タイル(ホラー)

タイル貼りの壁や床を見る度、このタイルの裏には何があるのだろうか、と思う。

モルタル等、セメントの類に決まっていると、大人になった今ならそう思うのだが、子供の頃は貼られたタイル一枚一枚の裏には小さな部屋があり、そこには小さな人が住んでいると、そんな想像をしていた。


タイルの裏に住む小人達は、人々の来ない時間帯にそっと、タイルの扉を開ける事がある。

小さな部屋の中にはテレビやベッド等、通常の部屋と変わらぬ品々が置かれ、小人達はくつろいでいるのだ。


大人になった今考えると、もしそんな事があるのなら、小人達は一体何を元手にして部屋の中の品々を買い集め、暮らしているのかと思う。

金があった所で、小人の姿では店へ行く事も叶うまいし、小人サイズの商品を探す事も困難であろう。


考えても仕方の無い事である。そんな事実、あるわけが無いのだから。


そんな事を考えながら、私は職場のトイレで用を足していた。

職場のトイレは、和式の個室が一つしか無い。全面がタイル貼りである。

綺麗に貼られた桃色のタイル、一枚一枚を眺めながら、ふとそんな事を思い出したのだった。


用を足し終え立ち上がり、水を流しながらすぐ側の壁に目をやると、タイルが一枚剥がれかけている。


そして剥がれかけたタイルの隙間から、何かが光っている風に見えたのだ。

一瞬目を離し、再び視線を戻すと、タイルの隙間から光が見えるどころか、剥がれかけたタイルなど、一枚も見当たらなくなっていた。


首を傾げたものの、仕事に戻らねばという意識から、さして気に留める事も無く、すぐに忘れてしまった。


トイレを出ると、ばったり佐々木さんに出くわした。

佐々木さんは軽度の知的障害があり、入社して二年になる。


我が社では障害者の受け入れ態勢など全く整っていなかった。おそらく補助金目当てであろう。

そういう訳だから、佐々木さんに任される仕事など皆無だった。

仕方が無いので、たまにメモ帳代わりになる用紙を切らせたりしているが、常に暇そうである。

「何かやる事はありませんか?」と尋ねられた事があり、困った私は「冷凍庫にアイスあるから、それでも食べていて」と答えるしか無かった。


また、社長は佐々木さんに対して「後から来る子にはどんどん追い越されるだろうが、まあ気にするな」という風な失礼な事を、何度も笑って言っており、しかし佐々木さんもまた言われた事の意味を理解できないのか、へらへら笑っている。

佐々木さんは私より先に入社したが、昇給している私に対して彼女は一切そうした処置が取られていないらしい。


明らかに粗末に扱われ、軽んじられている彼女を前に、私も胸が痛まない訳ではなかった。しかし彼女の面倒を見させられる事はもっと嫌だったので、何も言えず黙っている。

ただでさえ忙しいというのに、障害者に仕事を教えるなんて大きな手間は抱えられない。



そんな佐々木さんとばったり出くわしたのだが、私はタイルが剥がれていて、それが瞬時に元通りになっていた事などすっかり忘れ去っており、普通に軽く会釈するのみだった。佐々木さんもまた、ニッコリ笑って会釈を返し、私と入れ替わりにトイレへ入っていった。


ここ数か月、佐々木さんは表情が明るく活き活きとしている。それまでは常に表情が暗く、愛想も悪かったのに。恋人でもできたのだろうか?



数日後、たまたま早い時間に出社した日の事だった。デスクで社長が一人、深刻な顔をしていた。組んだ手をおでこに付けて、顔を下に向けており、疲労だけでなく非常に深刻な悩みを抱えている、そんなオーラが出ていた。



「社長、どうかされましたか?」


声をかけると、どうやら私が入ってきた事に気づいていなかったらしい社長は、びっくりした様子ではっと私の方を向く。


「ああ…いや、何でも無いんだ。おはよう…」


力の無い愛想笑いでそう言うのだが、明らかに何も無いという様子ではなかった。

私は少し不安になる。


――ひょっとして、この会社の経営が危ないのかしら?


しかしその日の午後、その不安は解消される事となった。代わりに新たな悩みが増える事となったのだが…


昼休みを終え、会社に戻ると廊下の方から声が聞こえてきた。

怒り、不安、とにかく負の要素が詰まったような二人分の声。近づいてみると、それが社長と専務のものであると判った。


二人が頭を抱えながら話す内容を聞いて、私は仰天した。

なんでもこの会社のトイレに、何者かによって隠しカメラが設置されていたという。

なぜそれが判明したかというと、社長と専務のどちらかが裏ビデオとして販売されているそれを見つけたからだった。


この会社のトイレは、社長の妻子も使用する事があり、その動画も収録されていたという。


その裏ビデオを発見してすぐ、社長たちはトイレの中、カメラを探したのだが一つも見つからなかった。既に犯人が撤去した後だったらしい。


「それにしても、妙なんだ…」


社長は苦しげな顔をして、そう言った。


何でも、性別を問わず全ての社員の映像が販売されていたらしいのだが、佐々木さんの姿だけがそこには無かったという。


つまり、社長や専務も私の排泄する姿を見たという事で、あまりいい気分ではないのだが、それ以上になぜか佐々木さんの姿だけが販売されていない事が、気になった。


佐々木さんはまだ二十代前半と若く、外見も悪くない。こう言ってはなんだが、おそらく社員の中で最も性的な商品価値が高い気がする。

にもかかわらず、彼女の姿だけが商品化されなかったというのは不自然な事の様に思えた。


「まさか、佐々木さんが…」


――まさか、そんな…あの佐々木さんが?


