第14話 柔らかな毒
日が昇り、部下にカヌスの移送を任せると、一人、情報部隊本拠地へと戻ったサンディークスは、その足でウィリデの執務室に赴いた。
だが、その執務室のドアをノックしかけた手が止まる。
「………」
思わず、サンディークスの眉根が寄った。
室内よりなにやら漏れ聞こえる話声。
一人は明らかにウィリデだが、もう一人の声の主は情報部隊の人間ではない。だが聞き覚えはある。
「……チ、」
無意識に、サンディークスは小さく舌を打った。
耳障りはいいが、サンディークスにとっては虫酸が走る声。
その声の主は、第一大隊近衛部隊所属カエルラ中佐だった。
カエルラは、見目麗しい、晴天を思わせる青い髪を持った爽やかな男である。容姿端麗でありながら人当たりもよく、物腰も柔らかいことから、彼は男にも女にもよくモテた。
だがサンディークスはカエルラのことが好きではなかった。
なぜなら、
「ほらね、ウィリデの真っ赤なイヌ君は、今日も忠犬っぷりを発揮してるじゃないか。」
漏れ聞こえる爽やかな声には、冗談めかした柔らかな毒が含まれている。
カエルラがサンディークスについて語るときにそれは顕著に現れた。
「僕も彼みたいな部下が欲しいと常々思ってるんだよ。…ウィリデは恵まれているね。」
心のこもっていない穏やかな声が、次第次第に近づいてくる。
やがてドアノブがガチャリと動いた。刹那、室内側からゆっくりと、執務室の扉が開いた。
「………」
サンディークスの真正面に立ったカエルラは爽やかに微笑んでいた。それを見てサンディークスはニヤリと笑い、真っ直ぐにカエルラを見据える。
「ね、サンディークスくん」
カエルラは、サンディークスを忌み嫌っている。それは同族嫌悪に近いが、単に下位の者を見下す矜持の表れにも似ていた。
「もったいないお言葉、ありがとうございます。カエルラ中佐」
負の感情に当てられながらも、サンディークスは最敬礼をした。
「どーいたしまして。」
カエルラは、サンディークスの肩をポンと叩くと、そのままサンディークスの横を通りすぎて部屋を出て行った。
だが去り際に、カエルラは誰にも聞こえない小さな声で、
「君もたまには役に立つんだね」
賛辞のような棘を吐き捨てた。
「………」
サンディークスは敬礼を崩すことなく、前だけ見据えたままで、だが一度も立ち去るカエルラを見やることはなかった。
* * *
執務室に入ると、ウィリデはデスクにつき、埋もれるほどの膨大な書類に目を通していた。いつも通りの光景である。
「…密告されたんですか?」
開口一番、サンディークスは苦々しく嘆息した。
「さあな。まあ、あいつは情報部並みに情報が早ぇからなぁ。…人たらしだけに」
書類に視線を落としたまま、ウィリデは鼻で笑う。
「それも有翼人の遺児の特殊能力ってヤツかもな。まあ漏れちまったもんは仕方がねぇなぁ」
仕方がないと言いつつも、ウィリデは明らかに苛立っていた。体裁を繕うことも億劫らしく、言葉に訛りが混じっている。
「…どこまで、」
どこまで漏れたのか。
サンディークスがそう問いかけた瞬間、ウィリデは即座に顔を上げた。
執務室横の窓から差し込む朝日が銀縁眼鏡に反射して白く光る。
そしてウィリデは徐に、執務室のテーブルを人差し指でトントンと軽く小突くと、サンディークスへメモ用紙を一枚差し出した。
察したサンディークスは、
「そういえば例のものは即座に研究施設へと運びいれましたよ。」
うそぶきながら紙に目を通した。
『A12』
暗号のみが記されたメモ。
それは待ち合わせ場所を意味している。
サンディークスはすぐさまメモ用紙を握りつぶし、ウィリデのデスクに置かれた灰皿の中へとそっと置く。すかさずウィリデは胸ポケットからタバコを取り出し、丸められた紙に火をつけた。その火にタバコを近づける。
「ご苦労。下がっていいぞ」
「はっ」
サンディークスは再び敬礼すると、ウィリデの執務室を後にした。
* * *
第二大隊情報部隊本拠地近くには、引退した元隊員が経営する食堂がある。規模は小さいが、食事の提供までの時間が早い上にどのメニューもボリュームが豊富なことで有名だった。
特に、有翼人や有翼人亜種の討伐を終えた傭兵や兵士たちが、汚れた格好で来店しても問題にならないほど小汚ないことも好評で、兵士や傭兵たちの多くが気兼ねなく店を訪れた。ゆえに朝から晩まで活気に溢れ、いつでも店内はガヤガヤと騒がしい。
太陽が南の空へさしかかった頃。
Tシャツに細身のデニムといったラフな格好のサンディークスは、カランコロンと、食堂の扉を開けた。
「いらっしゃいませぇ」
ホール係の中年女性の接客を片手を上げて断り、サンディークスは店内を見渡す。
やがて見知った人影を見つけると、最奥のテーブル席へ向け歩き出した。
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