第六話 キミの持ち主は私

「疲れた……」


 日は暮れかけていた。

 家に帰るまでの間、私はほとんど何も覚えていない。

 とにかく頭の中がミラトのことでいっぱいだった。


 あれは妄想なんかじゃなかった。


 やっぱりミラトは動けるんだ。

 しかも人の姿になるなんて一体どうなってるの?


 とにかくもう一度ミラトに合って色々聞かなくちゃ!


「ただい……まうわっ?!」


 居間のドアを開けた私は、そこでまたおかしな声を出してしまった。


「みっ、ミラトぉ?!」


 そこに居たのはさっき会ったままの姿のミラト。

 しかも当たり前のようにテーブルを挟んで談笑している。


「あらおかえり、遅かったわね」

「……ただいま」


 ミラトが私を見て微笑む。

 私は頭をクラクラさせながら倒れ込むようにミラトのとなりに座った。


「大丈夫?」


 ミラトが心配そうに私の顔をのぞき込む。


「……」

「愛菜?」



「大丈夫じゃない!!」



「わっ」


 ミラトがびくっとして目を丸くする。


「ミラトってばいきなり現れていきなり帰るんだもん! あの後詩結にどれだけからかわれたか分かる? 分からないよね!」

「それについてはごめん。ぼくがいると君が困るみたいだから先に帰ったんだ」

「いや、色々面倒になるとか思ったんでしょ」


「……そんなことは」


 ミラトの視線が泳いだ。

 この人(?)案外いい性格かも。


「とにかく勝手に帰っちゃってごめん。でも君に逢いたかったのも、心配していたのも本当なんだ」


 そう言い、ミラトが私の手をとる。

 あまりにも悲しそうな顔をするのでさっきまでの不満は木っ端のように吹き飛び、キュンとなってしまった。


 こういうのはズルいってば!


「あ、あやまらなくていいよ。っていうかまず、どうしてミラトがここにいるの? それにお母さんもなんで当たり前にしてるの? ミラトだよ? ビスクドールだよ?」

「もちろん最初はびっくりしたわよ? チャイムが鳴って、誰かと思ったらミラトですって言うんだもん。しかもお父さんの靴を勝手に履いていってすみませんって言われて、最初は取り乱しちゃった」


