第11話 小さなカンテラが灯す

 一頭の馬に人影が二つ。

 下弦の月を背に闇夜を駆ける。


 夜風が、冷たくカヌスの顔に当たり続けた。それは疲れた肌には針で刺されるように痛く、カヌスはずっと固く目を閉じていた。


(……? あれ、?)


 だがしばらくすると不意に、顔に当たる風が弱まった。


 先ほどまで風切り音しか聞こえなかった耳に、カサカサと、馬が落ち葉を踏むリズミカルな音が入る。


 カヌスはそっと目を開けた。


「?」


 たどり着いたそこは、周りを大きな木々に囲まれた山奥だった。


 月の光がちらりちらりと葉の隙間から微かに煌めく。だがあとは暗いだけの闇が広がっていた。


(……ここは、…どこ?)


 馬の蹄の音と馬の息づかいのみがこだまする。薄気味悪いほど静かな場所だが、辺りを見回しても暗くてなにも見えない。詳細が全く知れなかった。


「ん?」


 だがよくよく目を凝らすと、行く手の少し先に開けた場所があるのがわかる。


(…あれは何? …建物?)


 そこには、あからさまに人工的に作られたと思われる影があった。形からして、建物らしい。


(…やっぱり、家だ。)


 近づいていくうちに判然としてきた。

 隠れ家のような小さな建物。

 一見すると民家のようだが、灯りもなく、人の住んでいる気配はない。


(……わ、)


 ハッキリと姿が確認できたその建物は、闇の中にぽつんと立っていた。

 その孤独な佇まいは、容易にカヌスに監獄を連想させた。


(…怖…)


 カヌスは思わず身震いした。

 自分は強制連行されているのだという事実が、改めてカヌスの背筋を冷やす。


「あのっ、」


 そんな不安をかき消すように、カヌスは意図して大きめの声を出した。


「あの、ここは、どこなんですか…?」


 馬上にて、真っ直ぐ建物だけを見据えたまま、カヌスは背後の男に恐る恐る尋ねた。


 すると思いの外明るい男の声が頭上より降り注ぐ。


「ここは第二大隊情報部隊の研修施設のある寄宿舎ですよ。普段は新人研修に使われるんで、今は無人ですけどね。」


(…なんだ、良かった)


 明るい声に建物の正体が明かされて、カヌスはそっと安堵の息を吐いた。


「今日はもう遅いんで、ここで一泊していきましょう。明日、馬車を手配しますね」


 そう言うと、男はひらりと馬から舞い降りた。降りると同時にカヌスへと手を差し出す。


(…えっと、)


 何度か躊躇しながらも、カヌスはおずおずとその手を取った。


「うわあっ!」


 するとそのまま引きずられるように馬から降ろされた。


 カヌスを降ろすとすぐに、男は馬の背に積んでいた荷物の中から小さなカンテラを取り出した。


「ちょっと持っててもらえます?」

「あ、はい。」


 それをカヌスに渡す。

 カヌスの手にすっぽり収まるほど小さなカンテラ。そこへ、男がカチカチと火打ち石を鳴らして火を灯す。


 すると辺りがぼんやりと薄い光を纏った。


「おお、」


 意図せずカヌスは感嘆の声を漏らした。暗がりが呼び寄せた不安が、ほんの少し和らいだように感じた。


「………」


 カヌスの感嘆に呼応するように男はカヌスを一瞬だけ見やると、カヌスの手からカンテラをそっと取り上げた。

 取り上げてすぐにカンテラを口に咥えて、再び馬の背の荷物をゴソゴソと探り始める。


 そして、


「これ、返しますね。」


 振り向いた男は、左手にカンテラ、右手にボロボロになった紙袋を持ち、柔らかく微笑んだ。


 見覚えのある紙袋。あの中には飴の小瓶が入っている。男は迷いなくその右手をカヌスへ差し出した。


「あっ」


 カヌスは飛び付くように紙袋を受け取った。


「ありがとうございますっ」


 そして満面の笑顔で紙袋を見つめた。


 紙袋は本来はカヌスの持ち物だが、騎乗の際に邪魔になるからと奪われていた。それだけに、思いがけず我が手に戻ったことは単純に嬉しかった。


「…ようやく、笑ってくれましたね。」


 そんなカヌスの様子を見て、男が小さく呟いた。


「え、」


 男の言葉にカヌスは驚き、慌てて顔を上げる。


 すると男と目が合った。


 途端に、カンテラの薄い光が映し出す男は、その赤い瞳を伏せた。


 だが次の瞬間には、

 

「案内します。ついてきてください」


 いつものようにニヤリと笑ってゆっくりと背を向けた。


「………」

 

 小さなカンテラを逆光に、照らし出される男の大きな背中。


(……不思議だ、)


 闇しかない、見知らぬ土地、見知らぬ建物。

 カヌスの胸には不安ばかりが募る。

 しかし見知ったこの背中だけは、何故かカヌスに安心感を与えてくれた。

 

(…この人は、もしかして、)


 しかも男は、カヌスがついてきやすいようにゆっくりとした歩調で歩いていた。そのことに、カヌスはすぐに気がついた。


「………」


 小さな優しさの積み重ねが、カヌスには不思議と心地よかった。


「………」


 お互いに言葉を交わすことなく、寄宿舎入り口扉の前に立つ。するとすぐさま男はポケットから明らかに鍵ではない細い金具を取り出した。


 そして再びカンテラを口に咥えて、金具を鍵穴に差し込み、難なく寄宿舎の扉をこじ開けた。


(…わ、すごい、)


 若干驚きつつ男の所業をまじまじと見ていた。そんなカヌスの視線に気がついたのか、男はカンテラを手に持ち直すと、


「自己紹介まだでしたね。オレは第二大隊情報部隊所属、サンディークスといいます。一応肩書きは大尉です。」


 カヌスに向き直り、サンディークスはニヤリと口角をもたげた。


「なので空き巣じゃないですよ」

「…別に疑ってませんけど、」

「なら良かった」


 今更ながら体裁を整えようとするサンディークスに、カヌスは思わず声をたてて笑ってしまった。

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