挿話. 霧の向こうのとあるコンサート

霧の向こうのとあるコンサート


 作 宇津森彩雪

 出典 文芸部部誌 立成8年度 前期号


―1―


 私の住む町の中には、少し大きな森とその中に廃寺、その横には大きめの池がある。

 廃寺の横には古いお墓があるけれど、とても古いものらしく誰かが参っている様子は無い。

 この森と廃寺、そして池は、冬になると霧が深くなるため立ち入り禁止とされている。

 しかし立ち入り禁止と言われれば入りたくなるのが人のさがというもので、小学生から高校生、下手すれば大学生までもに、よく肝試しの会場にされる。

 本当にオバケだの幽霊だのが出たという話も枚挙にいとまがない。

 しかし深い霧の中での目撃情報なので、ほぼほぼ何かの見間違いだろうということにされる。柳とか、たまたま居た他の人の影とか、野生動物とか。

 そして、何年かに一度は行方不明になったとか子どもが帰ってこないとかで警察沙汰になる。

 そこまで深い森でもないので行方不明者はたいていすぐに見つかる。

 もっとも、何年かに一度とはいえ警察が本気で捜索していることもあるのに怪しいものは何も出てこないのでやはりオバケなど居ないのだろう。

 私もかつて、友達に肝試しに誘われたことは何度かある。

 ほとんどは霧が濃くて暗くて、そしてみんながあれこれ尾ひれもつけて言うから怖いというだけ……だったけれど。

 中学2年生の2月。

 あの時だけは間違いなく。

 幽霊に会った。



―2―


 中学2年生の2月。

 クラスメイトの一人が肝試しを企画して私も参加することになった。

 少し前に祖父と祖母を相次いで亡くして塞ぎこんでいた私を友達が誘ってくれた。

 少しは気晴らしになってほしいということは私もわかっていて、せっかくだから参加することにした。

 その日は霧が濃くて月も出ていなくて、肝試しにはうってつけの日だった。

 小学生のころから何度もここでの肝試しをさせられたおかげせいでこの辺りの地図はおおよそ頭に入っていて、迷わずに帰ってくることなど簡単なことだった。

 他の友達にもそういう子はいたはず。

 それでも、なんだかんだでクラスのほとんどの子が参加していた。

 もう正直、肝試しとしては怖くない。

 でもまあ、仲の良いクラスではあったし、居て楽しかった。

 だから、もう怖くないとしても、みんな参加したのでしょう。

 今回の肝試しは、明るいうちに幹事の子が廃寺へ置いてきたケミカルライトを回収して戻って来られたらミッション成功・勝ちというシンプルなものだ。

 冬の間は本来立ち入り禁止とはいえ、秋までは普通に出入り自由で明るいうちは霧も出ていない。

 このあたりの子供たちの間では、廃寺への行き方は常識と言っても過言ではないほどだ。

 だから、この肝試しは(池に落ちないかさえ気を付ければ)ほとんど危険はなく、ほどほどに怖さを味わえる。

 だからみんな、いくつになってもここで肝試しをするのだろう。

 今回も、みんなでほどほどに怖がってきゃーきゃーして帰ってくるだけ、それだけのはずだった。



―3―


 午後6時。森の入り口近くに集まって、肝試しが始まった。

 友達と一緒に、暗くて霧が出ているとはいえ、慣れた道をライトで照らしながら進んでいく。

 こんな雰囲気なら、オバケが本当に出てきても不思議ではないし、不意に何か物音がすると結構びっくりする。

 まあほとんどは他の友達や野生動物、風の音などなので分かってしまえば全然怖くないけれど。

 順調、順調。半分くらいまで進んできたかな。

 そんな折に、どこからか笛のような音が聞こえてくる。……笛? 笛を誰かが持ち込んでるの? わざわざ?

 この笛はいったいどこから聞こえているの?

 ……あれ? 笛に気を取られてしまっていたのか、コースから外れてる!? え、まずい!

 友達ともはぐれちゃったし、霧も濃くなってる! どうしよう!?

 いくらみんな遊び場にしてて慣れた森とはいえ、夜の森に女の子1人は流石に怖い!

 とりあえず。こういう時は落ち着いて……いやこれ大体のみんなはコース通り歩いていくだろうから見つけてくれないだろうし、ここで止まってても時間が過ぎて遅くなってく一方だし。

 とりあえず動こう。

 大きいとはいえそこまで深い森でもないし、多少回り道でもゴールの廃寺にたどり着くか、森の外に出られればなんとかなるはずだ。

 濃い霧が立ち込める中を、ライトで照らしながら進んでいく。

 友達の声やライトの光を見つけられれば状況は格段に良くなるし、ともかく今は希望を持って動け!

 自分以外の光を見つけたらそちらに向かって進んでいく。……まるで街灯に吸い寄せられる虫のようだけれど、現状それが最善策としか思えないからそうするしかない。

 ……ん? 向こうの方で何か光ってる。行ってみよう!

