第八話 ドクタール
「急にごめんね。どうしても気になって」
お茶を楽しんでいたのに、と私は肩を縮めながら言う。
「いや、こっちこそ。紅茶がいい具合だったから嬉しくて抜けちゃってた」
え? 紅茶が優先?
ああ、そう言えばすごく真剣だっけ。
ミラトは失礼、とカップを置き、一呼吸置いて話し始めた。
「まず、前にも言ったけど、人形やぬいぐるみたちは人に愛され、大切にされると心を持つんだ。全員が全員ではないけどね」
「心……うん」
「そして、心を持った人形は持ち主を好きになる。そして自分が身代わりになって持ち主を守ろうとする」
「守る?」
「愛奈は経験ない? 自分の好きな人形やぬいぐるみと一緒にいると、嫌なことや辛いことが和らいだこと」
ミラトの言葉にハッとする。
小さい頃、悲しいこととかがあったとき、大好きなぬいぐるみにいろんなことを話した。するとその後、気持ちがスッして落ち着いた事があることは一度や二度じゃない。
「言いたいことを言ってスッキリしたからって思っていたけど……」
「それもあるだろうね。でも、愛奈を好きな人形たちが愛奈の負の感情の一部を受け取ってくれたからかもしれないんだ」
「感情を……」
まさか、とは思えなかった。
「ある程度なら、持ち主から更に愛情を受け取ることで浄化できる。でも、あまりにそれが多いと人形に限界がくる。最後には人形の方が心を病み、クランという存在になってしまうんだ」
人の代わりに病んじゃうなんて、と私は息を呑む。
「日本でも元々人形は人の身代わり、という話があるよね。どこの国でも似たようなものなんじゃないかな」
「そんな事も知ってるんだ」
「誰かからの、ただの受売りだよ」
ミラトが自嘲するように口角を上げた。
「それで、人形がクランになると持ち主を助けるどころか不幸を呼んでしまうこともある。人形自身だってもちろん苦しむ。それでもまだクランは持ち主を助けようとする。いわゆる負のスパイラルだ」
「そんな! 具合が悪くなってもまだ頑張るなんて……!」
ミラトはティーカップを見つめながら寂しそうな目をする。
「元々、溢れるような温かい愛情をもらったからこそ心を宿した存在なんだ。だから、自分を犠牲にしても持ち主の役に立ちたいと思ってしまう。クランはいわばそれだけ持ち主が大好きな人形の事なんだよ」
「大好きだから……」
「そんな健気なクランたちを助ける存在。それがドクタールなんだ」
ミラトは顔を上げ、口をキリッと結ぶ。
「どうやって助けるの?」
「助け方は色々だけど……そうだな、まずこの子で」
ミラトは、いつの間にかテーブルの上に置かれていた私のハチドリのマスコットを手にして言った。
あ、夢の中なのにハーちゃんもいるんだ。
「……うん、この子は君に愛されている。とてもなついてるね」
「そ、そう?」
嬉しさと恥ずかしさで顔がまた緩んでしまう。
「だから、ほら」
ミラトがハーちゃんを両手で包み、その上からふっと息を吹きかけた。すると手の中で羽ばたく音が聞こえ、私は思わずビクッとした。
ミラトが手を開くとハーちゃんは青い羽を羽ばたかせて飛び、私の眼の前でホバリングしてチチ、とさえずった。
「ハーちゃんが飛んだ?!」
「へぇ、すごいな」
何故かミラトも驚いている。
「やったのはミラトでしょ?」
「いや、てっきり、声がちゃんと聞こえるようになるだけかと思ったら動き出しちゃったか。この子は本当に君を好きなんだね」
ミラトは素晴らしい、と目を輝かせる。
だけど私はふと気づいた。
「……あれ? まさかハーちゃんもクラン? ハーちゃんも病んでた?!」
私、ハーちゃんに無理させてた?
