第33話 終わりの始まり


 ソレは、木陰で小さく踞り、しくしくと泣いていた。


 どうしたのかと問えば、頑張ってきたのに、また裏切られたのだとよけいに泣く。


「まあ、…何て可哀想なの、」


 煌々と照らす太陽を背に、純白の翼を持った有翼人ニウェウスは、小さなソレをゆっくりと抱き寄せた。


「報われない想いに囚われ続けるなど、まるで御父様のよう…」


 ニウェウスは慈愛に満ちた顔を歪め、真珠のような涙をポロポロと地に落とした。


 ニウェウスの腕の中にすっぽりと収まったソレは、頬に当たる涙に気がつき、顔を上げた。


「お姉様、」


 聞き漏らしそうなほどの小さなその声は、あまりにも拙く、舌足らずであった。


「ああ、可哀想に、可哀想に、」


 その声を聞き、ニウェウスはさめざめと更に泣く。


 そんな彼女を見つめる小さなソレの、紫色の瞳は溢れんばかりの涙で未だ濡れていた。


 幼子のようなソレの小さな背中には、とても美しい紫色の羽根が生えている。ニウェウスは愛おしそうに何度も紫色の羽根を撫でた。


「貴女が頑張っている姿は、ずっと見ていましたよ。ずっと、ずっと、ね、」


 …見ているだけで、助けてくれようとはしなかった。追い込まれ、地上の隅に追いやられてようやく、憐れみをもって救いはやってきた。


「……」


 そんな理不尽に怒る気力さえ喪われた。


 紫色のソレは、そしてゆっくりと目を閉じた。


     *  *  *


 隣国ルーベンへの国境付近は深い樹海が広がっており、地の利がなければ迷い死ぬ。


 太陽の光も届かない獣道を馬で駆けながら、以前、ルーベンから不法入国してきた傭兵の女のことを思い出し、サンディークスの口角が上がった。思わず笑みが溢れる。だがすぐさま笑みは消え去った。


 頬をなぶる風が痛い。

 それでも手綱を打ち付け、馬はさらに疾走する。馬は泡を吹き始めていた。


 初手を出遅れているサンディークスは、追跡の最中、自身の小隊所属の伝令兵らによって、既に追跡対象が樹海に逃げ込んだとの情報は得ていた。


 しかし、同時に彼らは待機命令をも受諾しており詳細が掴めなかった。


 その命令は、彼ら伝令兵が配属する第二大隊情報部隊ではなく、第一大隊近衛部隊所属、カエルラ中佐により下されていた。


      …


「大尉、申し訳ありません。」


 一刻前。

 伝令兵をまとめる斥候の長、クラルス曹長は、国境付近、樹海にたどり着いたサンディークスを見つけるや否や、事の詳細を簡潔に説明しつつ頭を下げた。


 サンディークスは馬上のままそれを聞き、苦笑を漏らした。


「構わねぇ、つうか、仕方ねぇよなぁ、相手が中佐なら、」


 追跡対象は、元第二大隊所属の退役軍人、コダ二等兵とその娘、サクラである。


 それを今現在追っているのが、第一大隊近衛部隊所属のカエルラ中佐ならば、第二大隊情報部隊は手を引かざるをえない。


 組織としても階級としても、カエルラの方が上なのだ。


「………」


 サンディークスは作り笑いを顔に張り付けたまま、赤い髪を何度か掻きむしりながら空を見上げた。


 空は、嫌味なほど澄みきった青空で、雲ひとつない。カエルラの髪を思い起こさせる美しい青だった。


「………」


 サンディークスは内心では、ウィリデの下した追跡命令よりも、このままカエルラに全てを任せて踵を返す算段の方が攻勢だった。


「……くそっ」


 しかしそれを実行したならば、きっとカヌスは自分には付いてこないだろう。


 カヌスは、サクラを守りたいがために、有翼人亜種の死骸による不浄を鎮める人柱になる道を選んだのだ。


「…はぁ、」


 サンディークスは深い溜め息を吐き捨てて、手綱を握り直した。

 刹那、


「大尉、…自分は幼少の頃、有翼人の遺児というだけで施設でも学校でも不当な扱いを受けてきました。」

「? …え? ああ、うん。知ってるけど、」


 クラルスの突然の告白に、サンディークスは戸惑いつつも反射的にクラルスに視線を投げた。


 クラルスの短い髪は茶褐色で、太陽光によく透ける。伸ばせばサラサラと風に靡いて美しいのだが、入隊時に丸坊主にして以来、彼は髪を伸ばすことはなかった。

 

 彼は自身の髪色を嫌っている。

 クラルスは、琥珀色の翼を持った有翼人、ギルウゥスの息子だったのだ。


 ギルウゥスもまた太陽に透ける美しい髪と羽根を持っていた。


 ギルウゥスは穏やかで優しい性格だったと聞く。彼は殺戮を好まず、人間の娘に恋をして、地上へと舞い降りた。


 だが『ニンゲン堕ち』したギルウゥスは一年も経たずに死んでしまい、その死を悼んだ人間の娘は、ギルウゥスの子をその身に宿しつつも心を病んだ。


 そして産まれたクラルスは、人間の娘の親族によって施設に預けられたのだ。


「自分は、…父の命も母の心をも奪って産まれてきました。生まれてからも、誰かに求められることも大切にされることもなく、だからこそ目立たず人の邪魔にならないように、存在を消して生きてきました。」

「………」

「大尉、あなたはそんな私の生き方を認め、入隊を薦めてくださいました。」

「いや、それは、」

「例えそれが軍の意向だったとしても、私を見つけてくれたあなたの下で働きたいと願い、私は入隊を決めました。」


 クラルスは真っ直ぐ馬上のサンディークスを見据えたまま、一度も目を反らすことはなかった。


「自分は大尉の命令に従います。」

「………」


 常にクラルスはサンディークスの影として情報伝達に邁進してきた。

 ゆえに彼は、これから起こるであろう世界の終末を確かに認知していたのだ。


「…ハハ、」


 それを悟ったサンディークスは薄く笑い、頭を掻いた。


「クラルス、ウィリデ少佐の動向を追ってくれ。オレはカエルラを止めてコダさんたちを逃がした後、合流する」

「はっ」


 クラルスは眩しい太陽の下、くしゃりと破顔させて敬礼すると、サンディークスに背を向けて走り去っていった。

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