第七話 ミラトの故郷
「愛奈、今日は色々驚かせちゃったね」
「ミラト……」
あ、これ夢だ。
私は直感する。
見たこともない、とても古そうな造りの部屋でテーブルを挟んで座っていたから。
夢の中だからか、ミラトは見たことのない豪華な王子様の服を着ている。
普通ならコスプレ?となりそうなのにミラトが着ると自然な普段着に見える。
私は?と思って自分を見ると、なんと私までお姫様みたいなフリフリのドレスを着ていて驚く。
良かった。私だけ普段通り部屋着のジャージだったらどうしようかと思った。
夢の中のはずなのに衣装は詳細までリアルで、レースの編み模様まではっきり分かる。
だけどミラトと違って服に着られている感が強くて、ドレスを着られて嬉しいよりも敗北感を感じるのが悔しい。
壁の棚には使い込まれたカップが並び、猫脚のキャビネットが置いてある。
暖炉の上には優しそうなおばあさんの写真と絵皿が飾られている。
テーブルの上には白磁できれいな装飾のティーカップとポットが置かれている。
これ、多分手描きだ。
そして机の上のポットからは紅茶のとてもいい香りが漂っていた。
うん、ティーパックじゃ絶対に出ない香り。
判断基準がインスタントなのがそこはかとなく悲しいけど。
そして隣の皿にはクッキーのようなお菓子もあった。
「……素敵な部屋だね」
気を取り直し、私は興味津々で部屋を見回す。
窓からさす光がまぶしくてくしゃみが出そうになる。
バラがたくさん咲いている庭が見え、バードバスには小鳥が止まって鳴いていた。
ここが理想郷か……。
あれ? まさか天国じゃないよね?
キョドった私を見てミラトが微笑む。
それだけでとりあえず大丈夫なんだ、と思えてひとまずは落ち着けた。
古い木と漆喰の壁の匂い。壁に飾られているタペストリーや絵皿の柄、棚に置かれた木製のお人形が着ている服のデザインまで、見れば見るほどはっきりとわかる。
こんな素敵なの、私の記憶にはない。
これ、本当に夢なの?
「夢だけど、夢じゃない」
ミラトが心を読んだみたいに静かにつぶやいた。
「ここは、ぼくの故郷なんだ」
窓の外から鳥の鳴き声が聞こえた。
「故郷って、ミラトが生まれたところって意味だよね。ということは、ミラトを作ってくれたサンドラさんの家って事?」
「そう。ここは彼女の生家を模した空間なんだ」
「模した……」
「サンドラはこの家で生まれて、そして……亡くなった」
優しく、そして寂しく微笑み、ミラトが紅茶を一口飲む。
仕草の一つ一つが静かで優雅でつい見とれてしまう。
「サンドラが生きていた頃はたくさんの友達がいたよ。仲がいいヤツも、最後までケンカばっかりしていたヤツもいたな」
「お人形も色々なんだ……。あ、つまりその頃はミラトみたいに動けるお人形がたくさんいたの?」
「サンドラの作品はみんなそうだった。彼女の愛情は全員に注がれ、全員が幸せだった」
ミラトが懐かしそうに、どこか寂しげに微笑んだ。
「……そっか」
そうなんだ、と思ったけどそれ以上にミラトが『ヤツ』って言葉を使ったのにちょっとびっくりした。
ミラトは喋り方は元気だけど言葉遣いは丁寧だから、きっと昔のミラとは今よりずっと少年っぽかったんだろうな。
お人形だから成長とかは無いはず。でも、心は成長している……って感じなのかな?