驚きと不安で変な汗が吹き出し、飛び回るハーちゃんをオロオロと目で追う。
「落ち着いて。ハーちゃんは元気だよ。まず、こうやって対話できるようにするんだ。でないと会話も治療もできない」
「……クランじゃない? 本当に?」
「本当に違うよ」
「良かったぁぁ……」
安心して体が崩れ落ちそうになる。
ハーちゃんが私のせいで悲しんだり苦しんだりなんてしてたら一体どうすればいいのかと思った。
「……あ、でも、ミラトならそのままで話せないの?」
「ぼくだけでいいならね、でも、ぼくだけじゃだめなんだ」
なんで? と首を傾げる。ハーちゃんもマネをする。
「そこで愛菜に相談した手伝いのお願いだ」
「あ、そこ」
「恥ずかしい話だけど、きっとぼくだけじゃクランを探しきれない」
「そうなの?」
意外だ。
ミラトがクランを助ける存在のドクタールだと言うなら、所謂天敵って言ったらおかしいけどクランを即見つけられるような存在なのかと思っていた。
「心の病みは僕たちドール同士でもそうそうは察知は出来ない。まず話して、相手の生活環境を知り、ラポールを築かなくちゃならない」
「らぽ? え?」
「話す相手との信頼関係ってこと。これが基本だからね」
「そ、そうなんだ」
いきなり専門用語っぽいのがが飛び出して面食らってしまう。
「……なんか、心理カウンセリングみたい」
「実際そうだよ」
「そうなの?!」
「人の悩み、苦しみを受けて病んだのがクランだからね」
「なるほど。人とおんなじなんだ」
「だからクランを探し出すのは難しい。それで手助けが欲しいんだよ」
ミラトが私を見つめる。
さっきまではただ見つめられてきゃーって感じだった。
でも、今は少し違う。
──助けたい。
使命のような、じんわりと熱いものがお腹の底からハートを焦がし始めている。
「ミラト、心の病んだ人形やぬいぐるみがどこかに居るんだね」
「うん。それは間違いない」
「分かった。一緒に探そう。私もハーちゃんもミラトの助手だよ」
私が言うとミラトはありがとう、と頷いた。
その笑顔が可愛いくて、やっぱり顔が緩んでしまう。
ミラトの頭にハーちゃんがとまり、チチッ、と鳴く。
まかせて! そう言っているようだった。
うん、確かに前よりもはっきり意識が聞こえてくる。
鳴き声は鳴き声のままだけど、その意味が自然に理解できていた。
「でも、危ないことはしない?」
「大丈夫。愛菜にもハーちゃんにもそんなマネはさせないし、近づかせもしないから」
「そうじゃなくて! ミラトが大丈夫なのって言ってるの!」
微妙に心配するところがズレている。
思わず声を上げるとミラトはきょとんとして、それからああ、と顔を緩めた。
「うん、ありがとう。愛奈、優しいね」
「ふ、普通だよ」
私は思わず視線をそらし、紅茶を一口飲んだ。
「方針は決まった。こんな可愛い助手もできたし、今日はとてもいい日だ。愛奈、あとはゆっくり紅茶を楽しもう」
ふと、窓の外からキョキョ、と綺麗な鳴き声が響く。
振り向くと、庭の木の枝に黒い鳥が止まっていた。
目の周りとクチバシが黄色くて、あきらかにカラスじゃない。
「Blackbird……」
ミラトがつぶやく。
その表情には可愛い鳥を見ているとは思えない硬さが見えた気がした。
「ブラックバード?」
「そう、日本語だとクロウタドリだったかな。ご覧の通り、鳴き声が綺麗な鳥だよ」
「へぇ。あんな鳥もこの庭にはいるんだ」
素敵だな、とぼんやり見ているとクロウタドリが私を見て何かを囀る。
するとハーちゃんがわたしの肩に乗り、とるな、ぼくのだ、と威嚇して鳴いた。
「ハーちゃんったら。ふふ……ふあぁ」
笑おうと思ったらあくびが出た。
「ああ、そろそろかな」
私のあくびを見てミラトがつぶやく。
「何が?」
「お茶会はそろそろお開きってこと」
「えー? もっとお話したいのに」
「ここは夢であり、現実でもある世界。愛菜のような生きているヒトはあまり長くはいられない」
「……よく分からないけど、そうなんだ」
「お話の続きは目が覚めてからね」
「眠っているのに眠くなるって、変なの」
そうだね、とミラトが目を細める。
「また、来られる? この素敵なお庭に」
「それは……ごめん、約束は出来ないな」
「そっか」
「ここはぼく自身も来たいと思って来られる場所じゃないからね」
「ミラトもなの?」
「今日は幸運だった。愛菜、今度は目が覚めてから……おっと」
「ひゃっ?!」
私の指からティーカップがするりと通り抜けて落ち、ミラトが受け止める。
指先が透明になり、砂のように崩れていた。
「ミ、ミラト……」
「怖がらないで。元いた世界に戻るだけ」
「目が見えなく……あ、なんか意識も……」
頭にふわっと靄がかかり、何も考えられなくなる。
「愛奈、また後で」
「う、うん……あ、なんか……」
ああ……だんだ……ふわふわに…………ふにゃ………………。
視界がゆっくりと真っ白に塗りつぶされてゆく。
最後に覚えているのはミラトの笑顔とハーちゃんの羽ばたきだった。
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