私 その7
ナイフで殺すことにした。
毒物や拳銃は入手が困難だし、仮に手に入れることができたとしても、そこから足がつく可能性が高い。だからといって素手で殺すというのは、よほどそのための訓練を受けた人間でなければ無理だろう。あの夢のように高所から落とす方法もあるが、そのような場所に呼び出すためにはある程度顔見知りになっておく必要がある。
やはりナイフがいい。ナイフは手の延長だ。ナイフで殺すということは、自らの手で命を奪うということだ。
私は夜勤明けの午後、バスで一時間ほどの郊外にあるホームセンターで果物ナイフを買った。刃渡り九センチの小振りなものを選んだ。これなら上着の内ポケットに入れても邪魔にならない。こんなちっぽけな道具で人は殺されてしまうんだ。私は小さな金属片に秘められた絶大な力を頼もしく思った。
帰りのバスではずっと窓の外を眺めていた。手に入れたナイフの存在感に神経が高ぶり、単調な田園風景でも眺めて気を逸らさなければ、思わず叫びだしそうだった。
信号待ちの停車の度に、窓のすぐ外にプロレス興行の宣伝カーが並んだ。広告を見るともなしに見ているうちに奇妙な既視感を覚えた。この感覚は何だろう。胸の底をくすぐられるようなむず痒さ。プロレスなんかに興味はないのに。
次の信号待ちでもまたプロレスの宣伝カーが真横に並んだ。今度はじっくりと観察する。車体の側面に貼られたポスターには、奇抜なコスチュームのプロレスラー達がひしめき合うように――そうか、わかったぞ。プロレスの開催される体育館の住所と平井の自宅の住所が同じ町内だったのだ。
よし、明日は久しぶりに平井の自宅と妻の行動を確認しに行こう。前回確認した状況から変わった項目があれば計画の微調整をしなければならない。ナイフで殺すのであれば、まず問題は生じないだろうが、ここで気を抜いてはいけない。不測の事態が起こりえることを想定し、万全の準備で臨むのだ。
私は背もたれに体を預け、目を閉じて、明日の視察計画に心を遊ばせることにした。
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