第25話 真っ直ぐに見つめる


 ふわりふわりと不思議な浮遊感に包まれていた。まるで身体が浮いているようだ。


(浮いている!?)


「!?」


 自分の身体が宙に浮いている強烈な違和感で目が覚めた。


 すると辺りはまだ真っ暗ながら、ぼんやりと自分の周りだけは明るかった。


「?」


 しかしほんのり明るい景色を見ている自分は、体験したことのない角度から地面を見下ろしている。


「!」


 カヌスは明らかに何者かに担がれているようだった。


(え!)


 驚きすぎて声が出ない。


(え! え!)

 

 険しい山肌を大股で登る足音と共に、カヌスの身体は規則正しく上下に揺れる。


 カヌスは、何者かの両肩に担がれる形で、片方の太ももと片方の二の腕をがっちりホールドされていたのだ。


「え!?」


 にわかに状況が把握できずにカヌスは灰色の目をしばたたかせた。


「…ふ、」


 すると、聞き覚えのあるくぐもった笑い声が存外すぐ側から聞こえてきてさらに驚いた。


「…え、」


 おずおずと声の方を見やると、思ったよりもずっと近い位置に赤い髪が見える。


「えっ!」


 しかも、その髪から覗く赤い瞳が、可笑しそうに歪んでカヌスを見ていた。


「た、大尉! え? えぇ!? どうして、」


 半ばパニックになりながらカヌスは問うが、サンディークスはなにも答えない。


 よく見れば、サンディークスはカンテラを口に咥えている。それでは話すことはできない。


「…ふ、」


 だがカンテラを咥えながらももたげた口角からは白い歯が覗いており、サンディークスが笑っているのがわかった。尖った八重歯が剥き出しになっている。


「わ、あ、あの、」


 おののきながら、担がれたままのカヌスは何かしらを伝えなければと言葉を探すが、混乱が勝って何一つ言葉にできなかった。


「…ふふ、」


 そんなカヌスの戸惑いに、サンディークスの肩が可笑しそうに一層揺れた。肩が揺れればカヌスも揺れる。


「あ、あの、もう大丈夫ですから、…お、下ろしてもらえませんかっ」


 控えめに懇願するカヌスの言葉に応えるように、サンディークスはそのまま大股で一気に山を登りきると、一旦歩みを止めた。


「………」


 そしてファイアーマンキャリーで担いでいたカヌスを木の幹にそっと下ろす。と同時に咥えていたカンテラを手に持った。


「はあ、…はあ、」


 その手を腰に当てて、サンディークスは、さすがに荒れている呼吸を整えた。


「…あ、あの、…すみません、」


 そんなサンディークスの様子を申し訳なさそうに見上げながら、カヌスは小さな声で詫びた。


「ホントにすみません大尉、…重かったでしょ、」


 するとサンディークスは力なくハハハと笑い、


「まあ、軽くはねぇよな、気を失ってたんだし、」


 至極当然のようにさらりと言った。


「…そうですよね、…すみません」


 カヌスはいたたまれずに俯いてしまった。


 その顔はとても赤い。

 羞恥と恐縮した思いで全身の血が沸いたようだった。


(…どうしよう、)


 カヌスは困惑しながら熱をもった頬を両手で覆った。


 自分の両手はひんやりと冷たい。少しは冷静になれそうだった。


 さらに落ち着こうと、意識して小さく何度も息を吐く。


「………」


 そんなカヌスを見下ろすサンディークスは薄く微笑んでいた。


「…思ったより元気そうで、良かった。」


 安堵したように、サンディークスはカヌスの前にどかりと腰を下ろす。


(…わ、)


 カヌスは両手を頬に当てたまま咄嗟に顔を上げた。すると目の前に座ったサンディークスの赤い眼と目が合ってしまった。


 頬を覆っていた手をゆっくり下ろし、太ももの上でぎゅっと握った。


 真っ直ぐ見つめる赤い視線から、目を背けられない。


 サンディークスは真剣な面持ちだった。

 だからこそ、目を背けてはいけないと強く感じた。


「………」


 カヌスは真一文字に口を結んでサンディークスと対峙した。


「………」

「………」


 静寂の中で沈黙が続く。


 カンテラの灯りが照らし出すサンディークスの顔には、もはやいつもの作り笑いは張り付いていない。


 きっとこれが、サンディークスの素顔なのだろう。そう悟ったカヌスは、小さく息を飲み込んだ。


「……っ」


 だがカヌスには伝えたかった言葉がある。

 それを伝えなければと、意を決して口火を切った。


「あ、あのっ 大尉、…助けてくださり、ありがとうございました。」


 言葉にできたことで胸のつかえが溶けたようで、カヌスはようやく一息吐くことができた。


 しかし、


「いや、アンタが礼を言うことじゃねぇ。オレが、」


 サンディークスの思わぬ言葉に、カヌスは再び息を飲んだ。ただならぬ雰囲気が緊張感をもたらす。


「………」


 サンディークスは慎重に言葉を選んでいるのか、赤い髪をがしがし掻きむしりながら一旦口を紡いだ。


 再び沈黙が去来する。


「………」


 カヌスは灰色の瞳でサンディークスの挙動をつぶさに見つめながら、サンディークスの言葉を待った。


「………。はあ、」


 一拍置き、サンディークスは決意にも似た息を一つ吐き捨てて、


「カヌス、」


 赤い眼を真っ直ぐカヌスに向けて低く名を呼んだ。そして、真剣な面持ちのまま静かに言った。


「なにも聞かず、オレと逃げてくれねぇか。」

「!」


 カヌスは驚きのあまり、あんぐり口を開けたまま固まってしまった。

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