第32話 君の行く末

 カヌスの座っていたソファーの傍らに隠すように置かれていたオットマンをカヌスの真正面にまで移動させ、ウィリデはそれに腰を下ろした。


 そしてサイドテーブルを引き寄せると、カヌスの正面に据える。


 その間、カヌスは顔を覆ったまま嗚咽を噛み殺し、肩を震わせていた。


「………」


 ウィリデは何も声をかけることはなく、懐から何やら取り出し、サイドテーブルに置いた。


「こちらを確認してもらって構わんか」


 しんと静まりかえる部屋に響くウィリデの低い声。


「…ッ」


 声に応えるように顔を覆っていた両手を離したカヌスは、眼前の光景に一瞬驚き、赤く充血した目を丸くした。


 サイドテーブルに置かれていたのは、発芽しかけている『腐った種』だったのだ。


(…どうしてこれを、)


 この『種』は、既に自らの手から離れ、もう二度と手にすることはないと思っていた。


 『腐った種』はこの国にとって復興の象徴であり、同時に滅亡の兆候でもある。


(…どうして、)


 サンディークスはこれを発芽させたのはカヌスだと告げた。しかし、だからといってカヌスにこの種の更なる発芽をさせようなどと、サンディークスは決して望んではいなかった。


『あれは、…アンタが持ってちゃいけないんだよ。この国のクソどもが、アンタ一人に背負わせるにゃ重い運命を背負わせかねない。だから、』


 だからこそサンディークスは情報部隊本拠地へ向かうことを最後まで反対した。


『情報部へは連れて行く。けど、アンタに種は返さない。…オレはアンタに、…もう二度と種には触れてほしくねぇからっ』


 数刻前にそう告げたサンディークスの苦渋に満ちた顔が思い出されて、カヌスは奥歯を強く噛み締めた。


(…大尉っ)


 そんな様子を静観していたウィリデが徐に口を開いた。


「君は、ここへは連れてこられたのか? それとも、君の意志で来たのか?」

「!」


 ウィリデの問いに、カヌスは慌てて顔を上げる。


 カヌスの目蓋は腫れぼったくむくんでいたが、既に涙は枯れている。

 ただ残滓のような横隔膜の痙攣が呼吸を短くしていた。


 それでもカヌスは前を見た。


「……」


 眼前のウィリデはうっすらとも笑ってはいない。

 銀縁眼鏡の細い目が一層細められていた。


「……っ …っ」


 カヌスは呼吸を整えるために何度も息を吸っては吐いた。それでも収まらない身体の震えに微かな声が漏れる。


 再びカヌスは歯を食い縛った。


 そして意識して背筋を伸ばすと、カヌスは真っ直ぐにウィリデを見据えたまま、言った。


「はい。…私が、大尉に無理を言って、…連れてきて、いただきました。」


 荒い呼吸のために途切れ途切れとなったカヌスの言葉。だが確かにウィリデに伝わり、ウィリデは口角を薄くもたげたように見えた。


「…君は、私が君をどう利用しようとしているのかを理解した上でこちらへ出向いてきたと理解しても構わんのだな」

「……」


 ウィリデの声には感情が乗っておらず、カヌスは太股の上で握った拳を白くする。それでも目を反らしてはならないと、カヌスは生唾を飲み込み、大きく息を吐き捨てて、


「はい。」


 静かにハッキリと答えた。


「…フ、」


 カヌスの答えにウィリデは鼻で笑い、腕を組んだ。


「サンディークスの説明ではな、君はウィオラーケウムの襲撃に巻き込まれた一般市民であり、そのため身の安全を保証してほしいと願い出てきた」

「…え、」

「今まで、この国では何百人ともない市民が有翼人の襲撃に遭い、命を落としている。」

「…はい。」

「我々が一人でも多くの命を救うために活動していることは事実だが、一将校が一市民のみの保護を願い出るのは、…無理があると、君も思わねぇか?」

「え? あ、はい。…そう、ですね、」

「そうだろ、アイツぁそういうところが不器用でいけねぇ」


 ウィリデは徐に銀縁眼鏡を外すと、サイドテーブルに置き、目頭を親指と人差し指で詰まんで何度か揉みほぐした。


 そして再び眼鏡をかけ、改めて、緑がかった眼光鋭くカヌスを見た。


「君がこの『腐った種』を発芽させた張本人で間違いないんだな?」

「はい。」


 断言しつつも、カヌスは視線を種に落としていた。


 これを発芽させたのは自分であると、サンディークスは確信していたようだが、カヌスには自覚はなく、もちろん確証もなかった。


 だが、もし発芽させたのが、『種』を授けてくれた小さなサクラだったならば、カヌス自身が負うであろう末路を、小さなサクラに担わせなくてはならなくなる。


 それはどうしても避けたかった。


 だからこそカヌスは手を伸ばし、種を掴み上げた。そして手のひらに乗せる。


 種はコロコロと小さく転がり、カヌスの手に収まった。

 ぎゅっと強く握りしめる。


「……」


 種は、温かくも冷たくもなく、カヌスにはなんの感慨も湧かなかった。


「……っ」


 ただ深い悲しみがじわりじわりと胸に広がる。


 鼻の奥がツンと痛んで涙が溢れそうになるのを堪えるのが精一杯だった。


「………」


 ウィリデはその様をじっと見据えたまま、制止することも拒むこともしなかった。


 だが、カヌスの気づかぬところで、ため息のような息をそっと吐き捨てた。

 そして重い口を開く。


「おそらく時間がない。このままついてきてもらうか。」

「…はい。」


 頷くと同時に、カヌスは痛む足で大地を踏みしめ、立ち上がった。

 次いでウィリデも立ち上がる。


 そしてそのままウィリデはカヌスに背を向けた。


「…すまんな。」


 刹那、漏れ聞こえた低く小さな声。


「………」


 カヌスは聞こえないふりをして、先を行くウィリデの後を足を引きずりながら懸命に追って行った。


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