涙石

近所に寺は何軒かあるのだが、その中で少し気になる寺が一軒ある。

その寺は通勤のため、最寄り駅へ行く際、いつも通り過ぎるのだが、何十段かある石段の中で27段目の石段が常に、濡れているのである。


どれだけカンカン照りが続き、他の石段がカラカラに乾いていても、その27段目の石段だけは潤っている。

不思議な事だ、と近所中でひっそりと評判になっており、場所が寺なだけに皆気味悪がるよりも有難がって、手を併せたりする者の方が多い。


その石段は地元で「涙石」と呼ばれている。本当かどうか知らぬが、300年も昔からこの石段はその様であったという。


その日は仕事が遅くなり、最寄り駅に着く頃既に日付が変わっていた。

そして、あの涙石のある寺の前を通り過ぎようとした、その時である。


鼻をすするような、鳴き声が聞こえてきたのだった。鳴き声は、寺に近づくにつれて明瞭に聞こえる様になった。

悲嘆と怒りを押し殺すような、そんな鳴き声である。


こんな時間に子供がこんな所で一人、泣いているとしたら大問題であり、警察に通報するべきであろうが、子供の鳴き声には聞こえなかった。


寺の前に辿り着き、石段を見上げると、そこに人影がある。一人ではない、数人いる。そして鳴き声も、一人分ではなかった。

数人の人影が、石段の上で各々蠢いているのだった。


ぞっとしながらも、恐怖以上に好奇心が勝る所もあり、私は石段を数えていた。

そして、奴らの蠢く所が27段目の石段であると分かった。あの、涙石と呼ばれる所である。


人影達は、ゆらゆらうねうねと、四つん這いの状態で蠢いている。奴らの視線が、意識がこちらへ向くのを感じた。

奴らがまるで狼のように、こちらに向かって走り出そうと構えるのと、私が叫びながら走り出すのは同時だった。


私は無我夢中で走った。後ろを振り返り確かめる、そんな余裕も無い。

背後から足音や、声が聞こえなかったのは、逃げる事に夢中であったからだろうと思った。


息も絶え絶えに自宅に辿り着き、急いでドアを閉めたのだが、外から物音は聞こえない。

その晩は一睡もできなかった。翌朝隈だらけの目で、それでも頭は冴え冴えとしており、私はドアにチェーンをかけたままそっと扉を開けた。


ちょうど近所の住人が通りかかった所で、ものすごく訝しげな目で見られてしまった。

しかし今の私は羞恥よりも、自分以外の誰か知っている者が外にいる、という事に安堵している。

早朝であり、人通りもそれなりにある事から少し気が大きくなり、あの寺の前を通りかかると石段を見上げてみた。当然、そこには何も無い。



それ以降、私は帰宅時間が遅くなる日は、あの涙石のある寺の前を通らない事にしている。

今のところ、石段で見た奴らと遭遇する事は無い。




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