 ライトで照らしながら光の方へ向かっていく。

 光に近づいていくにつれて、笛の音も大きくなっていく。

 ということは、笛の音の主にも近づいているのだろう。

 わざわざこんな霧深い森の中で笛を吹いているなんてどんな人だろうと思いながら進んでいく。

 すると、霧が薄くなっていく。もしかして森の外に出た?

 ……というわけではなく。

 霧が薄くなって見えたそれは、たくさんの青白い光を放ちながら燃える火の玉と、それに照らされてぼんやりと輝く池の水面、そして白い十二単を纏って横笛を奏でながら池の水面に立つ、美しい女だった。



―4―


 私は固まってしまった。

 目の前の光景が信じられないことに加えて、池の水面に立つ白い十二単の女があまりにも美しかったから。

 白い十二単の女は、私には目もくれずに横笛を奏でている。

 その音色は、目の前で奏でられているはずなのに、こだまのように響いている。

 まるで清らかな水のように澄んだ笛の音色と、雪のように白い肌の女の美しさに、私はすっかり夢中になってしまっていた。

 気が付けばその場に座り込んでいて、笛の音色に聞き入りながら白い十二単の女に見とれていた。

 いつしか私の周りには、私と同じように笛の音に聞きほれ女の美しさに目を奪われた人がたくさんやってきていた。

 この人たち、どこから来たんだろう?

 そんなことを思っている間に、女の奏でる曲が終わった。

 いつの間にかやってきて一緒に女の奏でる笛を聴いていた人たちは拍手をして女を讃えた。

 けれど女はそれを気にも留めず、今度は私をその吸い込まれるような妖艶な黒い瞳で見つめてきた。

 女に見つめられて、私はぞわぞわと身震いしてしまった。なんだか寒気もしてきた。

 このひとはすごく綺麗。まるでこの世のものとは思えないくらいに。

 女は笛を袋にしまうと、私の顎をそっと撫でてきた。

 冷たい。ぞっとする。冷え性で手が冷たいとかそんなレベルの話じゃない。

 まるで氷を触ったかのようにその手は冷たかった。

 女は今度は私を抱き寄せようとしたのか、左手を私の腰に回そうとしてきた。

 しかし、突然2つの青白い火の玉が私と女の周りをぐるぐると囲むように飛び回った。

 すると女は私から離れて、少し後ろに下がった。

「お前は可愛らしくて気立てもよさそうだ。だから気に入った。私の侍女に欲しい。そう思ったがお前はまだここに来るべきではない。……帰るがいい。」

 笛と同じように、目の前で話されているはずなのにこだまのように響く声がしたと思うと、辺りが今度はまぶしいほどに白く輝いて、気が付いたら私は森へ入った入口のそばに立っていた。



―5―


 ここは……最初に森へ入ったときの入り口? 帰ってこられたみたい?!

 クラスメイトはまだ誰も戻って来てないみたい。

 とりあえず安全は確保できたみたいだし、今からみんなを追いかけても追いつけなさそうだから、大人しく待っていよう。

 しばらくすると、ケミカルライトを持ったクラスメイト達が続々と森から出てきた。

「なんだよー。途中で諦めたのか? こんなの序の口だろ?」

「なんか、迷子になっちゃって。」

「今更? コドモじゃあるまいし。」

「いや、一応子供じゃない?」

「幼稚園とか小学生じゃないんだからって意味に決まってるだろ?!」

「お前は失格な。ゴールした証拠のライト持ってないんだから。」

「わかったよー。」

 クラスメイト達に茶化され揶揄からかわれながらも、無事に帰ってこられたことにホッとしていた。

 それにしても。

 あの綺麗な白い十二単と笛の女性は誰だったんだろう。



―6―


 

 肝試しで迷子になって、白い十二単と笛の女性に逢ったあの日から数日後。

 胸騒ぎがした私は、図書館の地域資料であの廃寺について調べてみた。

 すると、驚くべきことがわかった。

 あの廃寺は数百年前までは立派なお堂があったとされ、戦乱の世には美しい姫君が身を寄せていたらしい。

 その姫君は笛の名手であったとされていた。

 戦乱が激しくなり、村を追われた民達もこの寺に身を寄せるようになり、美しい姫君はその笛で民の心を癒したとも伝えられていた。

 しかし寺は焼き討ちに会い、僧や民と共に姫君も殺された。

 姫君は霊となった今も、この寺に集う者たちをその笛と美貌で癒し続けているのだ。

 つまり。あの白い十二単と笛の女性はこの姫君だったのだろう。

 ……もしかしたら。あのとき姫君と私の周りを飛び回った2つの火の玉は、亡くなった祖父と祖母の人魂ひとだまなのかもしれない。

 姫君に連れて行かれそうになった私を、祖父と祖母が助けてくれたのかもしれない。

 帰宅した私は、仏壇に線香を備えて手を合わせた後、小学校で使っていたソプラノリコーダーを出してきて祖父と祖母が好きだった歌をうろ覚えながらも吹いてみた。

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