第21話 死んでたまるか


 ウィオラーケウムがサンディークスと初めて出会ったのは、今からおよそ60年前。



 サンディークスは、コロル軍へと入隊した直後、先輩隊員たちから山岳研修と称した集団リンチに遭い、山の中に瀕死のまま捨て置かれた。


 当時、コロル国においても、有翼人の遺児は存在自体が大変珍しかった。

 ゆえにサンディークスはその特異性から、入隊の段階で四階級昇級の伍長待遇を受けていた。


 厚遇で迎えられた時点で彼は奇異な目で見られた。ましてや人の目を引く赤い髪が、『鮮血のルフス』の子であることを証明し、結果心ない隊員たちの数の暴力の前に彼は呆気なく屈した。


『…ふふふ、』


 それは、ウィオラーケウムにとっては、まったくどうでもよい光景であった。


 しかし、ほんの気まぐれ、一時の戯れから、ウィオラーケウムはサンディークスの前へと舞い降りたのだ。


『横柄なルフスの子がこんなに弱いなんて、本当に、我らは何のために生まれてきたのかしらねぇ。』


 嘲笑にも似た笑みを浮かべ、ウィオラーケウムは倒れたまま動かないサンディークスの頬へ、長い爪を突きつけた。


『私なら、お前を助けることなど容易いわよ。どう? 惨めたらしく命乞いなどしてごらんなさいな。』

『………』

『ただし、私に救われたお前の全ては、私のものとなるわ。今後は私の傀儡として、惨憺たる生きざまをさらし続けなさい。』

『…お断りだ、くたばれ、外道めっ』


 サンディークスは、最後の力を振り絞ってウィオラーケウムに血の混じった唾を吐き捨てた。


 その唾をヒラリとかわし、


『アハハハハハ』


 ウィオラーケウムは心底愉快そうに声高に笑った。


 そして自らの指先を噛みきると、鮮血を滴らせ、そのままサンディークスの口の中へと長く美しい指を突っ込んだ。

 

     *  *  *


「あら、あなた、…サンディークスのことが気になるの?」

「…え?」


 ウィオラーケウムは、しゃがみこむカヌスの視線へと下りてくると、その美しい指でカヌスの頬に触れた。


「…え、」


 怒り、嫌悪感、畏怖、罪悪感。

 数秒前まで、そのどす黒い感情の全てがカヌスの中には確かに渦巻いていた。


 しかし突如、『サンディークス』の名を持ち出され、親しげに話しかけられたことで、気勢は削がれ、カヌスは完全に虚に付け込まれた。


「…え、」


 状況が飲み込めず、カヌスはきょとんとした顔で呆けたように、涙で濡れた灰色の瞳をウィオラーケウムに向けた。


「ふふ、」


 ウィオラーケウムはそんなカヌスを見下ろした。そして悦に入った様子で口角をもたげた。

 至極楽しげな赤い唇が艶かしく蠢く。


「なんなら、口利き、してあげましょうか?」

「…え、」


 カヌスの眉間に深いシワが寄る。

 だが短い呼吸を整える隙もなかった。


「私が言えば、サンディークスは何でもするわよ。」

「え、」

「女を抱くのだって造作もないわ。」

「……え?」

 

 呼吸は乱れ、停止した思考が働かない。


 この紫色の女が、一体何を言っているのか。カヌスには理解できなかった。


「…何を言って、」


 カヌスの困惑を承知の上で、悪戯っぽく眉を上げ、ウィオラーケウムは殊更可笑しそうに肩を揺らした。


「命じられればね、サンディークスは簡単に女に受精させるのよ。さっきの子だってそう。サンディークスに作られたのだから」

「……なッ」


 ウィオラーケウムは、心底愉快そうに笑いながら言った。


(何をっ)


 一気に頭に血が上る。顔が紅潮した。途端にカヌスの身体の芯が急激に冷えていくのがわかった。わなわなと怒りにうち震える。


     …


『命の価値なんてのは、誰もが在ってないようなもんですよ。…アンタだけじゃねぇ。…オレもだ。』


     …


(…大尉っ)


 寄宿舎で別れたサンディークスの後ろ姿が、どこか寂しそうに、カヌスの脳裏にはっきりと浮かんで消えた。


(大尉ッ)


「だから今さらあなた一人抱くくらい、なんてことないでしょうよ。口利きしてあげましょうか?」

「……この、」

「ああ、その後で、あの子に殺させてあげましょう。そうね、そうしましょう。何て惨めなのかしらね。ふふ」

「……このっ!」


 カヌスの灰色の髪がビリビリと戦慄いた。


「大尉に謝れッ!」


 怒りに任せ、カヌスはウィオラーケウムに頭突きをかまそうと飛びかかったが、呆気なくかわされ地面に転がる。

 転がったカヌスの背中を、ウィオラーケウムのピンヒールが踏みつけた。


「ぐあっ」

「なんてね。そんな面倒なこと、してやらない。」

「…くそっ くそっ! 謝れ!!」

「あなたみたいな野蛮で浅慮な人間は、オモチャに喰われる程度で十分ね。」


(くそっ こんな奴に! こんなとこで!)


「死んでたまるか!」

 

 カヌスは身体をひねってウィオラーケウムの足を掴もうと手を伸ばしたが、ウィオラーケウムはひらりと飛び上がり、距離を取った。


「…『種』の出所さえわかれば、あなたなんて用済みなのよ。だから、ここで跡形もなく食い散らかされなさいな。」


 そして快然たる笑みをたたえたまま、紫色の美しい羽根を広げてウィオラーケウムは空高く舞い上がった。


「…くそっ!」


(あんな奴のために死ねるか!)


 カヌスは震える太股を何度も拳で叩いて無理やり起き上がると、よろめきながらも再び全力で駆け出した。


 有翼人亜種は黄金色の髪の女性に夢中ですぐには追ってこない。

 とはいえカヌスの足では逃げきるには限界があることはわかっていた。


 それでも我武者羅にただ前だけ見据えて走った。しかし、


「うわっ!」


 足が縺れて湿地にはまり、体勢を崩したカヌスはそのまま山の谷間へと転がり落ちていった。


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