第29話 カヌスの覚悟


 数時間前。


 木々の隙間から垣間見える空が白々と明け始めた頃、サンディークスとカヌスは、第二大隊情報部隊の本拠地を目指すことを話し合って決めた。


 しかしカヌスは足を挫いていたため、山道を歩くことはままならない。


 そのため、カヌスはサンディークスに背負われて、彼が乗ってきた軍馬のもとへと向かっていた。


「本当に行くのか?」


 その道中、サンディークスは情報部隊本拠地への移動を渋る言動を繰り返した。


「…もう。…大尉、それ何回目ですか、」


 背負われていたカヌスには、難色を示すサンディークスの顔は見えない。

 しかしサンディークスの声音が駄々をこねる子供のようだったため、カヌスは思わず笑ってしまった。


「いやアンタは知らねぇからだよ。情報部なんてのはな、有象無象の巣窟なんだぞ。オレらの足掻きなんざ一溜りもねぇ」


 不貞腐れたように言い放つサンディークスが深いため息を吐く。その仕草さえも大袈裟に見えて、カヌスの笑みが止まらなかった。


「いやいや、なんでアンタはさっきからそうも楽しそうなんだよ。オレらは、…」


 死地へ向かってるんだぞ。


 そう言い掛けて、サンディークスはゆっくりと口を閉じ、言葉を飲んだ。


「…ふふ、」


 だがサンディークスの言い淀んだ言葉を察してもなお、カヌスは笑っていた。


「…はぁ、」

 

 サンディークスは、未だ笑っているカヌスを背負い直すように一度縦に身体を揺らす。


 揺れに驚いたカヌスは改めてサンディークスの背中に抱きつくようにしがみついた。


 途端にふわりとサンディークスの汗の匂いが鼻をくすぐる。


「………」


 肌の、より近いところでサンディークスの体温を感じた。

 刹那、一刻前のサンディークスの熱を思い出し、カヌスは顔を赤らめ微笑みを増した。そして、


「…大尉、」


 穏やかにサンディークスに問いかけた。


「本当に、あの『種』を発芽させたのは、…私なんですね。」

「ああ。…おそらくな」


 即座に答えながら、サンディークスは、嘘を吐ききれなかったことへの自責の念からか、そっと強く奥歯を噛み締めた。


     …


 カヌスを自らの背に背負う前、サンディークスは、なぜカヌスが情報部隊に囚われることになったのかの経緯を、かいつまんで説明した。

 しかしそれはつまり『腐った種』を発芽させた者への末路の説明でもあった。


「…くそ、」


 だからこそサンディークスは終始苦しそうに言葉を紡いでいた。


「……」


 一方で、説明を聞いていたカヌスの、サンディークスを見つめる灰色の瞳は次第次第に澄んでいった。


「……っ」


 その時のカヌスの顔が、未だにサンディークスの脳裏から離れない。


 背中に背負い、すぐそばにカヌスの体温を感じながらも、サンディークスは強い不安に苛まれていた。


「……本当に、行くのか?」


 そのため、サンディークスは情報部隊へ向かうことに再三二の足を踏んでいるのだ。


「はい。行きましょう、大尉。」


 そんなサンディークスの胸中を推し量ることなく、カヌスは変わらず明るい声で答えた。


     …

 

 『腐った種』は、サクラが生まれたと同時にサクラの父親によって投げ捨てられ、一度喪失している。


 情報部隊が二年近く人員を割き探索を続けたが見つけることはできなかった。


 しかし先日突然、『腐った種』はこの世に現れた。


 それは、種の探索とサクラの監視を継続して行ってきたサンディークスにとってはまさに青天の霹靂であった。


「………」


 サクラの手元に戻った時点で『腐った種』が発芽していた可能性は否定できない。


 しかしその発芽していたかもしれない『種』を、サクラが直接カヌスに授けた事実が重要だったのだ。


 サクラは、本来生殖能力のない、作られた生命体である『プルウィウスの傀儡』が、唯一この世に産み落とした命。


 しかし生まれたときからサクラには有翼人の遺児の証である背中の羽根は生えてはおらず、特別な能力も持ち合わせてはいなかった。

 サクラは、ただの『人間』だった。


 そのサクラが再び『腐った種』を手にし、それをすぐさま、直接カヌスに授けたのを、サンディークスは終始目撃していたのである。


     …


「サクラはおそらく、『種』を授ける使命を持って生まれたんだろう。そのサクラが直接アンタに『種』を渡した。」

「………」

「オレはサクラが生まれたときからずっと成長を監視してたんだ。だから間違いねぇ。そしてたぶん、オレしかこの事実は知らねぇ。」

「………」

「発芽は、アンタの手によってもたらされたんだよ。」


 そしてサンディークスは静かに断言した。

 

「…そっか。」


 だが正味、カヌスにとっては、真実がどこにあってもかまわなかった。


 ただ、サクラが厄災に巻き込まれることなく生きられるなら、そちらが事実である方が良いと、カヌスは強く願った。


「ならやっぱり、サクラちゃんには感謝ですね。」

「…は?」

「種を私に授けてくれたから、大尉に出会えたわけですし。」


 カヌスの穏やかな声に偽りはなく、だが、その言葉はサンディークスの胸を強く締め付けた。


「…そんなこと、言うなよ、」


 背中越しのサンディークスの声が、少し涙に滲んでいる。


(…やっぱり大尉は泣き虫だなぁ)


 それがカヌスにはこの上なく愛おしかった。

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