第17話 聖女は悪い子?

 オミニスはあの日、決断をした。


 常人であれば、兄が殺されたか、兄が連れ去られたと思ったかもしれない。

 ただ、彼女には彼があの独房に、自分の隣で寝ていたことは分かっていた。

 分かってしまうのだから、そして彼がそれを受け入れていると知ってしまったのだから、彼女も受け入れるしかなかった。


 そして彼女は選択した。


「私はニュールお兄ちゃんの為に、戦いを選びます。」


 その選択にアルケネとネビラスは愕然としていた。


「パートナーは適当に選んで。私、あの人たちに興味ないから」


 彼女はきっぱりと言った。しかも王の前できっぱりと言った。

 黄金の世代のみならず、他の貴族の子らも肩を落とした。


 結局、誰も彼女の眼鏡には適わなかった。

 それはある意味、当たり前とも言える話。勿論、この世界の貴族の当たり前という意味。

 そして、その答えはユグドラシル夫妻の存在を否定するものでもあった。


 そこが親娘関係を拗らせた大きな要因。


「皆、私よりも器が小さいんですもの。これは当然の結果です。私が子を産んだとしても、私の器よりも大きくなりません。違いますか、王。違いますか、先生?」

「オミニス。黒曜柱には周辺の魔物とは異なる化け物がいる。」

「そうよ。偉人達でも敵わなかったのよ‼」


 夫妻は我が子を戦場に駆り出したくなかった。

 それは親として当たり前の感情だった。

 追い詰められた人間が、邪法に頼ってまで生み出した子供を、匿おうとした。

 そこが拗らせた一つの要因には違いない。


 だが、それよりも遥かに大きな要因があった。


「兄を更に虐げることで、月の女神ルナシスの加護を私に集める。だからこの一年で私はもっと大きな器を得る。違いますか、先生。」


 両親の顔を一切見ずに、もう一人の大賢者に詰め寄る娘。


「……それは、その通りじゃが。」


 そして。


「もしも私が戦わず、今の時代を継続する選択をしたら。……私の子、いえもしかしたら他の誰かの子が双子だった場合、私の兄のような存在を生み出すのでしょう?……私に言えたことではありませんが、唾棄すべき行為です。」


