第8話 誰よりも強い人

月女神の威光ルネシスムーンレイ‼」


 白髪の青年、ユーゴ・バムートは馬上から、半径200mを照らす月を作ってみせた。


「ほら、僕もなかなかなものでしょう?流石に聖女様ほどではありませんが。あ、君には違いが分からないんでしたね。」


 ニュールは彼の狙いが分かっていない。

 これは自分に向けられた話だと直感的に思っただけだった。

 勿論、それでも理解に苦しむ話だ。

 暗闇の中を複数人連れて歩くのは得策ではない、くらいは思っていたが。


「その力は本来、聖女様がお戻りになる為のもの……ですよね。俺なんかの為に使う意味はない。」


 元々、黒曜柱を見つければ、見つけてそれを破壊すれば済む計画だ。

 オミニス隊だけでも辿り着ければ済む計画だった。

 だから苦戦しているのであれば、撤退をすれば良いだけ。


「さっきも話したでしょう。これは上からの命令です。」


 気味の悪い彼の体にしがみ付かなければならなかった。

 だから、複数人での移動が目的ではないと分かったのだが。


「聖女様だけでも辿り着けばよい。だが、万が一の場合、聖女様を連れ帰るために有能な人間が護衛に就く。それくらい、俺にも分かります。」


 刺激をすれば、暗黒が広がる。

 だが、オミニスが生きていれば、抵抗できるかもしれない。

 勿論、五人もいるから一人くらい、という考えかもしれないが。


「全く。その程度で知った口を聞かないでください。これが一番良い方法だと、大賢者様が仰られているのです。」


 ニュールの眉間に皺が寄る。

 果たして、何時ぶりに皺が寄っただろうか。

 彼自身も覚えていないほど、ニュールはずっと笑顔で過ごしてきた。


「どっちの大賢者様ですか?」


 それで意味がまるで変ってくる。

 だから、彼は聞いた。でも、帰ってきた言葉は。


「平民に教える義務はない、ですよね?僕だって、これに何の意味があるのか、正直分かりませんし。」


 曖昧な返事。でも、ニュールには十分すぎるものだった。

 だから、彼は懸命に言葉を選び始める。


「ユーゴ様は俺をユグドラシル隊に連れて行った後、聖女様の元にお戻りになるのですか?」


 慎重に、一生懸命に、何も分からない状況で、彼は必死に考えた。

 この作戦の意味、この作戦がもたらすもの。

 全てはアレに繋がっているのだろうから。


「はい。当たり前のことを聞かないでください。僕はオミニス様をお慕いしておりますから。」


 その言葉に嘘はない。

 直感だが、それは分かった。

 それならば、この後起きると予想されるものは。


 ただ、彼が思い出せる中に答えは見つけ出せなかった。

 考えれば考える程、漆黒の中で過ごした一年、暗闇しか思い出せなかった。


 分かっていることは、彼が独房と呼べる場所に閉じ込められた直ぐに、この計画が始まったこと。


 だったら、これしかないと思った。

 だから、ニュールはこの不気味な男に縋るしかないのだ。


「それなら伝えてください。俺は——」


 だが、この男はそれをきっぱりと断ってしまう。


「そんなの伝えるわけないじゃないですか。僕はオミニス様をお慕いしている、聞いていませんでしたか?あぁ、そうでした。僕はどうして、蚊トンボと話をしているのでしょう。さぁ、見えてきましたよ。ちゃーんと元家主に尽くしてくださいね。」


 そして見えてくる、あの紋章。

 アテラマース王国の名家の紋章、ユグドラシル家の紋章。


 その瞬間、彼は腕を掴まれて、強引に投げられた。

 流石、黄金の世代。

 月の冠ルネシスクローネが桁違いに大きい。


 勿論、ニュールにそれは見えないし、感じることも出来ない。

 

