第16話 罪、滅ぼし
『ねぇ。恨めしいよね?』
「全然、恨めしくないよ」
『嘘だ。どう考えてもおかしいじゃん』
「そんなことない。俺は恵まれている」
『またまた。普通に考えてよ。目の前で他人のフリを続けられていたんだよ』
「普通に考えているよ。普通に俺は恵まれている」
『じゃあ、質問を変えよう。生きたい?』
「うん。行きたい」
『こんな扱いをされて、死にたくない?』
「死にたくない」
『あっそ。それはそうか。だって君は』
「そうだ。俺は」
『成程。君はそういう存在なのか』
「お前こそ、そういう存在なのか」
ニュールはユグドラシル家の紋章を見た瞬間、暗闇の中で過ごした一年間の記憶を思い出していた。
彼にとって、暗闇は寧ろ心地良いものだった。
ただ、心地良いことが苦痛でもあった。
「だから、俺にとってはプラスマイナス0。でも、それじゃあ駄目だった。」
最初は自分の心の声かと思った。
流石にそこまでされたら、心のどこかにあったモヤモヤが爆発してしまう。
そう、思っていた。
——でも、違う。
だから、自分の心の声と思ったのは彼が生まれた時に要した時間と同じ、コンマ1秒だけ。
「だって、俺は俺よりも不幸な存在を、……ずっと見続けてきた。ずっと感じてきた。でも、生まれた時からそれが当たり前で、誰かに聞いてもはぐらかされて。世界の為、世界の為と言われて、それは確かにその通りで。」
月の明かり、大きさから
先の白髪男の
アレは多分、力を抜いていた。
「成程、これくらいの大きさを作れるとしたら、お父様かお母様か。……あれ、俺はもうユグドラシル家じゃないのか。それじゃあ、オミニスの御父上と御母上の方がいい?……ねぇ、いいかな?トム先輩」
「って!知らねぇよ‼いきなり現れたと思ったら、何をぶつぶつ言ってるんだ。っていうか援軍がお前だけって意味が分かんねぇんだけど‼」
確かに、ここは聖女様が作り出す月下の戦場とは似ても似つかなかった。
単純に半径が三分の一以下だから、面積はその二乗小さい。九分の一以下しかない。
それだけでも聖女の力の凄さが分かる。
そして、それだけではない。
「……いや、お前だけでも居てくれると助かるか。とにかく、気を張れよ。」
「暗いっすね。先輩。」
「トマソンとグリル。それ以外にもいっぱい死んだ。」
いや、そっちの暗いじゃないんだけど、という言葉をニュールは呑み込んだ。
単純に範囲の違いだけではなかった。聖女様の月下と比べて、光量が全然違う。
あの時、ニュールは月よりも明るいと感じたが、こっちは月よりもずっと暗い。
「想像はしてたけど、壁の向こう側がこんなに過酷とは思わなかった。……いや、想像以上か。」
「トム先輩、この円は何処を目指しているんですか?」
「どこって。多分西北西くらいだと思う。方向なんて見る余裕はなかったけど、そういう作戦だっただろう。ニュール、喋っている余裕はないぞ!」
ニュールは月の出ている時間の殆どを寝室で過ごしていたが、入る直前にチラリとだけ夜は経験している。
月の女神ルナシスの加護を受ける為に、ユグドラシル家では大きな敷地の殆どの明かりを消していた。
だから、月の光が建物のステンドグラスを照らし出す、その程度しか明かりはなかった。
そして、ここはそれよりも暗い。
「先輩。あっちと同じやり方で行きます。俺がおびき出すので、一匹ずつ全員で長槍で殴ってください。」
「お前!死ぬ気か?」
死ぬ気?愚問である。
「死にたくないっすよ。」
アレの言ったようになってしまうから。
単に邪魔だったから『ジャマ』と勝手に名付けたアレの言った通りにならないように。
二卵性双生児の片方にだけ
二つ目の邪法がとんでもない代物だった。
——敢えて互いを見比べさせるという外道
確かにアレで、オミニスの
陰と陽を明確にさせることで、陽を強くさせる。
マイナスが大きいほど、プラスも大きくなるのだろうから、彼女は光り輝いているのだろう。
ただ、彼女の心がそれに耐えきれるとは思えない。
「オミニス様は優しい聖女様だから、俺は死ねないんです。」
彼女は絶対に苦しんでしまう。だから、死ねない。死にたくない。
あの子の心を壊したくない。
