ブッコローの恋愛相談で女の子が強くなる話

@souon

ダンベルと東京タワー



三年間付き合った元彼は依子をつまんない女だったと言った。愕然としてしまって、咄嗟に何も言い返せなかった。去年可愛いと言ってもらったブルゾンをまだ着ている。ショートカットは嫌な顔をされたから2度としない。ネイルはショートで、ヌーディーな印象に。彼といるときの口癖は「すごい」と「面白いね」だった。

 

「ねえトリ、ちゃんと聞いてる?私健気でしょ?可愛い女でしょ?おいってば」

「いだだだだだだ!ひっぱんないで!!それに、トリじゃないっ!僕ブッコロー!」

 

 緑色の耳羽を容赦のない力で引っ張ると、ブッコローは目に涙を浮かべて文句を言った。


 遡ること3時間前、フラれた憂さ晴らしに昼間っから浴びるように酒を飲んでいた依子は、部屋の隅を勝手に陣取ってサキイカを盗み食いしている奇妙なミミズクの存在に気がついた。依子の視線に気づいたミミズクが「やべっ」と呟いて逃げ出そうとしたので、尻尾を踏んづけてとっ捕まえたところ、ミミズクは「ごめんなさい美味そうなサキイカだったもんでつい」と申開きを始めた。

 

 人間の言葉を話すその不思議なミミズクは、R.B.ブッコローと名乗った。今日は有隣堂に向かう途中にたまたま依子の家の前を通りかかったのだが、つけっぱなしになっていたテレビが競馬中継を放送していたものだから、フラフラと吸い寄せられて、そのままかれこれ30分ほど依子の部屋に居座っていたのだという。アルコールでひたひたの依子の脳みそは、まあそういうこともあるかと事態を受け入れた。そして、漠然と人(?)恋しかった依子が、もう少し居座って構わないから代わりに元彼の話を聞いてくれ、と提案し、現在に至る。

 

 酒量に比例して、依子の愚痴は徐々にヒートアップしていった。

 

「つまんないってなんなんだよ。ンな漠然とした理由で捨てる?それも、二十代後半の貴重な三年間を費やした女を?ふざけんなよ。逆に聞くけど、じゃあ面白い女ってどんな女なの?ねえ教えてよ、どうすれば面白くなれるワケ?どうやったら、やり直してくれるの」

 

 愚痴のはずが、いつの間にか涙声になっていた。依子は、フラれた今でも、元彼がどうしようもなく好きだった。笑う時に困ったように眉を寄せる癖が、待ち合わせに遅れてきたときの甘えるようなごめんねが、楽器蛸のある右手の感触が、依子の心を捉えて離さない。

 

 依子の声色の変化を悟ったブッコローの目がきらりと光った。

 

「なるほどなるほど、酔っ払いのクダはめんどくせえけど、恋愛相談は大好物ですよ僕は。えーと、つまり、依子ちゃんは元彼がもう一度好きになってくれるような、面白い女の子になる方法が知りたいってことなのかな?」

「え、まあ、そうかな」

「しょーーーーじきに厳しいことを言うと、そんな男忘れちゃえよ次々ィッ!て思わなくもないけど、それじゃ嫌なんだよね?」

「……うん。けど、私、本当につまんない性格だから、面白くなんてなれないよね」

 

 ブッコローは、おほん、とわざとらしい咳払いをすると、胸を張って言った。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ、結局ね、大事なのは心の筋肉なんスよ」

「筋肉?」

「そ、筋肉。筋トレすると身体強くなるでしょ?それと一緒で、ガンガン外に出てって、ガンガン人と喋って、相手を楽しませるトレーニングをすればいいのよ。もちろん、初めから上手くなんかいかないからね。むしろ、どんどん滑っていけばいい。例えば、絶対ウケないよ?絶対ウケないけど、まずジャブとして『こんにちは〜、良質なタンパク源で〜す』って言ったらウケるかな〜って試してみるのよ。んで滑ったら『参ったな今日はベジタリアンの会合ですか?』って言うでしょ?んで滑ったら『ちくしょーもう煮るなり焼くなり好きにしてくれ今夜は焼き鳥!』って言うでしょ?んで滑ったら――ってやってるうちに、何故か土俵際でとんでもないうっちゃりを打つ時が来るから」

 

 ブッコローの言っていることは他愛もない冗談ばかりだが、畳み掛けるようなテンポの良さが快い。依子は思わず頬を緩ませていた。

 

「あ、笑った。イイ顔するね〜その方が良いよ、うん。でね、こっからが大事なんだけど、心の筋肉をどうやってつけるかって言うと、それは合コ――」

「わかった!ブッコロー、私、筋肉つける!」

「あれっ、一番大事なところを言わせてもらえなかった気がする」

 唖然とするブッコローを差し置いて、依子は決意を固めた。


 その日から依子は、一日300回の腹筋を3セット、腕立て伏せ同セット、背筋同セット、そして毎朝30キロの走り込みを行った。また、可変式のダンベル、腹筋ローラー、トレーニングベンチその他諸々の器具を購入し、昼と夜となく全身を追い込み続けた。無論、適度な休息と栄養補給も忘れない。

 

 みるみる逞しくなっていく依子の傍で、ブッコローは何故か遠い目をしていた。

「どうかな!ブッコロー!!私の筋肉ッ!!キレてるッ???」

「うん、いいんじゃないですか」

「ありがとう!ふん!!私の上腕二頭筋も喜んでる!フウン!!キてる!キてるよ!!ふーーーんッ!!!」

「そっかあ……上腕二頭筋が喜んじゃったかあ……」

「アーッ!うゥーーーんッ!」

 