 ——ただ、この行いが何を齎すのか


 それが恐ろしくて堪らなかった。

 恐ろしいという感情を味わったのは、どれくらい前だったろうか。


 自分の身の危険よりも、ずっと恐ろしいことが起きなければ良いけれど。

 そう思いながら、彼は追い出されたばかりの家の主人が作り出した、月の光の下に投げ出された。


     ◇


 オミニスは今の世代では最強の月魔術師である。

 視力も聴覚も嗅覚も触覚も味覚も知覚も全てにおいて、優れている。


「ねぇ!今、月女神の威光ルネシスムーンレイが発動したわ。これ、どういうこと?ユリウス、説明しなさい。」


 1km先のこととはいえ、自分が生み出した月光に一瞬だけ別の月光が重なったのだ。

 それくらい簡単に気付ける。

 それに。


「ユーゴは何処?さっきから全然姿が見えないんだけど‼」


 周りの誰かが居なくなったのだから、誰の月魔法か直ぐに分かる。

 だが、その問いに誰一人応える者は居なかった。

 だから、直ぐに何をされたのか気付いてしまう。


「答えなさい。ユーゴがあの者を連れ去ったのでしょう?」

「聖女様?聖女様は何を仰られているのでしょう。」


 オレンジの髪の女。リリンシア・ズノールがただ首を傾げる。


「知っているんですね。私の円から離れた方向にはお父様とお母様が居ます。そこに彼を連れて行ったのですね?」

「おいおい。聖女様よぉ。聖女様は万人を平等に扱うから聖女様なんじゃあねぇの?」


 銀髪の真ん中が金髪の男が、こんな時だけ聖女の扱いを強調している。

 ルドルフ・オルディン、オミニスと同じく侯爵の人間が。


「そうです。私は聖女です!そして、この聖戦は私が開いたものです!私には責任があります。」

「ウチたちもその聖戦に参加しているんですよ、オミニス様。あちらは多くの死者が出ていると聞きます。援軍を向かわせるのは理に適っていると進言させて頂きます。平民は我が国の財産です。守るのが貴族の務めですよ‼」

 

 紺色の髪の女。セシリア・フエンルリが、今になって平民がどうとか言っている。

 月女神の威光ルネシスムーンレイは詰まるところ、中央の貴族のみが助かる魔法だ。

 今更、平民の安否を気遣うフリをされると虫唾が走る。


「分かりました。それならば私にも考えがあります。私がお父様とお母様と合流すれば良いだけの話です。そうすれば、全てが解決します。」

「何を言っているのですか、聖女様。黒曜柱を目指し、夜帳とばりを破壊すると仰られたのは貴女です。蚊トンボ如きで聖戦を破棄するなど、言語道断です。」


 ユリウス・カイゼルゼータ。

 王の三男が、急いで黄金世代入りを果たした分際で、知った風な口を利く。


「蚊トンボなどと、不愉快です‼皆も知っているのでしょう?ここに居る誰よりも、あの者は強い。ここに居る誰よりも国民を救っているのは、あの者です‼」

「オミニスちゃん。何を言っているの?オミニスちゃんがみんなを救うんだよ?あんなスッカスカに何が出来るって言うの?」


 リリンシア・ズノール。グレート・ズノール、大賢者の孫がまた歯向かう。

 こいつは絶対に知ってる筈なのに、聖戦の意味も知っている筈なのに。

 聖女の存在の意味を知っている筈なのに。


「この力は私だけの力じゃない‼あんたは知っているでしょう‼私は……、私だけの存在じゃない‼もう、いい。私があっちに行く‼勝手に馬を借りて、私だけでも——」

「それしちまったら、南側の平民が死ぬんじゃね?聖女様が死ねと命じたなら、仕方ねぇけどな。」

「あんたの月で照らせばいいだけでしょ。」

「ウチたちは黄金世代。でも、聖女様の足元にも及びません。」

「兵を移動させれば済むだけです‼」

「オミニスちゃん。盤上ゲーム得意じゃないの?アタシたちを守るコマが何処にもいないじゃない。」


 彼らは頑なに動こうとしなかった。

 そして、元々こういう計画だったんだと分からされた。

 間違いなく、彼は誘導されてこの戦場に来ていた。


「私もコマの一つなのよ‼私は聖女なんかじゃない‼」

「それは……、ある意味で正解。でも——」

「そうだな。もうすぐ完成する、という方が正しいか。大賢者様がそう仰られていた。」


 彼女も彼と同じ質問をすることになる。


「それはどっちの大賢者様?」


 そして、彼女だけはきちんと答えを受け取れる。


「勿論、聖女様のお母上の方です。」


 この瞬間、彼女の母が作っていた月が消えた。


「……お母……様。どう……して……」


 そして、そこから300m離れた場所で彼女の父が新しい月を作り出した。


「お父……様……。なんで?私はちゃんと選択したのに‼」

 

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