5. 司書は聖母の家に招かれる 前日編
日差しが少しずつ強くなってきて、季節は春から夏へと変わろうとしている。
そんなことを思わせる5月末頃。
私は明日、幸先生のお宅へお邪魔させていただくにあたり、仕事終わりにスイーツ小径で手土産のお菓子を探していた。
(ええと、どなたかのお宅にお邪魔するときは手土産としてお菓子をお持ちするのが作法よね。もうずいぶん久しぶりだわ、こんなこと。
幸先生、どんなものがお好きなのかしら。この前に口に入れられたあのクッキーはミルクティー味だったから、そういう系統のものを持っていけば間違いないわよね。)
ちなみにスイーツ小径とは、空の宮中央駅中央口付近にある飲食店街である。
通りに沿ってレストランやカフェが並んでおり、スイーツのみならずランチやディナーも提供している。
学校に近いから、もしかしたら幸先生がよく買うお菓子があるかもしれない。
あるお店でお菓子を探している。すると。
「図書館の宇津森先生ですよねっ。こんにちはー。」
突然、女の子に話しかけられた。
それはもしや……バナナ……?
「ええ。司書教諭の宇津森よ。貴女は?」
「高等部1ー3の
「まりあ先生? うちの? ということは貴女は幸先生のクラスの生徒なのね?」
「はいっ。」
「で、柚原さんもお菓子買ってるのね。」
「それもですけど最新情報の取材がメインですねー。情報は新鮮さがキモですのでっ。」
「情報? そういえばさっきまりあ先生の好きなお菓子がどうこうって言ってたわよね。」
「はい! まりあ先生はここのフィナンシェが好きらしいですよ! ミルクティーによく合うんだって!」
「そ、そうなの。ありがとう。」
唐突に現れたこの子、そういえば風原さん……幅木さんに頼まれて新入生歓迎会の日に図書準備室で荷物をいっぱい預かった子ね……も言ってたわ。隣のクラスに情報屋みたいな子がいて、バナナで依頼も受けてくれるって。
もしかしてこの子がその情報屋? 高等部の1年生なら風原さんと同じ学年だし、そのバッグから覗いている黄色くて長い何かは間違いなくバナナだし、間違いなさそうね。
さて、柚原さんは……お菓子やケーキが並んだケースの片隅にあるバナナマフィンを見つめている。バナナは加工品でもいいのかしら。
「あの。情報のお礼はそのバナナマフィンでよろしいかしら?」
柚原さんがキラキラしてくる。目を輝かせて、とは言うけれどそれどころではなくなんだかこう全身で喜びを表現しているみたいにキラキラしている。
「良いんですかぁ……?」
「ええ。まりあ先生の好きなお菓子を教えてくれたお礼よ。少し待っててね。」
フィナンシェを小さい一箱とバナナマフィンを一つ購入して、バナナマフィンはその場で柚原さんにあげた。
「はい。ありがとうね。」
バナナマフィンを受け取った柚原さんはニッコリと笑って
「えへへ、ありがと! あっ、ありがとうございます、ですね。またまりあ先生のことでも、いつでもなんでもどうぞー。ではっ。」
柚原さんはバナナマフィンを持ってお店を出て行った。
ふう。自分の買い物も済ませたし、家……職員寮に帰りましょう。
寮へ向かう道中で私はあることに気が付いた。
そういえば……どうして柚原さんは、私がまりあ先生へのお菓子を探していることを知っていたのかしら?
……まあ、情報屋と呼ばれるくらいなのだから、そのようなことは調べているのでしょう。
さて、帰ったら明日の服を考えましょう。
もう半袖でいいわよね。
長袖の羽織りものはまだいるとしても。
寮に戻ってきて、据え付けの小さなクローゼットから薄手のふわふわしたスカートを引っ張り出す。
仕事では動きやすさのためにブラウスかカッターシャツにズボンばかりで、スカートなんていつ以来だろう。
上は半袖のブラウス、羽織る上着は薄手のカーディガン。
上半身は仕事の服とあんまり変わらないけど下はスカートだからいつもより華やかかな。
ネックレスも仕事ではしてないけど明日はオフだしせっかくだから可愛いの着けていこう。
……あら?
こんなにお出かけが楽しみで、前日から張り切って支度している、なんて。
いつ以来、かしら。
誰かのためにお菓子を買う、なんてそんなことも久しぶり。
まりあ先生、喜んでくれるかしら。
あのバナナの……情報屋みたいな子……ああ、柚原さんね、彼女の情報はなんとなくだけど信用できそう。取材とか言ってたし。
まりあ先生……まりあ先生?
そういえば。いつから私は幸先生ではなくまりあ先生と彼女を呼んでいたのかしら。
今日の出来事を思い返していく。……ああ。
あの子ね。柚原さん。あの子が「まりあ先生」と呼んでたから釣られたのだわ。
……でも。今は。「幸先生」よりも「まりあ先生」と呼んでいたい。
なんだかその方が心地いいから。
オフのまりあ先生、どんな感じなのかしら。
そういえば。星花に来る前の時期を含めても、
例のトラウマでそれが加速したのはあるとはいえ、プライベートは誰かと過ごすよりも一人で静かに過ごす方が落ち着くし安らぐ。
そんな私には、プライベートの時間に誰かと会う、ましてやそのために前日からこんなに準備してることそのものが、もう新鮮なことだった。
さっき選んだ服を身体に当てて鏡を見る。
……あら。私。こんなに笑ってたの?
図書室では、利用する生徒達を迎えるため笑顔を心がけている。
ファーストフードやアパレルの店員ばりに笑うまではなくても、図書室で心地よく過ごしてもらうには、司書が親しみやすくないと。
そんな思い(きっとこれは私だけではなく図書館員のほとんどがそうであろうけれど)から図書室では私は明るい笑顔を心がけている。
しかしそれは、半分くらいは意識してのことだ。
今、鏡に映る私は、何の意識もないのに柔らかな笑顔を私に向けている。
……私、明日のこと、まりあ先生のお宅に伺うこと、こんなに楽しみにしてるのね。
決めた明日の服をわかりやすいところに置いて、お風呂上がりは髪を普段よりも丁寧に乾かして、愛用のヘア用アルガンオイルを塗った。
おおむね落ち着いてはいるけれど、心の底はまるで遠足前の子どもみたいに踊っていて、私はその子どものように踊る心を落ち着かせてからでないと眠れなかった。
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【ゲストキャラクター(登場順・敬称略)】
幅木綴理:星月小夜歌 考案キャラ。前々回に引き続いての登場です。
風原美音:藤田大腸様 考案キャラ。
2人の登場作品→君と共に綴る音色(藤田大腸 様 作)
https://ncode.syosetu.com/n1150ig/
柚原七世:芝井流歌 様考案キャラ。
登場作品→七夜の星(エトワール)に願いを込めて(黒鹿月 木綿稀 様 作)
https://ncode.syosetu.com/n6633id/
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