第三話 はじめまして、そしてさようなら?

「ただいまっ!」

「おかえりー」


 駆け込むようにして家に入るとお母さんが豆大福を咥えながら台所から顔を出した。今日のおやつはそれか。


「なんで息が上がってるの?」

「ちょっとね。それより私のお人形は? ちゃんと届いた?」

「居間だよ」

「やったぁあ!」


 思わず声がうわずってしまい、お母さんが大笑いする。

 居間に行くとテーブルの上に大きくて細長い箱が置かれていた。

 まだ外側のプチプチも取られていない。来た時そのままだ。


「愛奈に最初に開けさせてあげようと思ってね」


 居間に来たお母さんが感謝しなさい、と指を舐めながらドヤるけど、多分開封が面倒だったんだろうな。

 私はお母さんを立ててありがとう、とハサミを構える。


「気をつけて開けてね。さぁ、どんな子なのかな」


 私もドキドキしながらプチプチを切り、まずダンボールとご対面。


 うちのどこの匂いとも違う、かすかに甘い上品な匂いがふわっと湧き上がる。緊張しながらかぶせ蓋を持ち上げる。


 すると。


「うわぁ……!」


 そこにはアンティークで精密な刺繍が縫い付けられた緑のジャケットとズボンを着た、やや伏し目でアルカイックスマイルの超美形なビスクドールが横たわっていた。


「すごい……!」


 色々褒め言葉があるんだろうけど感動で言葉が出ない。一緒に入っていた取扱説明書も一応横目で見ながら私はとりあえず呆けた。


 絢香なら私が知らないようないろんな褒め言葉で飾るんだろう。今度聞……じゃない!

 アレに教えを請う必要はない。


 気を取り直してお人形を眺める。思っていたより背が大きくて、五十センチはありそう。

 サラサラした栗色の短い髪の下で緑色の瞳がキラキラと輝いている。

 まるで西洋絵画に描かれている青年とかのようなイケメンくん。


「で、この子の名前は?」


 お母さんがこれはこれは、とお人形を眺めながら聞いてきた。


「うーん……」


 私は頭から爪先まで舐め回すように見ながら考える。

 長い名前や短い名前、あれこれ候補は考えていた。

 だけどこうして実際に見て一番似合うのは、いや、今この瞬間に脳裏に浮かんだ名前は……。


「決めた!」


 頭の中を流れていた名前の洪水の中からぽん、と名前が飛び出す。


「……ミラト! この子の名前はミラト! ミラトに決めた!」

「へぇ、ミラトかぁ」


 お母さんがいいじゃない、と笑った。


「素敵な名前ね。これから大事にしてよ」

「もちろん! 部屋に持っていっていい?」

「いいわよ。ただし持ったままコケるのは絶対にやめてね」

「やめて。想像もしたくない」

「はいはい。あと、落ち着いたらでいいから叔母さんにお礼の電話なり手紙なりしっかりとね」

「うん! 写真も送る」


 私はタオルでミラトをくるむと氷の上を歩くようにゆっくりと歩いて部屋に持ち帰る。

 階段でつま先が引っかかったときは本気で焦ったけどなんとか踏んばる。

 狭い家なのに部屋までが遠いと思ったのは初めてだ。


「ついた……」


 部屋につくだけでひと仕事した気分だった。

 ミラトを置く場所はもう決めている。

 巻いていたタオルを取り、机の横の低いタンスの上に慎重に座らせた。


「うーん、絵になるなぁ」


 人形用のクッションに優雅に横たわるミラトは本当に王子様。

 私はミラトしばらくうっとりとながめた。

 このままいつまでも見ていたいのに、緊張が溶けたせいか眠気がわいてきた。

 思わず大口をあけてあくびしてしまい、見られた? と焦ってミラトを見ると、当然だけど表情はぜんぜん変わらない。

 その顔は綺麗で優しくてカッコよくて……。

 あ、ダメだ、またあくびが出ちゃう。


「ふわあ」「あぁあ……」


 あくびの声が同時に響いた。


「あー、あくびってやっぱりうつるよね」

「本当だね」


 目をこすり、背伸びして深呼吸したそのとき。


 ──さっきの声、誰?


 背伸びの姿勢のままゆっくりと視線を下げ、ミラトを見る。

 その瞬間、心臓が止まるかと思った。


 ……えっ?!


 たった今まで横になっていたミラトが起き上がり、自分の両手を眺めながらにぎにぎしていたから。


「やぁ」


 ミラトは私の視線に気づき顔を上げる。

 その笑顔は眩しいような爽やかさだった。


「ミラト……?」

「そうだよ」


 ミラトがのぞき込むように私を見つめている。

 びっくりしすぎて私は何も言えない。

 すると柔らかく微笑んだミラトが話し始めた。


「まずは目覚めさせてくれてありがとう」

「わ、私があなたを?」

「そう。君の名前は愛奈だったね」

「う、うん。愛奈、です」


 心臓をドキドキさせながら私はうなずいた。


「愛奈、これからよろしく。そうか、体ってこうやって動かすんだな」

「あ、あの」


 ビスクドールは磁器製。つまりご飯茶碗とかと同じで、ミラトと一緒に入っていた取扱説明書にも硬いけど衝撃に弱いから注意してくださいって書いてあった。

 なのにミラトは見ているこっちが怖くなるくらいの勢いで腕を振り回す。

 さらに両手をグーとパーでバチン、と叩いたから一瞬変な声を出してしまった。


「あの! わ、割れたりしないの?」

「今のぼくはちょっとやそっとじゃ割れないさ。触ってみる?」

「あ、うん。それじゃ……」

 失礼して、とミラトの手を指でつまむとひんやりしていた。


 それなのにとても柔らかく感じる。


「なんだか不思議なさわり心地……」

「納得してくれたかい?」

「う、うん」


 びっくりしすぎて、さっきからうんしか言えてない気がする。


「でも、この服装だとちょっとマズイかな」


 着ている服を見ながらミラトが言った。


「いい服なんだけど出るにはちょっと目立つかな、と思って」

「出る? どこに?」

「どこかはわからない。でもぼくは行かなくちゃいけない」


「それって……ここに居るのが嫌なの?」


 ミラト、出ていっちゃうの?


 会ってまだ五分も経ってないのに?



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