元気な不幸でないと、明るい不幸でないと彼女が本当に不幸になってしまう
「じゃ、一匹釣ります。」
そしてニュールはあちらと同じく石を投げた。
ただ、その行為がトムには奇妙に見えた。
彼は暗闇に向かって石を投げている。
しかも。
「来ます!みんな、構えて‼」
彼の言った通り、大型のトカゲのような魔物が黒の壁から姿を現した。
「行くぞ、お前ら‼」
トムが生き残れていた理由はニュールが一番知っている。
北サイルヒレン地区の住民は体格に恵まれている。
北の山岳地帯に住むドワーフとホビットの国『ストーラ』、その血が混じった人間が住んでいるから、体格に恵まれている。
体格に恵まれているということは、ドワーフ要素の方が強いのだろう。
「さっすが、トム先輩‼俺が持ち上げられなかった男‼」
「んだよ、その言い方‼っていうか、お前。今、壁に向かって石を投げなかったか?」
黒の壁、漆黒の壁、いくつも呼び方のある
だから、為す術なく殺される。
「固いパンの欠片と水が差し込まれる一回だけ、一秒だけうっすらと光が射しこむ。そんな一年を過ごしてたんで。多分、俺は目が慣れているみたいです。」
トムはゲインよりも、ニュールが置かれていた立場を知っていた人間だ。
それでも、背筋が凍り付く話。それを彼は楽しそうに語った。
「問題はトイレだったけど、何故かトイレに行かなくても問題なかったんです。気合……かな。臭いがあっちにいったら不味いって思って」
そんな話を嬉しそうにしながら、石を投げる。
すると、魔物が壁から顔を覗かせるので、それをみんなで潰す。
トムには魔物よりもニュールが怖く思えた。
想像したくはないが、生まれた時から幽閉されている方がマシだったのではないか、とさえ思えてくる。
年々、彼に対して厳しくなる法律を、トムは知っていたからだ。
「お前、やっぱ凄いな。自分と誰かを比べてしまう状況を無理やり作らされていたんだ。俺だったら……」
「いえいえ。トム先輩、羨ましがってたじゃないですか。俺、凄く幸せなんで……」
「あぁ。そんなこともあったな。そりゃ、確かに……、ん?ニュール、どうした?」
彼一人が加わっただけで、目に見えて戦いやすくなっていた。
だから、トムも話を余裕が生まれかけていた。
だが、そんなムードメーカーの彼が、突然動きを止めて真剣な顔になっていた。
いつも笑っている彼が。何をされても笑っていた彼が。
「先輩。……この円。西北西じゃなくて、北北西に向かってます。」
その言葉の意味をトムは一瞬理解できなかった。
どちらにしても西に向かっている。
大した違いには思えなかった。それよりどうして方角が分かったのか、そちらの方が疑問だった。
だが直後、彼は振り向いてこう叫んだ。
「皆!南!月のある方向に‼今すぐ‼」
「はぁ?督戦隊が居るんだぞ‼そんなこと——」
「急いで‼督戦隊の人がいるんだったら、その人も一緒に‼」
そして、彼らを照らす月が消えた。
そのすぐ後に300m南側に新しく月が生まれたかは、この夜帳の中からは分からなかった。
◇
パートナーを見つける理由は、
ただ、ネビラス・ユグドラシルとアルケネ・ユグドラシルなら、こんな芸当も出来る。
アルケネが作り出した月光の下縁にネビラスが立ち、アルケネにギリギリ届く月を発生させる。
何度も調査団で一緒に歩いた場所だから、地形情報も頭に入っている。
それに二人は黄金の世代に引けを取らない月の冠持ち、だから聖女が生まれたのだ。
その身体能力を以ってすれば、300m以上離れていたとしても、平民兵を押しのけて合流することは可能だろう。
「これで漸く私たちの罪が消えた。」
「そして、やっと私たちのオミニスが何にも縛られない聖女になったわね。」
因みに、この場にニュールが居て、二人が迂闊にも彼の前でこの話をしたとしても、ニュールは自信をもって、自分は愛されていると言うに違いない。
もしも愛がなければ、二人は罪悪感さえ抱かなかったと言うだろう。
——勿論、それは彼女の心が壊れなかったらの話だが。
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