第20話 有翼人亜種

『…何故、』


 天において、一番最後に生み出されたウィオラーケウムに期待するモノは何もなかった。


 彼女は、次々地上へと送られる同胞たちの背中を、虚無に近い眼差しで、ただ天より見下ろしていた。


『何故、』


 誰もが、長子であるプルウィウス・アルクスの弔いのみを重んじている。


 人間にその酬いを負わせるために。

 愚かな人間を屠るために。


 だが、ウィオラーケウムには、人間を駆逐する目的で有翼人亜種を生み出すだけの同胞の行いが、どうしても理解できなかった。


『何故…、』


 …我らが傀儡を生み出すように、同じだけ人間たちも増えてゆく。


 潰し合いにもならぬこの殺戮に、いったい何の意味があるのか…。


『我らは、何故、何のために、生まれてきたのかしら。』


 その問いの答えを探すために、ウィオラーケウムは人間たちへと与することを決めた。


 そして、誰もが愛するプルウィウス・アルクスの全てを否定する道を選んだのだ。


『……なぜ、…私ではないのかしら…』


 それはひとえに、プルウィウス・アルクスのように、自分も、誰かに、唯一無二の存在として、愛してもらいたいがために…。



『お前はやりすぎだ、ウィオラーケウム』


 天に生まれながら、地上へと舞い降りることを拒みつづけた灰色の羽根を持つ有翼人、アルゲンテウスが、ようやく地へと下った日は、斜陽の美しいとある春の出来事だった。


『やりすぎだ、ウィオラーケウムよ。』


 もしかすると、アルゲンテウスは、ウィオラーケウムを哀れんでいたのかもしれない。


『何故だ!』


 地上へと舞い降りるやいなや、アルゲンテウスは、ウィオラーケウムの目の前で、あっさりと人間に捕まった。


『愚かなっ! 何と愚かなっ! あのようなものが同胞だとは!』


 たくさんの人間たちに、彼は何度も何度も木の棒で殴られた。石つぶてを投げられた。


『何故だ!』


 同じ生命体として生きていることさえ、もはや恥だと、ウィオラーケウムは彼の姿から、紫色の美しい瞳を背けた。


     *  *  *


「お前の存在は不愉快だ。死ぬといい」


 低く呟くと、ウィオラーケウムは自らの指先を噛みちぎり、真っ赤な鮮血を滴らせた。すると血は見る見るヒトによく似た何かに変化していく。


「!」


 これが有翼人亜種の姿だった。


 やがて有翼人亜種は、ヒトらしき形になると茶色く変色し、「ギギギ」と声にならない声で鳴いた。口と思われる空洞には、牙のような突起物が多数生えているのが見える。


(ああっ、死ぬっ!)


 カヌスは絶望の中で身動きできずに固く目を閉じた。すると、


「ギギギっ」

「うわっ」


 何かに飛び付かれてカヌスは激しく地面に倒れ込んだ。次の瞬間、


「きゃあ!」


 女性の甲高い悲鳴が耳元で響き、カヌスは慌てて目を開けた。


「え! なんで! なんで!?」


 倒れ込んだカヌスに覆い被さっていたのは、黄金色の髪をしたあの女性だったのだ。


 そして女性の背後には、茶色い何かが食らいついていた。食らいつきながらも、茶色い何かの目らしき空洞はなにも映しておらず、ただ深い闇のようだった。


「なんで!?」


 有翼人亜種の口から赤い鮮血が滴る。

 それは全て、覆い被さる黄金色の髪の女性から流れる血液だった。


「やめてっ! やめてッ! どいてッ!」


 彼女の下敷きとなり、彼女の真っ赤な血に染まりながら、止めどなく流れる涙に溺れるように、カヌスはぐちゃぐちゃに泣いた。


「どいて! どいてッ! あなたが死んじゃうっ! 死んじゃうからッ!」

「…逃げて。…逃げて。」

「無理だから!」


 黄金色の髪の女性は、カヌスを守るように四つん這いになったまま、組みしいたカヌスに柔らかく微笑みかけた。


「…逃げて。お願い。」


 とても穏やかで、優しい声だった。


「……ううぅ」


 カヌスは泣きながら下唇を噛み締めて、彼女の下から抜け出すと、全力で駆け出した。


「…っ!」


 しかし、なんの力もないカヌスが必死に走ったところで、逃げられるはずもなかった。


「あっ!」


 駆け出したカヌスの眼前に、ふわりと舞い降りた紫色の影。しかし涙で視界が揺れてよく見えない。


「無能な傀儡はダメねぇ。共食いしちゃうから。ほら、ご覧なさいな」


 長く美しい指先が、カヌスの背後を悠然と指差す。恐る恐る振り返ると、茶色い何かが、ギギギ、ギギギと鳴きながら、夢中で何かを捕食していた。


「……ああっ」


 真っ赤な血溜まりが枯れ葉だらけの地面にじわりじわりと広がってゆく。


「うっ!」


 カヌスはすぐさま目を反らし、うずくまって嘔吐した。嗚咽が止まらない。


(…たすけて、たすけて、誰か、…大尉っ)


 カヌスは吐瀉物から眼を背けられずにただ何度も救いを求めた。


「可哀想ね、彼女、ほら、あなたを守って死んじゃった。」


 クスクス笑いながら、ウィオラーケウムはうっとりとそんなカヌスを見下ろす。


「彼女を蝕み尽くした後は、今度はあなたの番ね。」

(……くそっ、くそっ!)


 絶望と恐怖から、腰が抜け、立ち上がることができなかった。


 だがカヌスは、何度も何度も薄汚れた服の袖で目を拭うと、灰色の瞳に目一杯の力を込めて、


「この、クソヤロウ!」


 全身全霊の罵声を浴びせた。


「まあ、口の悪い子だこと。こんな子のどこがよかったのかしらね。サンディークスったら」


 ウィオラーケウムはふかよかな唇を尖らせ、思いもよらない名を口にした。


「…サンディー、クス…?」


 その名に反応したカヌスの顔を見て、ウィオラーケウムの顔が楽しそうに歪んだ。


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