第17話 連行
5時間前。
人気のない寄宿舎で目を覚ましたカヌスは、思いの外熟睡していた自分に驚いていた。
ただここには窓がなく、朝なのか昼なのかはわからない。
それでも、漏れ聞こえる鳥の囀ずりから、夜が明けたことは察知できた。
(静かだ。…誰もいないのか? …逃げてもいいのかな。)
そろそろとベッドから抜け出し、サイドテーブルに置かれた飴の入った小瓶を抱える。そしてカヌスはそっと扉を開けた。
(…やっぱり、)
カヌスの予測通り、廊下にもその先のダイニングにも人の気配はない。
(よしっ)
意を決したカヌスは、部屋を出るやいなや、寄宿舎入り口まで駆け出した。そしてその勢いのまま玄関扉を開け放つ。
「やった!」
明るい日差しのもと、喜んだのも束の間、
「…うわ、」
眼前に広がった黒い影。
カヌスはあからさまに落胆した。
玄関扉を開けた先には、カヌスの知らない男が仁王立ちしていたのだ。
軍服姿の少し太った男は、驚くカヌスの行く手を阻むように両手を広げて立ちはだかった。
(うわぁ…)
「抵抗はしないでください。サンディークス大尉より、丁重に扱うよう承っておりますゆえ」
「………」
カヌスは沈む気持ちを隠しきれずに嘆息を漏らした。
「さあこちらへ。裏に馬車を用意してあります。」
「…はい。」
男に促されるまま、抵抗する気にもなれず大人しく寄宿舎裏へと連行された。
その道すがら、カヌスは辺りをキョロキョロと伺った。
(この辺、こんな風になってたんだ、)
昨日は闇夜の中、この寄宿舎までやってきたため詳細は知れなかった。だがよくよく見てみると、寄宿舎の周りは定期的に雑草が刈られているらしく、手入れが行き届き、こざっぱりとした印象を受けた。
(…へえ、)
感嘆の息が漏れかけて、しかし即座にその息を飲み込んだ。あまり感情を露にすべきではないとカヌスは薄々感じていた。
「………」
それは側に立つ小太りな男の不穏な気配が、カヌスを萎縮させていたためだ。
先ほどから男は終始、手を伸ばせば触れる距離を保ちながら、せっつくように付いてきている。
案内するのではなく、男は任務としてカヌスを連行していた。だからこそ不遜な態度を隠すこともなく、何度もカヌスを見下ろした。
「……っ」
任務に忠実な男の横柄な態度にはそもそも落ち度はない。
(……けど、大尉ならきっと、)
落ち度はないことはわかっていたが、カヌスは一歩一歩と歩を進める度に、この無粋な男とサンディークスを比べずにはいられなかった。
…
「こちらです。」
やがて連れてこられた寄宿舎裏は、寄宿舎の周囲同様きちんと整備されており、馬車を難なく停車できるだけのスペースが確保されていた。
「さ、ご乗車ください。」
男の言葉は丁寧だったが、相変わらずの高圧的な態度で馬車に乗るようカヌスに命じる。
「………」
カヌスの胸の奥がじくりと痛む。
反骨心がむくむく沸いてくる思いだった。
「………」
だからこそカヌスは、どうしても一歩を踏み出すことができないでいた。
しかし、
「さあ、さあ、」
そんなカヌスの様子に一瞥もくれることなく、男は急かすようにカヌスの肩を軽く押した。
「わ、」
その力に思わずよろめく。
(……なんなの、)
カヌスは眉間にシワを寄せながら、仕方なく目の前の馬車へと歩みを進めた。
馬車は、小さな木製の荷台を粗末な幌で覆っている簡素なものだったが、荷台の木製の扉には太い閂が設置されていた。
(…そう、だよね、)
この馬車は護送車なのだと、カヌスは改めて痛感した。鼻の奥がつんと痛み、下腹部がじくじくと疼く。
「………」
逃げることも抗うこともままならず、カヌスはおずおずと粗末な階段に足をかけた。
「さあさあ、早くお入りください」
「うわっ」
そんなカヌスに業を煮やした男は、荷台の入り口扉を開け放つと、なかば無理矢理、カヌスを荷台の中へと押し込んだ。
「あっ!」
カヌスはつんのめりながら荷台の奥へと入り込む。振り返ると、男は既に荷台の入り口を閉じようとしていた。
「待ってっ!」
咄嗟に叫んでみたが、無慈悲に荷台の入り口扉はバタンと閉ざされた。
そしてガシャンと閂を下ろされる音がこだまする。
「!」
するとカヌスの周りは一気に闇に閉ざされた。
前も後ろもわからず、目が開いているのかさえもわからずに、カヌスはその場にペタリと座り込んだ。
胸に抱いた飴の小瓶をぎっと抱きしめる。
(私、どこに連れていかれるんだろ、)
カヌスの不安をよそに、馬車はゆっくりと走り始めた。
…
「……どうして、」
なぜ自分がこんな目に遇わなければならないのか。
(………)
その答えを、カヌスは薄々感じ取っていた。
(あの種は、…たぶん、)
パン屋の娘、サクラから受け取ったくすんだ色の種。
それをサンディークスは血相を変えて奪おうとした。
その時点で、あの種が、特別な「種」だと、カヌスは気がつくべきだった。
カヌスは暗闇の中でそっと歯噛みした。
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