第7話 伝達

 ニュールは聖女が心配する月光のギリギリに立っていた。

 地形に凹凸があるせいで、その縁が揺らいでいることに気付けないでいる。


「ニュール!ギリギリは危ないって!こっちに戻ってこい!」


 灰色の髪の青年は月力ルナフィールを持っていない。

 一般人であれば持っている物を持っていない。

 だから、中央サイルヒレン地区で見ていた太陽と同じような現象だと勝手に思い込んでいる。

 もしくは先ほど初めて見た月と同じものだと思っている。


「えー。なんで?」

「オミニス様も人間だぞ。ずーっと維持するのって大変らしいんだ。」


 その言葉を聞いて、彼はチームの所に走って戻る。

 走りも非常にトロいと昔から言われているが。


「そっか。これってやっぱり疲れるのか。やっぱりすごいな。聖女様って。」

「そうだよ。お前って目が悪かったんだっけ。あそこの真下から真上にキラキラしてる蝶々って見えない?」


 目が悪いという話はしたが、月力を持っていないと話していなかったっけ。

 彼は記憶を手繰り寄せようとしたが、直ぐに諦めた。

 確か、頭も悪かった筈だ。


 だから、額に庇を作ってみたり、目を細めてみたりした。


「うーん。月が明るすぎてよく見えないな。そっか。そっちに聖女様がいるのか。」


 そして、彼はクルリと回転して、再び深淵の方に向き直った。

 既に夜だから、十二時間以上は経っているだろうか。


「長く見積もっても二十時間。……たった二十時間だ。」

「ちょー。危ないって‼」


 ニュールは月明かりの外縁の一歩外に踏み出してみた。

 月女神の威光ルネシスムーンレイには明快な境界線がある。

 減光していく、という性質がないからゲイン達、東サイルヒレン地区農民には彼が消えて見える。

 そして、真っ黒な中から再び彼の姿が現れる。


「え?どうだった?」


 誰かがそう聞いた。

 すると、彼はニッコリとほほ笑んで。


「真っ暗だったよ。」


 と言った。

 そして、彼はそこで考え込んだ。

 月光が移動してくれるので、彼の後ろの魔物は仲間たちが見つけ次第倒してくれる。


「……おかしいな。明るい時間だって沢山経験した筈なのに。暗闇の中で過ごした一年の方に懐かしさを感じるなんて。」

「何言ってんだ?」

「いや、なんでもない。色んな事を経験しておくべきだなって思って。」

「死んだら経験もクソもないんだぞ。」

「お、本当だ。前にゲインにパンくずをクソ塗れにされたっけ。」


 そうだった気がする。

 その時はまだ明るい方に慣れていた。


 ……でも、その時だって暗闇の方が好きだったんだ。


「はぁ?アレはお前がのろまだったからだろー。まーだ引き摺ってんのか。」

「引き摺ってなんかないよ。懐かしい思い出だ。」


 本当に引き摺っていない笑顔を見せられて、ゲインの方が逆に俯いてしまった。


「いや、本当に良い思い出なんだから。そんな顔しないでよ。」

「アレは……」

「分かってる。俺も分かっているから。あの時、あぁしなければ、ゲインが罰せられていた。」


 そして彼は元いじめっ子だったゲインの肩を二度、トントンと叩こうとした。

 ただ、それは二度目の途中で終わってしまう。


「ん?なんだよ。肩を置いて。俺もちゃんと割り切って……、っておい。どうした?」


 異変を感じたのはゲインだった。

 今日はずっと楽しそうだった、彼の動きが止まってしまったのだから。


「……ちょっと訳アリっぽい感じだなーって。」

「訳アリ?何の話——」

「ふーん。この辺りは結構余裕そうだね。他では結構死人が出ているっていうのに。」


 ゲインは知らない男の声を聞いた。

 そしてニュールもたった一度しか聞いたことのない声だった。


「聖女様のお守りはどうしたんですか。貴方は貴族様ですよね?」


 ゲインの肩が飛び上がった。

 先の知らない声にではなく、知っている筈なのに知らない声を出した彼に驚いた。

 少し高めの声、声変わりしたのか怪しい声だったのに、やけに低く聞こえた。


「えぇ。そうですよ。僕は貴族です。ユーゴ・バムートと申します。流石にこの髪では分かってしまいますか。オミニス様の月女神の威光ルネシスムーンレイ、いえ月力ルナフィールにとても映える色だと思いません?」


