第37話 大地の怒りか天の報いか
真っ白な光が真っ先に見えた。
闇夜に浮かぶその光を、神々しいと拝む者さえいた。
次にカラフルな丸い光の珠が、いくつも、いくつも、ぼう、ぼう、と空を舞った。
それはまるで、世界に祝福をもたらしているかのような錯覚を与えたのだろう。
「ああ、なんてきれいなの、ほら、とても幻想的ね…」
若い女性がうっとりと微笑みをたたえ、隣のパートナーに楽しそうに語りかけたとき、大地が、微かにだが確かに、歪みを持って蠢いた。
* * *
「馬車を止めて!」
小さな窓から色とりどりに彩られた夜空を見たカヌスは、とっさに叫んでいた。
カヌスの声に反応したウィリデが、すぐさま窓から空を見上げた。
「ゲニウス! 止めろ!」
間髪入れずに連絡窓を開け放ち、御者を務めていたゲニウスに怒号を飛ばした。
ゲニウスは慌てて手綱を絞り、驚いた馬たちが嘶きながら歩を止める。
止まるやいなや、カヌスとウィリデは入り口扉を開いて馬車から駆け下り、郊外へと続く道の真ん中で、夜のはずの空を見上げた。
空にはいくつもの光の珠が乱舞して、月も、ましてや星のきらめきなど全く見えない。
空を埋め尽くす光は蛍のようでありながら、舞い上がるその様は、まるで魂が天へと還っていくかのようでもあった。
「これは、…どういうことだ、」
ウィリデが困惑の中で呟いた。馬車の傍、部下たちも天を仰いでいる。
ただゲニウスだけは、遠い山の山頂付近に目を馳せていた。
あの辺りにあるのは、有翼人亜種の死骸を処分するための地下処理施設だと気が付いたカヌスは、恐る恐る、そっとゲニウスに声をかけた。
「ゲニウス少尉、…あなたは先ほどから何を見ておいでなんですか?」
声を潜めて話しかけたカヌスを慮ったのか、ゲニウスはカヌスの方へと軽く身を屈め、
「灰色の靄が、見えた気がしたもので、」
静かに告げた。
有事だからこそ、ゲニウスは不確かなことを口外したくないと考えたのかもしれない。
「なんだと?」
しかしゲニウスの言葉を漏れ聞いたウィリデは、激しく激昂した様子で声を荒げた。
「ゲニウス! なぜそれをいち早く報告しなかった!」
「申し訳ございません!」
白髪交じりのゲニウスは慌てた様子で深く頭を下げた。
驚いたカヌスはなんと声をかけていいのか迷いながらも、ゲニウスの指摘した山頂あたりにあったとされる灰色の靄を見つけようと目を凝らした。
だが、夜空を舞う無数の光の影響で、灰色の靄を目視することができない。もしかしたらゲニウスの見間違いだったのかもしれない。
(…けど、)
先ほどより、カヌスの胸騒ぎは大きくなる一方であり、手の平の中の『腐った種』は、一層熱を帯びてむくむくと蠢いている。
ゲニウスの見間違いだとはどうしても思えなかった。
「少佐! あ、あれを!」
その時、一人の部下が空を指差し、悲鳴に近い声を上げた。
その声に導かれるように全員が指差された空を見上げた瞬間、
パチン、パチン、
小さな破裂音が不気味に辺りに響き渡った。
それが上空から響いているのか、地下から響いているのか、誰にもわからない。
ただ、その破裂音とともに、一番上を舞っていたはずの真っ白な光の珠が、ふっと空に吸い込まれるように消えてしまった。
刹那、
「きゃあ!」
大地がゆっくりと持ち上がり、そして、地下処理施設のある山頂付近から、狼煙のような灰色の靄が一筋、天に向かってまっすぐ伸びていった。
…
大地の怒りと称すべきなのか。
天から下された報いと称すべきなのか。
誰もがその答えを知ることもなく、ただ、生き物のように轟々とうねる大地の歪みに翻弄された。
突き上げるのような縦の揺れから、横へ揺さぶられるような揺れに変わる。
立っていることなどままならない。
人々は、地面に這いつくばって沈静化するのをただ堪えて待つよりすべがなかった。
「とにかく身を低くしていろ!」
ウィリデの指示でカヌスは道の真ん中で身を伏せた。
近くの建物は倒壊し、木々は倒れ、地面に亀裂が入る。
馬たちが暴れだし、それをウィリデとゲニウスたちが手綱を引いて落ち着かせている。
やがて揺れが収まると同時に、
「…始まりやがったのか…」
ウィリデの低く苛立った声が辺りに絶望的に響いた。
「くそ! もう止められねぇのかッ」
「少佐っ! 早く避難をっ!」
そんなウィリデの軍服の袖を、カヌスは強く引いて叫んだ。その声は、喉がひりひりと焼けるほど大きなものだった。
「早くっ! あなたの役目を果たしてっ!」
カヌスの悲痛な叫びに、ウィリデは緑色の細い目を見開いた。
カヌスはサンディークスから、ウィリデの真の目的が、地下シェルターへの人民の避難にあることを聞いていた。
それは命の選別に繋がる重要で残酷な任務である。それでも、
「どうか! 早く! 一人でも多くの方を、…救ってください!」
ウィリデに重い十字架を負わせるとわかっていながら、カヌスはそう願わずにはいられなかった。
「わかった。」
そしてウィリデは、袖を掴んでいるカヌスの震える手をそっと剥がした。
「…すまんな」
「いえ、私は、…大丈夫です」
自分はここに置いていかれる。
カヌスは小さく頷いた。
「ただ、…できれば、…大尉を、」
カヌスは、ここにきて利己的な願いを口にしかけて、だがその言葉をぐっと飲み込んだ。
「………」
それでも、察したのか、ウィリデは一瞬だけ口角をもたげた。だが次の瞬間には、大きく息を吸い込んだ。
「これより緊急時によりコロル軍第二大隊情報部隊隊長に代わって私が一時指揮を担う! 避難住民等の救援のため、避難誘導にあたる! 私に続け!」
ウィリデは号令を発するとともに、馬車を引いていた一頭の馬を馬車から外すとそのまま跨った。部下たちも一斉に馬に乗る。
ただゲニウスだけは、カヌスの傍に控えて馬にも馬車にも乗り込もうとしなかった。
「ゲニウス、後は任せたぞ」
「御意」
そしてゲニウスとカヌスを残し、ウィリデたちを乗せた馬は一斉に南を目指し、街の方へ向けて駆け出していった。
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