 ブッコローの意図とは噛み合わなかったようだが、依子は確かに変わった。元カレに言われて己を変えるのではなく、己がそうありたい姿を目指して変わったのだ。すなわち、克己である。

 

 合コンで依子を一目見た人々は、あまりの逞しさに目を見張り、すばらしい筋肉だと褒め称えた。その経験が依子に自信と誇りを与えてくれた。

 

 そしてある日、依子は意を決し、元彼を深夜の公園へと呼び出した。元カレは、依子の変貌に目を見張り、呆然として地面にへたり込んだ。チワワのように震える元彼を見下ろしながら、依子は思った。

 

――つまらない男

 

 依子にとって元彼の存在はもはや重要では無かった。もうとっくに、依子は元彼を追い抜き、はるか後方へと置き去りにしていたのだ。清々しい気持ちで、依子は元彼の両肩に手を置いた。そして、丹田に渾身の力を込め、ただ一言こう言い放った。

 

「破!!」

 

 元彼は爆発四散した。


 元彼を撃破した後も、依子の弛まぬ努力は続いた。そして、彼女の筋肉はより強く、よりしなやかに、より実践向きに、鍛え上げられていったのである。やがて依子は、胸の奥に渦巻くとある衝動を抑えられなくなっていった。

  

「ああ、ブッコロー、私もう、自分が止められないの――闘いましょう」

 

 依子を突き動かしたのは、感謝の念である。ブッコローへの深い感謝、否、それだけではない、水、空気、大地、プロテイン、今の依子を作り上げたありとあらゆるものへ感謝が、鍛え上げられた筋肉を活かせ――闘えと、依子を突き動かすのである。

 

「まって依子ちゃん、僕はマスコットだから戦うのは」

「波動筋肉殺(マッスルウェーブ)!!」

 

問答無用!!超高温の熱波がブッコローを苛む!発達した三角筋を隆起させることで高熱の波動を発生させる、依子の必殺技である!

 

「ぎゃああああああ」

 

 電子レンジの原理でブッコローの血液が沸騰する。こんがりと焼き目のついた哀れな肉体からは、心なしか食欲を唆る良い匂いがする。一撃で命を刈り取りかねないその威力に、ブッコローは嫌でも本気にならざるを得なかった。依子は本気でブッコローを倒しにきているのだ。

 

「くそ、闘いたくはないけど、仕方ない!外れ馬券スラッシャー!!」


 ブッコローの素早い一撃が放たれる。手元にあるゴミを投げつけた、とも言う。だが、依子は怯まなかった。

  

「喝ッ!!!!」


 ただの咆哮である。しかし、地は裂け、雲はかき消え、物価は5%上昇した。武の極みに達した者のみがまとう圧倒的暴力に打ち据えられ、先に膝をついたのはブッコローだ。ボロボロの羽を庇い、地面に蹲る哀れな獲物の元へ、依子がゆっくりと歩み寄ってくる。


「刮目なさい、筋肉の躍動を。人間の真価を。これが、私から貴方への恩返し。『良質なタンパク源』として、私の一部にしてあげる」

「嘘でしょアレ真に受けてたの!?」

「私と共に、美しい筋肉を作り上げましょう」

「すごく嫌!!」

「ねえ、ブッコロー、私わかるの……私はまだ、強くなれる……」


 何かに呼ばれたように立ち止まった依子は、深く深く、どこまでも深く息を吸うと、目にも止まらぬ速さでスクワットを始めた。すると、丸太のようなハムストリングスが、ますます固く、大きく張り詰めていくではないか。いわゆるパンプアップである。依子はスクワットのペースを速めた。そのスピードは、一般人の動体視力ではもはや捉えることすら能わず、止まって見えるほどである。

 依子は深い陶酔に包まれていた。『極み』が近づいているという予感があった。そして、彼女の興奮が最高潮に達した時、それは起こった。 


「な、何!?この感じは……!?」


無限の膨張を見せるかに思われたハムストリングスが、突如として凄まじい光とエネルギーを発し始めたのである。

 

「ウオオオオオォ!!!!!」


 依子は身を捩り、悶え苦しみ始めた。異変を察知したブッコローが叫ぶ。


「大変だ、筋肉を追い込みすぎたんだ!!依子ちゃん!!クールダウンするんだ!!」


 依子はスクワットを止め、ジョギングに切り替えようとした。だが、何もかもが遅すぎた。ハムストリングスは膨張し続け、真っ赤な閃光を放ち始めている。このままでは、筋肉が超新星爆発を起こし、ブラックホールが生成されてしまうだろう。ともすれば、依子は地球諸共、塵も残さずに消滅しかねない。


 ブッコローは覚悟を決めた。差し違えてでも暴走を止めなければならない。傷んだ翼に力を込めて、その日最高速の飛行で依子の元へと詰め寄る!!


「くらえ!過剰な運動は逆効果(オーバーワークリフレクト)!」


全身256箇所の秘孔を突き、筋繊維を破壊するブッコローの必殺技である!鋭い突きを食らった依子の筋肉は、意志を持ったように蠢き、抵抗を見せた。しかし、限界を超えて酷使されてきた筋繊維は、その巨大さに反比例して意外なほど脆く、次々に崩壊していく。

 

「ぐ、おおおおおおおっ!」

 

 獣じみた末期の叫びをあげる依子に、ブッコローは優しく語りかけた。

 

「依子ちゃん、君はもう、十分頑張った。もう闘わなくていいんだ。だから、もう……もう、お眠り」


 その声に触発されるように、依子の瞳に理性の輝きが戻った。

 

「ブッコロー、ありがとう。強くなれて……貴方と闘えて……本当に、良かっ……た……」


 そして、天まで轟く真っ赤な火柱と共に、依子は燃え尽きた。後の東京タワーである。

 

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