第四話 ミラトの願い

「いや、それはちが……えっ? 愛菜?」


 ミラトが戸惑っている。

 気がつけば私の眼からはほろほろと涙がこぼれていた。


「まって! 違うから。泣かないで、愛奈!」

「じゃあ、出ていかない?」

「いかない。君を悲しませるつもりはないよ」


 まっすぐに私を見つめてミラとは言い切った。


「ほんとう……?」


 それでも不安で心配で、ぐい、とミラトに顔を近づける。

 ミラトの緑の瞳には私が映っていた。

 ミラトは顔をそらさず、正面から見つめ返してくれる。


 ……そういえば、誰かとこんなに見つめ合ったことって今まであった?

 

 自分でやっておいてなんだけど、私は自分の顔が熱くなるのが分かった。


「大丈夫? 落ち着いた?」


 ミラトが小さな手をそっと頬に触れてくれた。


「ちょっと熱いかな?」


 いや、それはあなたのせい……じゃなくて私のせいか。

 ああ、さっきも感じたけどミラトの肌って本当に不思議で心地よい感触。


「……うん、もう大丈夫だよ。あの、どこかに行くって、どういうこと?」


 もったいない気もするけどミラトの指から頬を離し、こぼれていた涙を拭う。

 良かった、とミラトが微笑んで続けた。


「まず僕について。僕は君のお陰で動けるようになった」

「私?」

「そう、僕に限らないけど、人形やぬいぐるみとかの中には、人間から愛情を注がれることで心を持つものもいるんだ」

「愛情? それで心が……。え? じゃあミラトが動いているのは……」

「そう、愛奈の愛情のおかげだよ。すごかったな。箱の中からでも僕に注がれる愛情が分かったくらいだからね」


「まって! やめて! 恥ずかしい!」


 確かにミラトが来るまでが待ち遠しくて会うことに恋い焦がれた。

 一日千秋の思いだった。

 箱を見たときは感極まって実はちょっと涙ぐんだ。

 ミラトを実際に見て綺麗、そして愛おしいと思った。

 もうおとなになっても、いや一生、いやお墓まで持っていくと心に決めた。


 あれ? もしかしてそういう感情、ミラトにはダダ漏れ状態なわけ?


「うわぁ……」


 やばい。これは恥ずかしい。

 だけどそれが伝わって、嫌がられていなかったと思うと嬉しくて顔がニヤける。

 ああ、こんなところ、それこそ詩結や絢香に見られたら何を言われるか。


「それでね、心を持った人形は、本来はとても幸せな存在なんだ」

「それはそうだよね。愛されて心を持ったんだから」


 ミラトはうなずき、そして少し顔を伏せた。


「だけど……心は、愛情は、必ずしも永遠じゃない」


 さっきまでのミラトの声とはぜんぜん違う、悲しみのにじむ声。

 落差に一瞬身がすくむ。


「いろんな理由で愛が離れ、心が傷ついてしまったものもいる。ぼくは、そんな人形やぬいぐるみたちを助けたい。だから外に出たいんだ」

「助ける?」

「そう。でも外に出る時にこの格好はちょっと目立つと思うんだよね」


 ミラトが両腕を広げ、おどけた感じで言った。


「舞踏会にはいいけど、普段着じゃないよね?」

「う、うん。確かに」


 今着ている服って、宮殿にでも住んでいそうな服だもの。


「それにしても、そうか、はあぁ……」


 ふと、大きなため息が漏れた。


 ああ、焦った。


 本当に、本当に焦った。


 納得と安心感と脱力がいっぺんに襲ってきた。

 私は椅子に座り込み、大きく深呼吸して気分を落ち着ける。


「……分かった。じゃあ、どんな服がいい? 私、用意するよ」

「ありがとう。やっぱり今どきの衣装がいいかな。愛奈が着ているような」

「私の?」


 一瞬、私のブレザー姿そのままのミラトを想像する。

 って違う違う! 今風の服って意味でしょ!


「なんだか、君は元気だね」


 一人でわたわたしていた私を見てミラトが笑った。


「あの、勝手に騒がしくしてすいません……」


 絢香も、こういうとこをろ見せちゃうから突っかかってくるんだよなぁ……。



 閑話休題。



「今どきの服かぁ……」


 どうしよう。

 子供服でもまだ大きいし……いや、プロポーションが違うから論外だ。

 お人形の服なんて作ったことない。

 お母さんに相談してみようか、と私があれこれ考えていると。


「愛奈ー。夕飯できるよー」


 廊下からお母さんの声が聞こえてきた。


「あ、そうだ、服のこともあわせて、ミラトをお母さんとお父さんに紹介してもいい?」

「もちろん。……ふあ」


 うなずきながらミラトはあくびした。


「眠い?」

「うーん……? これが眠いっていうのかな。まぶたが重くて、ふあ……」

「それ、絶対眠気だよ。疲れた?」

「疲れか。ぼく、疲労とかは無いはずなんだけど……」


 そういえば最初もあくびしていたっけ。

 人形でも寝不足とかあるの?


「でも、目覚めたばっかりだからやっぱり疲れみたいなのがあるのかもしれないよ。紹介は後でいいから、まずは休んでて。あ、着替えなきゃ」


 そう言えば制服のままだ、とボタンに手をかけ、ミラトの視線に気づく。


「ん?」

「……いや、ええと……。あの、眠いなら、こう」


 私はタオルを頭までミラトに被せる。


「え? 愛奈?」

「そのまま! そのままね! めくっちゃダメだからね!」

「……? うん」


 タオルの下でミラトが首を傾げているのが分かる。


「じゃあ、このまま眠らせてもらおうかな」


 ミラとはタオルの下で背を伸ばし、楽な姿勢をとる。

 その姿は最初私が座らせた格好そのままだ。

 動くし喋れるけど、やっぱりミラトはお人形なんだ、と改めて思った。


「うん、お休み、また後でね」


 だけど。


 ……眠っちゃたのかな? 返事はなかった。



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