第24話 この手に伝わる君の温もり
闇に慣れていた目は、カンテラの灯りさえも眩しく感じて、カヌスは思わず顔を伏せた。
「う、うう、」
その実、涙と鼻水で濡れそぼった顔を見せたくないとの羞恥心が勝っていたのも否めない。
「おい! 大丈夫か?」
そんな女心を意に介することなく、カンテラ片手にサンディークスはカヌスを見つけるやいなや、伏せているカヌスのもとへ獣のように駆け寄ってきた。
「う、ううう、」
カンテラの小さな炎がゆらゆらと揺れる。
しかし炎の揺らぎよりも激しくカヌスの肩は揺れており、小刻みに震えているようにも見えた。
「おい、どこか痛いのか?」
恐る恐る、といった雰囲気で、サンディークスはそっとカヌスの肩に触れた。
「う、う、うわあああん!」
途端、堰を切ったのか、地面にぺちゃりとうつ伏せて、カヌスは幼い子供のように大声を上げて泣き出した。
「お、おい、おい、」
突然の号泣に驚いたサンディークスは、大きな怪我でもしているのかと、カヌスの肩を激しく揺らす。
「うう、ううう、」
その度に右足がひどく痛んだが、カヌスは込み上げてくる感情の全てを押し出すように、ただただ滂沱の涙を流し続けた。
「ああああぁぁっ」
カヌスの慟哭は、山の中に広がる暗い静寂を悲痛に引き裂いていった。
「…怖かったよな、…わりぃ」
悲鳴に近い泣き声に掻き消されるほどの小さな声でサンディークスは囁いた。
そしてカヌスの肩に手を置いたまま、カヌスが落ち着くまでゆっくりと擦り続けていた。
* * *
泣いていたカヌスの声が寝息に変わった。
気を失ったようだ。
「………」
サンディークスは、地面にうつ伏せたままのカヌスの体勢をそっと仰向けに変えた。
「…マジかぁ、」
するとカンテラに照らされたカヌスの顔が思いの外ひどく汚れていたので思わず笑ってしまった。カヌスの顔のあちらこちらには泥や枯れ葉がくっついている。
「……っ」
しかし、それは拭いきれなかった涙と鼻水によるものでもあり、だからこそサンディークスの顔から笑みはすぐに消え去った。途端に胸が軽く疼く。
「………」
サンディークスはミリタリーパンツのヒップポケットから小さなタオルを取り出し、カヌスの顔を丁寧に清め始めた。
「………」
泥も枯れ葉も、涙も鼻水も全てを拭い去ると、思いの外穏やかな顔で眠るカヌスが現れ、サンディークスはようやく安堵に近い息を吐いた。
「…しかし、…なんとまあ、…さすがだなぁ、」
意識を手放すように寝落ちしたとはいえ、このような状況下でもスヤスヤ眠るカヌスの灰色の髪を、サンディークスはそっと撫でた。
サンディークスは自覚してはいなかったが、カヌスを見つめるその顔は、緩やかに微笑んでいた。
「………」
だがそれも一瞬で消え去る。
サンディークスは、カヌスの髪を撫でながらも顔を上げ、真っ赤な瞳を鋭く尖らせた。
眼前に不自然に置かれた黒い塊。
眉根を寄せ、凝視する。
「…こいつは、」
そして苦々しく歯噛みした。
今目の前にあるこの黒い塊は、姿形から、有翼人亜種であるとすぐさま悟った。
しかし、長年有翼人亜種の討伐に携わってきたサンディークスでさえも、このような有翼人亜種の死骸を目にしたことは一度もなかったのだ。
それはまるで血液の凝固にも似た死に様。
「…こういう浄化のさせ方もあったのか…」
この有翼人亜種が一刻前に襲っていた黄金色の髪の女は、『プルウィウスの傀儡』であった。
『プルウィウスの傀儡』の浄化の力を、改めて目の当たりにしたサンディークスは、刹那、これを軍に知られてはならないと直感した。
「………」
徐に無言のまま立ち上がる。
サンディークスは岩のように固まった有翼人亜種の死骸を、真っ黒なブーツで力の限り蹴りつけて、さらに深い山の谷間へと突き落とした。
「………」
闇の中へ深く転がり落ちるのを確認すると、再びカヌスの傍に戻ってしゃがみ込む。そしてそのままサンディークスは眠るカヌスの頭を再び撫でだした。
「………」
『プルウィウスの傀儡』は、プルウィウス・アルクスの遺伝子を抽出して作り出されたホムンクルスだ。
そして有翼人亜種もまた、有翼人の血液から作り出されるホムンクルスだった。
「…くそ、」
共食いが拒絶反応を引き起こし、凝固させるのだと仮定されるならば、軍は一層『プルウィウスの傀儡』の量産を目指すだろう。
「…そんなこと、させられるかっ」
苦く呟いたサンディークスは、カヌスの頭を撫でていた手のひらをぎゅっと強く握りしめた。
「………」
しかしその握りこぶしを、カヌスの身体から離すことができないでいる。
サンディークスは、カヌスの身体から伝わる温もりを確かめ続けなければ、再びカヌスを見失うのではないかとの強い不安に駆られていたのかもしれない。
「………」
サンディークスの顔は悲痛に歪んでいた。
…
この世の厄災を食い止める手立てを、この国は、今までずっと『プルウィウスの傀儡』たちの命の代償に頼ってきた。
そして今、来るべき大厄災への切り札として、カヌスの命は捧げられようとしている。
「……もう、たくさんだ…」
カヌスの頭からそっと手を離し、サンディークスは俯いた。
軍服を身に纏ったその背中は、静寂に包まれた山の中で、小さく震えていた。
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