 白い髪、白い鎧。白い馬。

 そしてえんじ色の瞳。

 流石に近くで見ているから覚えている。


「こんなところに来るべきではない方ですよね。オミニス様の側で、オミニス様をお守りするのが仕事でしたよね?」

「そうですよ。ですが、伝達役でもあります。これも僕のお仕事です。」


 数年程度の付き合いしかないが、しかもここ数年は会ってもいないが、ゲインはこの時、ニュールの真面目な顔を初めて見た。

 何をされても、ずっと笑っていた少年。

 ニュールとはそういう少年だった。


 そして、後ろからやってきた男も不気味、いや一目で分かる。


「黄金の世代……」


 ゲインはつい、口に出してしまった。

 バムート伯爵家の四男、そして黄金の世代として有名な一人。

 平民には畏れ多い人間の一人だった。


「そうですね。それにオミニス様の言葉ではここにいる全てが黄金の世代です。流石はオミニス様。半径1kmも照らしておられるから、本当に死人が少ないんです。」

「……何を仰られているのか、全然分かりません。俺は頭が悪いんです。」

「えぇ、聞いています。というより、そんなに睨まないでください。僕はただ、伝達に来ただけですから。」


 ユーゴ・バムートの喋り方は至って普通。

 そして、ニュールの喋り方も他の誰かだったら普通だった。

 でも、だからこそ怖い。

 力も何も感じない、あのニュールだから怖かった。


「成程。伝達役ですか。そういう説明があった気がします。それで俺達に何を伝えにきたんですか?」

「やはり頭の回転は悪いらしいですね。さっきから言っているじゃないですか。他の部隊では死人が出ているのに、ここはかなり順調ですね、と。」

「それを伝える為に来た……と?」


 この瞬間にゲインは不味いと思った。

 何に対してか、分からないけれどニュールは間違いなくキレている。

 しかも、絶対に敵わない相手に対してキレている。

 力という意味でも、権力という意味でも。


「ちょっと待って、ニュール。落ち着けって。いつものお前じゃないぞ?ユーゴ様、その通りです。ここは聖女様のお陰で、かなり安全に踏破できています。それで俺達は何をすれば宜しいんでしょうか?」


 普段なら絶対に割って入らないのに、割って入ってしまった。

 ただ、その白髪の貴族はえんじ色の瞳を薄くして、優しく微笑んでくれた。


「理解が早くて助かります。そちらの蚊トンボとは大違いですね。」


 蚊トンボと聞いて、ゲインは目を剥いてニュールを見た。

 だが、そこは反応しないらしい。

 だから、ホッと胸を撫でおろしていると。


「簡単なことです。貴方達をユグドラシル部隊に異動させる、という上からの指示をお伝えに来ただけですよ。こちらは楽勝、あちらは苦戦。これは当たり前ですよね?」


 とんでもない話がやはり飛び出してきた。

 言っていることは至極真っ当である。

 ただ、死人が多く出ている隊に移されるのは流石に怖い。


「え……。それは……」


 逆らってはいけない。

 逃げてはいけない。

 背信行為で殺される。

 自分の口からニュールに伝えた言葉だ。

 だが、今自分の口からそれが出そうになっていた。


「ゲイン。大丈夫。」


 ニュールが二度、ポンポンと肩を叩いた。

 そして。


「それ、俺だけで済む話ですよね。単に俺を異動させる口実ですよね?」


 昔、法律のせいで虐めないといけなかった彼が、意味の分からないことを言った。

 しかも。


「ほう、そうですか。意外ですが理解が早くて助かります。」


 伯爵の息子は呆気なく、その不可解な提案を受け入れた。

 そして、ニュールは小さな声で古き友に耳打ちをして、あの男について行く。


 ——俺が消えた方に向かえ


 そう言って、彼は去っていった。


「消えた方……。そこに何かある?」


 今の彼にはその真意が分からないから、その場で戦いを続けるしかなかったのだが。

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