた話していた相手は……何一つ不思議に思うことなく話していた……あの状況は、いったい?
「──っ!」
気付けば……袴田は取る物も取らず、全速力で外へと走り出していた。
60歳を超えた老体での全力疾走は寿命を縮めるほどに辛かったが……それでも、袴田は足を止める事が出来ず。
「ぜえ! ぜえ! はあ! はあ!」
別荘を出て、100mほど走った辺りで……倒れ込むようにその場へ両手を突いて……しばらく、動く事すら出来なかった。
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