第30話 人の気配がそこにはなく

 小さな郊外の一角で、有翼人亜種の死骸が大量に放置されていた。


 その異様さに懸念を抱いたテネブラエの面々は即座にコロル軍へと報告を上げた。


「それは何者の仕業だ。褒美を取らせよう。カエルラよ、連れてまいれ。」


 現場の状況について報告を受けたコロル軍の最高司令官であるコロル政府高官メトゥスは、即座に側控えのコロル軍第一大隊近衛部隊所属カエルラ中佐を現地に派遣した。


 到着したカエルラは、未だに片付けきれていない有翼人亜種の死骸を避けながら、現場となったパン屋の扉を開けた。


 カランコロンとベルが鳴る。


「………」


 しかし店内には何者もなく、しんと静まり返っていた。


 店舗内、その奥の居住スペースも隈無く捜索するが、やはり住人の姿はない。


「…ようやく、」


 部屋は散乱し、開け放たれたタンスから取り残された服がだらんと垂れ下がっている。


 誰かが、急いで逃げた形跡だけが色濃く残っていた。


「ようやく、ここに立ち入ることができたと思えば逃げられる。…どこまでも、僕から逃げていくんですね、…プルウィウス様…」


 カエルラは、よく澄んだ快晴の空のような青い瞳を細める。


 そして誰もいない部屋で、取り残されていた薄汚れた人形を拾い上げると、恍惚とした表情のままそっと抱き締めた。


     *  *  *


 サンディークスとカヌスが情報部隊本拠地に到着した頃には、太陽は南から西へと傾きかけていた。


 騎乗の二人は、なるべく人目を避けて裏門から敷地内へと入った。


 敷地内奥、薄暗い厩舎の入り口で馬は歩みを止める。止めると同時にサンディークスは馬から降りた。降りてすぐにカヌスに背を向けて、


「乗って」


 急かすように声を潜めて言った。


 馬から人へ。

 これはどう移動したものかと戸惑いつつも、サンディークスの両肩に両手を掛ける。途端にサンディークスは馬からカヌスを引き剥がすように歩みだした。


「うわっ」


 慌てたカヌスはサンディークスの背にしがみつく。


 カヌスがサンディークスの背に移るとすぐさまカヌスの両太股は筋肉質な腕にしっかりとホールドされた。


 そしてサンディークスは身を屈め、獣のように走り出す。


 厩舎から建物の影となるルートを選び、風を切った。石造りの建物までたどり着くと、建物裏、粗末な木製の扉を足で蹴り開ける。おそらく正規の入り口ではないだろう。


 建物内に侵入すると、そのまま二階、長い廊下の突き当たりにあるウィリデの執務室へと向かうべく、階段を一足飛びに上っていった。


 しかしその間、予想に反して、彼らは施設の外でも中でも、他の隊員に出会うことはなかった。


「…おかしい。」


 一際厚みのある扉の前に立つと、サンディークスは低く呟いた。


「……」


 背中のカヌスには、サンディークスの顔は見えない。だがカヌスにも、サンディークスの感じた違和感を察することはできた。


 ここは第二大隊情報部隊の本拠地である。

 人目を避けて一気にここまで来たが、それでも誰にも出会わなかったのは普通ではない。


「…ふぅ、」


 不可解な現状を一旦捨て置くように息を短く吐いて、サンディークスは扉を二回、ノックした。


「ウィリデ少佐、」

「やっと戻ったかサンディークス、入れ」


 サンディークスの声を聞いた途端に中からくぐもった男の声がする。


「失礼します」


 呼応するようにサンディークスの放った言葉には緊張感が滲んでいた。


 扉を開くと同時にサンディークスの背筋が凛と伸びる。


「………」


 背負われているカヌスに、一瞬、サンディークスの身体の緊張が伝わった。肩や背中の筋肉が固く強ばっていた。


(…大尉、)


 カヌスは無意識に強く、サンディークスの肩にしがみついた。


 もはやここには、一刻前の、駄々をこねていたサンディークスはもういない。


(………)


 自分を背負っているのは、コロル軍第二大隊情報部隊所属サンディークス大尉なのだと、再認識したカヌスはそっと嘆息した。


 そんなカヌスの小さな落胆など意に介することなく、


「ただいま帰還しました。」

「ただいまじゃねぇ。遅すぎだ」

「申し訳ありません。」


 口先のみで詫びながらサンディークスは室内の人物に最敬礼した後、入室する。そして迷うことなくツカツカと部屋の一角へと歩み寄り、室内に置かれた質素なソファにカヌスを下ろした。


「少し待っててくれ」


 そう告げたサンディークスと一瞬だけ目が合う。

 しかしその赤い瞳からは何の感情も読み取れなかった。


「…わかりました。」


 カヌスはサンディークスの視線から逃げるように目を反らし、俯いた。


 そんなカヌスの頭を一度、ポンと撫でる。


(…えっ)


 瞬きほどの一瞬だったが、カヌスは驚き顔を上げた。しかし既にサンディークスはこちらに背を向け、ウィリデと呼ばれた上官の元へと歩みだしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る