第五話 イケメン現る

「お母さん! ちょっと相談!」

「何? まさかもう割っちゃった?」


「壊す前提やめて!」


「冗談よ。何? お父さんは遅くなるみたいだから先に食べましょ」

「あのね、人形の服が欲しいな。どうしたらいい?」

「もう着替えさせるの? そうね、叔母さんが専用の服を扱っているお店知っているから、聞いてみましょ」

「やっぱ近所には無いかぁ。あ、それとね、ものすごーく! いいことがあった!」

「えっ? なになに?」


 お母さんが興味深げに目を輝かせる。


「ふふん。あとで教えてあげる。まずはご飯食べたい。お腹すいたから」

「えー? おあずけぇ?」


 気になる、とむくれるお母さんに私はいたずらな笑みを浮かべる。

 ふむ、今日はサワラの梅煮ね。ご飯が進むメニューで良きかな良きかな。


 そういえばミラトは箸使える?

 そもそも御飯はいらないんだろうか?  

 着替えって自分でできる?

 服って洗濯機で洗っていいの?

 ミラト自身は洗うの? 拭くの?


 ああ、考えが尽きなくてすごく楽しい。 

 こんな気持ちは久しぶりだ。

 と、色々考えていたら、ご飯の味もわからないまま完食。しまった。


「ごちそうさま。じゃ、ちょっとまっててね!」


 シンクに食器を置いて一旦部屋へ戻る。

 さぁ、ミラトのお披露目だ!


「ミラト! おまたせ。お母さんに紹介するから一緒に来て」


 部屋に戻った私はミラトを呼んだ。

 だけど。


「ミラト……?」


 タオルをめくると、そこにはミラトが居る。

 だけどミラトは動かなかった。


 肩をつついても鼻を押しても動かない。

 腕をちょっとだけ持ち上げて離すと、そのまま下に落ちて指先からカチンと音がした。


「わっ!」


 私は思わず息をのむ。

 でも指先の綺麗な爪もどこも欠けてない。

 危なかった、と安堵しながらもう一度ミラトのまつげを静かに撫でる。

 だけど表情は変わらない。

 髪をすいても、ほっぺたをつついてもミラトは静かなまま。


 もしかして、と頭の中で名前を呼んだり叫んだりしてみたけど何も聞こえない。



 ——夢だった?



 ほんの数十分前のあの奇跡は気のせい? 思い込みだった?

 慌ててハーちゃんを見る。

 ハーちゃんも今はなにも語りかけてくれない。

 ハーちゃんはいつもじゃないから、今はたまたまかもしれない。

 でもそれでもやっぱり私の思い込み?


 ハーちゃんも、ミラトも?


 悲しみ、驚き、絶望、いろんな感情がないまぜになった私はよろけるようにして床に座りこんでしまった。


「愛菜ー、来ちゃった」


 そこへお母さんがやってきた。


「なかなか降りてこないんだもん。ねぇ、いいことって何?」


「お……おがあ゛ざぁぁぁん゛……」

「な、何?! やっぱり割っちゃったの? あれ? 大丈夫よね? 愛奈?」

「うえぇえ…………」


 一体何年ぶりだっただろう。

 お母さんにしがみつくなんて。


 その後、ミラトが無事なのを確認してお母さんは私が泣いた理由を聞いてきたけど、私は結局ミラトのことは言わなかった。




「ミラト、行ってくるね。今日は詩結と遊んでくる」


 あれから一週間が経った。

 ミラトは今も動かない。

 でも部屋を出る前にミラトに声をかけるのは忘れない。


 もしもまた動いたらその間に放置されていた、なんて寂しがらせないように。


 ミラトの前にはお人形用品店から取り寄せた緑のズボンと白のTシャツが置いてある。

 もう一度動いてほしいっていう願いをこめて買ったそれは小さけど意外に高くて、お小遣いがピンチになった。

 やっぱりこの先何かあったときのために裁縫勉強しようかな。


 今日は土曜日。

 詩結にミラトの写真を見せる約束をしている。

 次に家に来るときに本物を見せてあげるけど、先に写真を見たいって詩結が言った。


「愛奈、帽子! 日焼け止めもちゃんと塗ってね」


 出かけようとする私にお母さんは帽子をかぶらせる。

 家を出ると空は真っ青。

 暑くもなく、出かけるにはちょうどいい天気だ。


「詩結、おまたせ」


 待ち合わせ場所の公園で詩結を見つける。だけど私が声をかけるまで詩結はボーッと空を見つめていた。


「あれ? 来てたの? いつの間に」

「いや、普通に来たんだけど……。なんかぼんやりしてた?」

「ううん。早く行こ」


 詩結はそう言うとさっさと一人で歩き出した。


「あ、待って」


 詩結を追って私も歩き出す。追いついて横顔を見ると、いつもの詩結に見えた。


「今日はアクセ見たいんだ」

「それじゃ駅ビルに行く?」

「そこもいいけど商店街かな」


 そう言うとまた先に歩き出した。いつもはどこへ行こうか相談してくれるのに今日はぐいぐい来る。

 て言うかミラトの写真は見ないの? やっぱり何かあった? そう言おうとしたその時。


「何か困りごと?」


 声のした方から風がふわりとそよいだ気がする。


 ハッとして前を見る。

 そこには緑の瞳の背が高い、さわやかイケメン青年が立っていて、眩しく微笑んでいた。



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