 彼女は両親、王、彼女の教師の前ではっきりと言った。

 それは自分の両親を否定する言葉でしかない。


 そして、実は——

 彼女の発言は、皆にとっては不可解に思えた、ただこれは後に語りたい。


     ◇


「私は……選択したのよ……」


 オミニスの手は未だに翳されたままだ。

 ただ、その手は震えていた。


 彼女の両親は巧妙に地形を選んでいた。

 だから、彼女の目を以てしても、ニュールが何処に居るか分からなかった。


「そんなこと……しないよね。ただ、交代しただけ……だよね……」


 月の位置を突然変える、それはオミニスには信じられない行為だった。


 確かに、月の冠ルネシスクローネの成長が完全に止まった訳ではない。

 そして今は夜だから、夜張の上に月女神の威光は降り注いでいる。

 兄を不幸のどん底に叩きつけて、更に威光を偏らせる。

 あの続きが行われたのかもしれない。


 それならば、殺してはいけない筈だ。

 だったら、彼は生きている。

 そう思うしかなかった。


 そして実は、彼女の感情を誰もが受け入れられない。


「聖女様、落ち着きましょう。そうです。そういう予定だったのです。」

「うんうん。オミニスちゃんが疲れたら、アタシが変わる。それと一緒だよ!」

「それに歴史的な戦いだ。犠牲はどうしても出ちまう。全部終わった後で考えようぜ。」


 確かに犠牲は出ている。

 それはオミニスの月下でも同じだった。

 1kmの半径を維持している自信はある。

 それでも、現れる魔物は常に新しく、兵たちはずっと同じ者。

 許容量の小さな兵は力を失い続けるし、大量だって無限じゃない。

 疲弊をして動きが鈍くなっている。


「オミニス様、ちょっと立ち止まった方が良いみたいですよ。小休憩を挟みたいみたいです。」

「……分かりました。では、私も少し力を弱めます。」

「ったく、弱っちい連中だぜ。ま、オミニスもリラックスしようぜ。」


 器に満たされた月力ルナフィールのペース配分が重要な戦いだ。

 ただ、皆はオミニスから力を得られるが、オミニスはそれでも力を出し続けなければならない。


 確かに過酷である。聖女クラスの月の冠ルネシスクローネ持ちがいなければ、こんな大規模な戦い方は出来ない。

 父や母の調査団の情報がなければ、更に過酷なものだったろう、それは分かる。

 何処にあるのか、皆目見当がついていない状況では、退却のタイミングさえ分からない。

 五人も黄金の世代がいるが、間違いなく貴族優先で帰されるから、月下範囲は小規模となるだろう。

 それによって、どれほどの平民兵が失われるのか。


 ただ。


「ちょっと待って、セシリア。その情報は何処で手に入れたの?あんた、ずっとそばに居たわよね。」


 聖女は顔を顰めた。

 思考能力が落ちてきているらしい。

 考えることは多いが、今優先したいのはそこではない。


「伝達隊ですよ。ユーゴが戻ってきたんですよ。」


 そして、この男。


「はい。ただいま戻りました。愛しのオミニス様。僕が伝達部隊の責任者ですからね。」

「よくも戻れたわね。ニュールを死地に追い込んでおいて。」


 すると彼は肩を竦めてこう言う。


「聖女様。僕たちは平民の名前をいちいち覚えていませんよ。領地を持っていた時代とは違うのです。」


 だったら貴族など名乗るな!と言いかけた。

 けれど、その感情を押し殺して、今できることを伝える。

 そも、この男の顔は見たくない。


「……そう。それならもう一度伝達に行ってもらえる?お父様とお母様にニュールを守るようにと伝えてきて。あの二人なら、それで通じるから。」

「お言葉ですが、貴族ならまだしも。平民の……、しかもあのような能無しに割く時間はないかと。」

「能無しって?そうね、あんたはここに居なかったもんね。私の力は……、お兄ちゃ……」


 その瞬間、オミニスの頭に昇った血が、一気に下がっていく。

 彼女の月光縁に別の月光縁が触れたのだ。


「この……力。お父……様?」


 すると、ギラギラの銀髪男が一度息を吸い込んで、


「あぁ、そうか。そろそろ目的地周辺です。聖女様、計画通りですね。」


 計画通りと言った。

 そして、月光が重なる面積が大きくなり、そしてあちらの半分くらい重なったところで、彼女の父の月は消えた。


「おや。やはり僕が行く手間は無かったようですね。僕にオミニス様のような力があれば違ったのですが。」


 彼らは次々と彼女を煽る言葉を並べるが、実は彼女を煽ってはいない。

 煽っていると気付かずに煽っている。


 ——もし、彼女が彼で彼が彼女であれば、オミニスも同じ発言をしたかもしれない。


 つまり今のオミニスにも見えていないことがある。

 同じ理由で、彼女は彼を大切に思っているのだが。


「オミニス!よくやった!」

「オミニスちゃん、凄いわ!」

「お父……様?……お母様?」


 だが突然の両親の来訪に、彼女は呆然としてしまう。

 大切な存在がいないのに。

 それなのに、駆け寄ってくる父と母の笑顔の意味が分からない。


「ここからは私が月を作るから、オミニスちゃんは休みなさい。」

「あぁ、最後の仕上げはオミニスにやってもらわねばな。ここまでよく頑張ったな。」

「え……。私が月を作らないと……。それよりニュールは……何処?」


 黒曜柱を破壊すれば勝ち。

 魔物は皆、動きを鈍らせるから、少ない兵力でも問題はない。

 その結果、国土が今までの1.5倍になり、大偉業の達成となる。

 敗北を続けていた人類にとって、歴史的な勝利は目前である。


「オミニス。もう、アレに気を遣う必要はない。」

「ちゃんと私が責任を持って潰しました。これで後顧の憂いはないでしょう?やっぱり私たちの選択は正しかったのよ。」

「あぁ。お前を選んで本当に良かった。」


 この瞬間、今まで頑張ってきたオミニスの心に亀裂が走った。


 一年前に二人が言った『選択』という意味を、ついに理解した。


「私を選んだのは……」


 彼らは禁忌の邪法を使った。

 双子の片方を生贄のように使うという非人道的なもの


 そんな方法で聖女が生まれる筈がない。


「聖女という言葉に騙されていた……」

「何を言っている。私たちの可愛い聖女だ。」

「そうよ。ほら、早く手を下ろしなさい。貴女は神様に選ばれた人間なの‼」


 二人が選択したのは、邪法を使うか、使わないかではなかった。


 二人が選択したのは、どちらの子が、彼らの言う貴族らしい子に育つか、という素質の選択。


「私は……、ずっと私は……、私が忌み嫌う貴族そのものだった……」


 心の亀裂が広がっていく。

 もしも、彼が選ばれていたら。

 もしも、自分にあんなに優しい彼が選ばれていたら。

 もしも、彼が自分だったなら、同じ道は歩んでいない。

 もしも、自分が彼のようだったら、邪法はどこかで破綻していた。


「もしも……、もしも……、もしも……、もしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしももしも」


 仮定の話が心の中で膨らんでいく。


 ユグドラシル家の名を捨てるということは、貴族でなくなるということ。


 そして、この貴族の戦い方は貴族を最優先に考えるもの。


 その中心にいたのは自分。


「オミニスちゃん。早く、月をしまいましょ。アルケネが既に月を作られているわよ。」

「オミニス、どうした?もう、何も心配要らないんだ。ちゃんと選択できた偉い子だ。」


 私は選んだ。私が選んだ。


 だから、全てが計画通りに進んでいる。


 だって、私は聖女じゃなかったんだから


 だって、ただの悪女だったんだから



 私がお兄ちゃんを殺したんだ……

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