第15話 真実を知った日
私は彼が羨ましくて仕方なかった。
五歳か六歳くらいの頃だったろうか。
「お勉強やお稽古もしない。ご飯食べたら直ぐに遊びに行くって羨ましいなぁ」
庭園を駆け抜けていく少年を見て思っていた。
同じ家に住んでいる、地味な感じの少年。
隣の部屋で寝ている誰か、親戚の誰かかと思っていた。
そして、彼の両親の放任っぷりが羨ましくて堪らなかった。
「オミニス、貴女は特別なの。他所は他所。うちはうちよ。」
「いいなぁ。私もあの子の家に生まれたかったぁ。」
「オーミーニースー?それ、どういう意味?私はとっても優しいお母さんよ?」
確かに母は優しかった。
確かに父も優しかった。
課題を熟せば、多少の我が儘は聞いてくれたし、欲しいものは何でも手に入った。
「行ってきまーす!」
彼は何故だか、うちの両親に挨拶をしていた。
ただ、父も母も彼を殆ど見ることをしなかったので、別の誰かに行ってきますを言ったのかと思った。
「ねぇ。お母様。あの子、誰?」
「オミニス。変な子だから見ちゃいけません!」
彼は殆ど文字も読めず、頭のおかしな男の子だったらしい。
ただ、流石に。
彼がこの家にいるのはおかしいと思ったわけで。
朝食にも夕食にも彼がいるし、彼は一人しかいないしで、あまりにも変だったわけで。
大賢者グレート・ズノール様の話を聞けば聞くほど、おかしいと思う訳で。
寝屋に連れて行ってくれるのが、女従に変わった時に聞いてみた。
「ねぇ、あんた誰?」
すると、彼は困ったような顔をした。
そして。
「わ、は、話しかけてきた。どどどどうしようー。」
「え、ちょっと逃げないでよ!」
その時は隣の部屋に逃げられてしまった。
そして、従者に手を引っ張られて寝床に就いた。
ただ、それからも何度も顔を合わせるわけで。
父と母が連れてきていた頃は、全然気にならなかった。
多分、父と母は隠していたのだ。
「今日も可愛かった!俺の妹‼」
その声を聞いた瞬間を、私ははっきりと覚えている。
力がついてきたと実感したから間違いない。
あれは私が七つになった頃だ。
ただ、聞こえた言葉の意味が分からなかった。
だって、彼はいつも一人なのだ。
意味が分からないから、グレート・ズノール先生に聞いてみた。
「ふーむ」
困った顔をしたので、何度も何度も聞いてみた。
「どうして同じ家に住んでるんですか?どうして食卓の片隅で一人でパンを齧ってるんですか?なんであたしの隣で寝ているんですか?」
一時間くらい粘っただろうか、老爺も一時間ぐらい考え込んだだろうか。
「これは知っていなければ、効果が薄くなる呪法だった筈。もしや……」
当時の私は自分が人々の希望になると聞かされていた。
自分の
だから、彼の説明がストンと心に入ってきた。
「そういうわけで御両親は教えることが出来なかったんじゃ。そしてこれは偉い人なら全員が知っていること。流石に隠し通すのは無理があるじゃろうしな。それにアレは既に知っておるのだし。」
そこで漸く私は彼の事を知った。
「私のお兄ちゃん⁉」
彼は器の殆どを捧げただけでなく、両親の愛も生まれの良さも奪われた存在だった。
彼が知っていたのは、昼間はずっと孤児院で過ごしていたから、そこで聞いたらしい。
そして彼の両親が放任なのは、私の両親が彼を放置したからだったらしい。
「行ってきますって言ってたのはそういう意味……」
そして人間の最底辺という肩書きを背負って十七歳まで生きるのだという。
十七歳からが彼の人生の始まり、でも彼には力が全くないらしい。
空っぽの人間として、無能な人間として、力もない人間として、平民としての人生を送るらしい。
その頃既に私は社交場に顔を出すようになっていて、馬車の車窓から彼が庶民連中に絡まれる姿も目撃していた。
男ってバカ、とその時は思ったろうか。
顔立ちは確かに似ていなくもない。
でも、彼の体からは何の力も感じなかった。
知ってしまえば、後は簡単だった。
実は私の周りの人間は全員知っていたのだから。
「ねぇ。あの変な奴、昼間なにしてんのー?」
そんな質問をしつこくすると、日々の食べ物を手に入れる為に働いているらしいという話まで聞けた。
だから、皆の隙をついて、本人に直接聞いた。
「あんた、私のお兄ちゃんなんでしょー。名前はなんていうの?」
「な、名前?そんな上等な……。何もないって意味でニュールって言われてるのは知ってるけど。」
その言葉に当時の私は目を剥いた。
オミニスは全てを持つという意味だ、と聞かされていたからだ。
話で理解するのと、本人から直接聞くのとでは大きな違いがあった。
だから、つい好奇心で聞いてみた。
「ねぇ……。辛くないの?お父様とお母様に無視されて……」
今の私に直接聞く勇気はない。
でも、当時の私は勢いで聞いてしまった。
そして私は、……彼がいつも笑顔でいる理由を知った。
「気にしてないって。それに全然辛くない。寧ろ、大変な役を押し付けてゴメンって思ってた。」
ただ、私はあまのじゃくで。
「本当よ。私、すっごく勉強しないといけないんだからねー。」
日頃の鬱憤を彼にぶつけてしまった。
すると彼は本当に申し訳なさそうな顔をしながらこう言った。
「うん、俺は頭も悪いから。それに何も出来ないみたい。だから、ゴメン。俺にはオミニスの代わりは出来ない。でもさ、俺が不幸になったら、オミニスが幸せになるんだろ?それって凄くない?何も出来ない俺が、ただ不幸になるだけでいいんだって。それだけで俺の妹が幸せになる。だったら絶対にそっちのが良いじゃん‼」
彼は無邪気に笑い、ちょっとだけ照れていた。
だから、なんとなくだけど、彼の言っていることが嘘じゃないと分かってしまった。
「不幸とか幸せとか言われても―。それってよく分かんないんだけど。」
そして私も負けていなかった。
彼の境遇を噛み締めていなかったから、私は平気でそう言った。
すると彼は。
「じゃあ、簡単な話!俺が腹減ったり、誰かに殴られたりしたら。その分、オミニスが可愛くなる!あ、あれだから!今も十分可愛いから‼」
流石にそれは恥ずかしかった。
だから、私は話題を変えた。しかもとんでもない方向に。
子供だから聞けたのかもしれないけれど。
「ちょっと、気持ち悪いー!それよりもあんたさ。お父様とお母様を恨んだりしてないの?捨てられたみたいなもんじゃん。」
非人道的な禁術。世界情勢なんて、子供には分からない。
それでも彼が親に捨てられたことは分かった。
ただ、彼は。
「うーん。よく分からないんだけど、俺は多分幸せだと思う。それにあんな凄い人が俺の両親ってだけでお腹いっぱいだよ。」
そして、こう付け加えた。
「なんとなくだけど、ちゃんと愛されている気はする……かな?あ、やば!流石に話し過ぎたらしい!」
私はその後、隙を見つけては兄と話をするようになった。
彼はいつも笑っていて、いつも私を誉めてくれた。
結局、それがバレて話さえ出来なくなってしまったのだけれど。
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