信じられなかった。あの、頭が弱いものの素直で馬鹿にされ、粗末に扱われても不満を持たず受け流している、いい子が…


佐々木さんが、カメラをトイレの個室に設置している場面を思い浮かべようとしたが、上手く想像できない。

彼女にそんな事ができるとは思えなかった。心根の問題というよりも、技術面に置いてである。

だいたいカメラ等の道具は、一体どこでどうやって入手したのか?そんな知識を、佐々木さんが得られるとは思えない。


「そんな訳が無いでしょう」


専務の呆れたような声がして、私は我に返った。


「どうしてあの子に、そんなたいそれたことできるんです?」


そう言われ、社長も納得した様に「それもそうだな…」と頷くのだった。


そして、納得したのは私も同様であった。佐々木さんが、あの馬鹿にされ軽んじられている事にも気づかない子が、そんな事をするとは、できるとは思えなかった。



佐々木恵美子は更衣室に入る前、周囲をよく確認し、中に入った。そして中に誰もいない事を確認すると、鍵をかける。


モルタル仕上げの壁の中、一部マジョリカタイルの貼られた所があり、彼女がそこへ行って近づくと、まるで扉が開く様にしてタイルが浮き上がった。


タイルが開かれ、中から出てきたのは体長五センチ程の小さな人だった。


タイルが更に開かれると、中の様子を見る事ができる。そこは小さな、一つの部屋になっていた。

その小さな部屋に収まるように、小さなベッドや机等が置かれている。奥の方に扉がある。他のタイル部屋と繋がっているのか、それとも奥の方に部屋が連なっているのか。


小人は奥にある部屋へ行ったかと思えばすぐ戻って来て、片腕に板状のものを抱えていた。

そしてそれを、佐々木恵美子に手渡したのだ。


恵美子はそれを指でつまんで受け取ると、鞄の中から小さな、一センチ程の小箱を取り出し小人に渡した。

小人はそれを受け取ると、タイルの扉をゆっくりと閉め、壁は元通りになった。


恵美子は小人から手渡された物を手のひらに乗せて、見る。それは小さな、指でつまめる程の大きさの隠しカメラだった。


数か月前、恵美子はトイレの壁のタイルがまるで扉が開いてでもあるように剥がれているのを見て、おまけにそこから小さな人間の様な者が覗いているのを発見した。


驚いたものの、恵美子は逃げ出したり、はたまた小人に攻撃を加えるでもなく、黙って見つめながら近づいた。

小人の方も、恵美子に危険性を感じなかったのか、タイルの扉を閉めずに彼女の方を見つめている様だった。


孤独な恵美子は、小人を見ても恐怖より人恋しさの方が勝った。もし、小人と意思疎通がとれたら、とそんな希望を抱いたのだ。


そんな思いが通じたのか、恵美子は小人と交流する様になった。

とはいえ、場所は社員全員が使用するトイレの個室である。長時間籠っているわけにいかない。


それでも恵美子は、トイレへ行く度に小人に耳を近づけて話を聞き、とぎれとぎれの交流を続けた。


そんなある日、恵美子はSNSで怪しげな人物からスカウトされた。

日々、職場で鬱屈を抱える彼女はSNSでそれを吐き出していたのだが、ある時見知らぬアカウントがメッセージを送ってきたのである。


「副業しませんか」というものだった。


明らかに怪しい。しかし、何もかもが上手くいっておらず、もうどうでも良いと無気力になりつつあった恵美子は、そのメッセージとアカウントに刺激的な冒険を予感し、呼びかけに応じた。


副業の内容、それは社内のトイレや更衣室といった場所に隠しカメラを置き、盗撮に加担するというものだった。

その映像が裏ビデオといった、いかがわしい商売に使われるであろう事は、恵美子にも察せられた。


恵美子は躊躇い無く承諾し、カメラを受け取った。

自分を軽んじる社内の人間の事など、彼女はどうでも良かった。それよりも、何か刺激が欲しかった。鬱屈や退屈を晴らしてくれる、冒険が。


恵美子は、絶対に見つからないカメラの隠し場所を知っていた。

仲良くなった小人にカメラを渡し、撮影に加担してもらったのである。お礼として、恵美子は彼らが使用できるベッド等の家具を作って、渡した。


手先の器用な彼女は、小人のために色々な物を作り、小人は生活が豊かになったと喜んだ。

そしてトイレの隠しカメラを受け取った際、小人は恵美子に更衣室にいる仲間の存在を教えたのだった。


更衣室を撮り終えた後、そこに住む小人は別の建物のトイレに住む小人の存在を、恵美子に教えた。

小人達はずっとタイルの中にある一室に引きこもっているわけでなく、何某かの方法で繋がっているらしい。


小人が教えてくれた建物は、この今いる会社とも親しい所で、恵美子も出入りする事ができる。

彼女は品物を小人に渡すと、その建物の下見に行った。


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