第34話 黒い人影
斜陽が木々の隙間から辛うじて山道を照らす。
馬の反応が鈍ってきたため、下馬して近くの木に手綱をくくりつけた。
「すぐ戻るからな。」
息の上がった馬は頭を垂れる。その首を擦ると馬の汗でサンディークスの手はぐっしょりと濡れた。
濡れた手を強く握りしめる。
そしてそのまま馬の横を通り抜け、サンディークスは獣のように走り出した。
サンディークスの赤い眼は獣道の違和感をつぶさに拾い集めて道しるべとする。サンディークスは人が踏んだであろう落ち葉の不自然な歪みを見てとっていた。
「………」
やがてサンディークスの足が不意に止まる。
生い茂る草に隠れるように身を屈め、息を殺した。
眼前には、もはや影となった大きな人影と細身の人影が刃を交えて火花を飛ばしていた。
カキンカキンと耳をつんざく金属音と共に風が乱れて木々が揺れる。
刹那、
「……くっ」
大きな影が、細身の影に圧されるように一瞬ぶれた。大きな影は後退りする。
「あ、」
サンディークスは小さく息を漏らした。
あの大きな影の後方で、小さな影が踞っているのが辛うじて見えたのだ。
「やべぇっ!」
サンディークスは徐に立ち上がり、木々を分け、駆け出しながら腰の剣を抜いた。勢いそのままに大きな影と細身の影の間へと割って入った。
そしてサンディークスは細身の影に向けて剣を構えた。
「剣を納めてください。カエルラ中佐」
これだけ近づけば、薄暗くとももはや彼らは影には見えない。
「…ほう、」
サンディークスの目に、明らかに人間の輪郭として認識できたカエルラは、サンディークスの登場にも動じることなく笑っていた。
「…ふ、」
サンディークスも薄く笑った。
だがそれはいつものニヤついた作り笑いではない。ただ単に自らを鼓舞するための強がりにすぎなかった。
「………」
カエルラは、眉目秀麗でありながら普段は温厚で人柄も良いことが知られている。青空のような青い髪も彼の爽やかさを体現しているようだとよく評された。
しかしカエルラのそれは、サンディークスのニヤついた笑みで本心を隠すそれよりも質が悪い。
「………」
カエルラは今、剣を構えるサンディークスに向けて醜悪に歪んだ笑みを浮かべている。
もはや取り繕うことを止めたカエルラを前に、サンディークスの背には汗が滲んだ。
カエルラは殊更楽しそうに肩を揺らしてサンディークスに問う。
「サンディークス大尉、君が僕に剣を向ける意味、僕はどう理解すればいいんだろうか?」
「…どうとでも、どうぞ。」
「軍紀違反行為への罰則は十分重いものとなるが、…まあそれなら、今処罰を下しても、問題ないよね」
くくっと喉の奥を鳴らすと同時にカエルラは笑みを浮かべたまま白刃を光らせ突っ込んできた。咄嗟にサンディークスは腰を落とし、平清眼に剣を構える。
「くそッ」
ガキンと激しく金属のぶつかる音がこだまする。カエルラの重い一太刀を受け止めることで精一杯のサンディークスが叫んだ。
「今だコダさん逃げろ!」
サンディークスの声を聞くや否や、背後の大男は小さな子供を抱えて脇道へと逃げていった。その様子を視界の端で確認すると、サンディークスはカエルラの勢いを殺すように背後に飛び退いた。
サンディークスが離れたことで、カエルラは大男と小さな子供を追うべくサンディークスから視線を反らして駆け出そうとするが、すかさずサンディークスはその行く手を阻んだ。
「………ち」
カエルラはあからさまに眉をひそめて舌を打った。
「なぜ邪魔をするんだ。君は、この国を救いたくはないのか。」
苛立ちを隠さないカエルラの低い声。
しかしサンディークスは何も答えない。
「あの男が連れ去ったのは、この国の至宝、プルウィウス・アルクス様の遺児だぞ。それは君が一番よくわかっていると思うが?」
「ええ、…まあ、」
「尊きあの御方が、長き結界を解かれ、今まさに再びこの世に顕現なされたのだぞ?」
「…ええ、…まあ、」
「わかっているのならば今すぐ退け。サンディークス」
カエルラの顔からは既に歪んだ笑みは消えている。
青い瞳がギラリと鈍く光った。
「分をわきまえろ」
「…お言葉ですが、」
サンディークスは、嘆息しつつも何度か言い淀み、奥歯を噛み締めた。
すると、
「娘はただの人間だ。残念だったなぁ!」
サンディークスの背後から、男のがなり声が轟いた途端、サンディークスの横を黒い何かが通り抜けた。
一瞬遅れた風がサンディークスの頬をなぶる。
次の瞬間には大男がカエルラに向かって斬りかかっていた。
「…くっ!」
カエルラはそれを避けるように後方に飛び退き距離を取る。
「え!? ちょ! コダさん!?」
呆気にとられ、一瞬遅れて響いたサンディークスの声は裏返っていた。
その声に、大男の足がぴたりと止まる。
「アンタ何で戻ってきてんだよ! 逃げろよ!」
コダと呼ばれた大男は、黒くボサボサの髪を揺らしながらも、振り返ることなく言った。
「大尉を助けろとサクラが泣くからなぁ、仕方ねぇだろ」
そのままコダは白刃を翻し、再びカエルラに突っ込んでいった。
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