平井 その9
二月三日金曜日、午後七時二十分。
平井は中央公園の前を通り過ぎたところで違和感を覚えた。理由はすぐにわかった。自宅の門灯が暗いままなのだ。全身の血が凍り、次の瞬間に沸騰した。
やられたか?
今朝思いついた「詐欺で騙された」という考えに満足し、弛緩していた気持ちが吹き飛んだ。
平井はほとんど無呼吸で自宅の前まで走った。
どの窓にも明かりは無かった。平井は玄関のドアに飛びつき、ノブを力任せに回したが施錠されたままだった。呼び鈴のボタンを押す。家の中でブザーの音が鳴っている。応答は無い。
平井は自分の鍵を使うということさえ忘れ、玄関のドアと格闘を続けた。
「あ、トミさん帰ってたの。ごめんなさい」
反射的に平井が振り向くと、郁子が立っていた。
「ど、どうしたんだ。何でこんな時間に家にいないんだよ」
「パートの帰りにね、三上さんのところに寄せてもらったのよ。岩手の実家から牡蠣を送ってきたからお裾分けしてあげるって言われちゃってさ。ものだけもらってすぐに帰るわけにも行かないから、ちょっとお茶してたら遅くなっちゃった。ぎりぎりトミさんより早く帰れるかなと思ったけど、負けちゃったね。ほら見てすごいでしょ、殻つきの牡蠣よ。今夜は牡蠣鍋にするからね」
郁子は走って帰ってきたらしく、はあはあと白い息を吐きながら一気に事情を話した。平井は大きな安堵で思わず涙ぐみそうになったが、暗闇のおかげでその表情は郁子に気づかれずにすんだ。
「帰ったら鍵かかってるし、真っ暗だし――」
「ごめんごめん。でもトミさん鍵持ってるでしょ」
「あ、ああ」
「なんだかドア壊しそうになってたよ」
郁子は笑いながらドアを開けると、お帰りなさいと言って平井を先に家の中に入れた。郁子の首筋からはいつもの香水の香りが微かに漂った。
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