 お母さんはクッキーをサクサクと食べながら言った。

 とても取り乱していたようには見えない。


「あ、そうか。靴……」


 そうだ、外に出るなら靴だ。失念……って! いや、今はそこじゃない。

 そこじゃないんだけどなんだか頭が回らない。

 私がうー、とかあーとか唸っていると、ミラトが私の手を優しく取る。

 さっきまで忘れよう忘れようとしていた肌触りが蘇り、一瞬で頭がボン、と熱くなる。


「愛奈」


 静かな、真面目な表情でミラトが私たちを見る。


「まず、ちゃんとお礼を言ってなかったね」

「お、お礼?」

「僕を迎え入れてくれたこと。それから愛情を注いでくれたこと。愛奈に出会えたこと。この奇跡を喜びたい。ありがとう」

「うっ」

「それとカオルにも」

「あら、私も? 嬉しいわ。何か困ったことがあれば遠慮なく言ってね」

「ありがとう、カオル」


 お母さんの言葉にミラトは嬉しそうにうなずく。

 お母さん、馴染みすぎ。


「そういえばあなた、叔母さんの家ではどうしていたの?」

「ミサエのところでですか? メンテナンスしてもらってからはずっと箱の中にいましたね、多分」


 あっさりと、でも少し寂しげにミラトが眉を下げた。


「箱の中? 普通飾らない?」


 私はびっくりして聞く。

 ミラトのような美麗なお人形をしまいっぱなしなんて信じられない。


「ああ、叔母さんはコレクターだけど飾るよりもとにかく収集が好きな人だから」

「収集専門かぁ」


 それはちょっとお人形が可愛そうじゃないかな、と首を傾げるとお母さんはそうとも限らない、と言った。


「叔母さんは『保存管理』はしっかりした人よ。ミラトは大きい方だし、展示するには大変だったんじゃない?」

「かも知れませんね。確かに、気温や湿度は快適だったと思います」

「なるほど、それにしてもこうして聞いてみると、お話できるようになる前も意識はあるのねぇ」

「そうみたいです。愛情はもらえなかったけど、大事にはされました。ぼくのような素質がある人形は内心意識は秘めているようですね」


 お母さんとミラトが色々と話している。なんだか私だけ蚊帳の外な感じ。


「そうだ。愛奈」


「んー?」


 ぼけっとお茶を飲みながら話を聞いていると突然ミラトが話しかけてきた。

 さっきまでドキドキしていたのに、日常的な会話になると案外慣れてしまうらしい。


「ぼくにはやりたいことがあるんだ。今日外に出たのはその第一歩でもある」

「やりたいこと? ええと、この前言っていた事かな?」


 そう言えばミラトは元々外に出たいって言っていた。その理由はまだ知らない。


「そう、そしてそれは君と一緒にやりたいんだ」

「私と? 」

「うん。この前はなんとなくだった。だけど一度眠って目覚めたら意識がハッキリした」


 ミラトが私を見つめている。


「ぼくはね、ドクタールって呼ばれる人形なんだ」

「ドクタール?」

「そう。ボクのような……ふぁあ……」


 突然ミラトがおおあくび。


 あれ? このパターンって……。


 どうしたの? と聞こうとしたら、ミラトは急に頭を揺らしてそのまま私にもたれかかってきた。


「わっ?!」


 そのままミラトの頭がずるっと床に落ちそうだった。

 驚いた私はミラトの肩に手をかけ、抱き寄せるような格好になる。

 するとミラトの体から突然白い霧のようなものが出てきて、あっという間に体を包みこんでしまった。


「み、ミラ……うわっ!」


 それは霧だけど、まるで繭のように濃密にミラトを包み込む。

 手の先数センチが何も見えない。


 そして急に腕に感じていた重さが、まさに霧のように消失する。

 私は、ビクリと体をこわばらせた。

 やがて霧が薄っすらと消え始める。

 霧がミラトにまとわれていたのは、時間にすると十秒も無かっただろう。


 霧が消えた時、私の腕の中にいたのは、ビスクドールのミラトだった。


「も、戻った?!」

「あらあら、ほんとのほんとうにビスクドールだったのね」

「え? 信じてなかったの?」


 お母さんはいやいや、と手を振る。


「信じてたわよ。でも、やっぱり目の前で見ないとね」

「……まぁ、それはね」

「きっと疲れたのね。部屋に持って帰ったら?」

「そうする」


 見るまでは完全には信じてなかったと言う割には驚きもしないし。

 お母さん、色んな意味で器が大きいよ。


「起きたらよろしくね」

「起きたらね」


 きっと、前みたいに寝てそのまま、なんて事にはならない。


 根拠はないけど自信はあった。

 私はミラトをお姫様抱っこして部屋に戻る。

 そっとクッションに寝かせ、ミラトの前髪を撫でた。

 髪はモヘアっていう繊維で作られている。人の髪よりも細くて柔らかくて、猫をなでているみたいだ。


 私も疲れたけど、ミラトはもっと疲れてたんだね。


「ミラト、ゆっくり休んで、ちゃんと起きて……。それから、私とちゃんとお話しの続きしてね。君の持ち主はお母さんじゃなくて私なんだから」


 正直言うと、ミラトとお母さんが仲良く話しているのを見ていた時、胸がチクチクモヤモヤしていた。

 言うと自分が嫌なヤツみたいで黙っていたけど。


「ミラト、これからは私と一番たくさん話してよね」


 小さな額をちょん、とつつく。


「ふああ……」


 今日は外でも家でも色々ありすぎてホント疲れた。

 私も一眠りしたいんだけど……。


 ──この前みたいに動かなくなったらどうしよう。


 自身があるって言ったばっかりなのにやっぱりちょっと心配。

 だんだん怖くなり、ミラトから目を離せない。

 なのにまぶたは重くなる。

 ミラトのやや半眼っぽい瞳で見られていると、まるで早く眠ってと言われているみたいで……。


「ん……」


 私は耐えきれず、心地よく意識を溶かしていった。



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