私はミラトがますます人と変わらないんだ、と嬉しくなっていた。
「あの、じゃあ、ミラトは私のところで初めて人になれたってわけじゃないんだ」
「その答えは難しいな。さっきも言ったけどここは夢であって夢じゃない場所。ぼくを含めた他のサンドラドールたちが集う場所で……ああ、サンドラドールって言うのは、サンドラが作ったドールの総称なんだ」
「それってブランド名みたいな?」
「そうだね。ぼくを含めたサンドラドールたちはここで創造主であるサンドラと交流し、いろんなことを教わった」
「サンドラさんもここに居たの?」
「魂が体を離れた後にね」
魂。その言葉にどきっとなった。
「サンドラは何も知らなかった僕たちに作法、言葉遣い。それに歴史や文化、彼女自身のこと。いろんなことを教えてくれた。彼女と手を取り合って話せたのはほんの少しの間だったけど、サンドラと僕たちは幸せだった」
懐かしい、とミラトが目を細める。
その表情は初めて見るもので、懐かしさ、寂しさ、望郷、いろんな感情がにじみ出ていた。
「……ここは学校みたいなところでもあったのかな」
「学校か。うん、そうだね。みんなで話し合い、学びあった」
ミラトが頷いた。
そうか、ミラトはやっぱり人とおんなじだ。
最初からなんでも知っている訳じゃない。
サンドラさんがミラトにいろんなことを教えてくれたから、こうして今のミラトが居るんだ。
ミラトを作ってくれて、そしてこんな素敵なヒト(?)に教育してくれたたサンドラさん。
「……会ってみたかったな」
「うん、会わせたかった」
ミラトも頷いてくれた。
「おっと、お客様を放っておくところだった。この紅茶の淹れ方もサンドラに叩き込まれたからね。蒸らし過ぎは厳禁だ」
ミラトが慌てて、でも急がず丁寧にポットから紅茶を注ぐ。
「どうぞ。お嬢様」
「……ありがとう」
嬉しいのと恥ずかしいのと、私には似合わない、と言う庶民的反応で背中がぞわぞわする。
なんとか堪えてカップを持ち、努めて冷静に……。
どうやればいいの?
「あの、ミラト、私、マナーは全然……」
「大事なのは相手を思いやること。気にしないで。これもどうぞ。サンドラが作ったダックワーズ、美味しいんだ」
ミラトが皿の上に載せられたお菓子を勧めてくれた。
「うん、じゃあ」
ダックワーズなんておしゃれだなぁ、と思いながら手に取る。
相手を思いやる……。
まずはミラトとこれを作ったサンドラさんに感謝を込めながら……。
と思ったけど。
「……あの」
「ん?」
「無粋でごめんなんだけどこのお菓子、大丈夫なの? サンドラさんが作ったって、いったいいつの話?」
「確か、50年くらい前かな」
「ごっ?!」
思わずお菓子を落としそうになる。
ここがいくら現実じゃない世界だって言われてもそれはどうなの?
私の様子を見たミラトはああ、と頭をかく。
「そうだ、ごめん、いい忘れていたよ」
「……何を?」
「ここでは時間の経過は気にしなくていい」
「どういうこと?」
「簡単に言えば、ここに存在するあらゆるものは、何か手を加えない限り歳を取らない」
「ええと……?」
「例えば紅茶を入れたお湯だけど、これは向こうのコンロで何十年も前からずっと沸きっぱなしだった。ぼくがコンロから下ろしたから沸騰をやめた」
「何十年も沸きっぱなし?」
「そう、ボクはここにあるものがいつ動いたのかも分かる」
「う、うん」
「このお菓子も、焼いて箱に入れた直後のままだ。……うん、それ以来誰も触ってないから作って半日のままだね」
「……そ、そうなんだ」
お行儀悪いけどダックワーズを鼻に近づける。アーモンドが香ばしい。そして挟んであるガナッシュは今にも零れそうなほどみずみずしい。
「本当に、さっき作ったみたい……」
「だから安心して」
ミラトはそう言って紅茶を飲んだ。
私は……。
「いただきます」
サクッとした食感は目が覚めるようだった。舌の上でとろけるガナッシュはなめらかで濃厚。
そして香りを堪能して、紅茶もいただく。
「どうかな?」
「……最高」
自分の顔が緩むのが分かった。
こんなダックワーズ食べたことない。
紅茶も、砂糖も入れていないのに香りだけで甘みを感じるなんて。
「フランスはフレーバーティーが主流だからね」
ミラトは少し自慢気に言った。
紅茶の香りで頭がクリアになり、ふと私は思い出す。
「ミラト、聞いてもいい?」
「何?」
「ドクタールって……何?」
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