第4話 聖女様の演説

「うー。潰れる!戦う前にここで圧死してしまう!」

「もう少し下がれ。兵士が準備してる。戦う前にハッパをかけてくれんだろ。で、もしかしたら聖女様がいらっしゃるのかもしれねぇ。そりゃ、皆前に押し寄せるっての!」

「でも、でもー!」

「チッ。しゃーねーな。なんで俺が。俺だって前に行きてぇのに。」


 演説が始まるらしく、聖女様を一目見ようと人が押し寄せていた。

 そして、貧弱なニュールが押しつぶされそうになっているのを見かねて、ゲインが彼を引っ張って最後列にまで移動した。


「あーあ。俺も近くで見たかったのになー」

「ゴメンって!でも、後ろからあんなに押されるとは思わなくて。」

「多分だけど、西カムリバナ地区の奴らも来てんじゃね?俺たちが住んでた地区より遠くから、遠路はるばるやって来たんだろうぜ。」


 それが聖戦。

 それが聖女の力。


「そか。負け続けていた人間が初めて領地を取り戻すかもしれないんだ。これって歴史的瞬間?」

「あぁ。勝てればな。あと、死ななければな。」

「ぬー。俺にとっては死なないことが一番大変そうだな。」

「あー。だからここに来るって聞いた時は正気かって思ったぜ。」


 それは家主にここに行けと言われたから。

 ただ、今は聖女様の為に戦えることを誇りに思っている。


「それはその……。俺だってお国の為に戦いたいから……」

「お!そろそろ始まるみたいだぜ!」


 槍を持った周りの人達が急に前に乗り出した。

 ただ、その何人かは肩を落として、後ろに下がっていく。


「ん。あのお爺ちゃん。誰だ?人気無さそう。迷い込んじゃったのかな?」

「ってバカ!なんてことを言うんだ。あの方は王様だよ!……確かに人気はないかもしれないけど。でも、この国で一番偉い人だ。滅多なことを言うなよ。」


 そんなことを言っているが、ゲインの顔も明らかに意気消沈している。

 そして、それは仕方ないことで、あのお爺ちゃんが何を言っているのか、全然聞こえない。

 ガッツポーズをしている人が前の方に居るから、彼らには聞こえているのだろう。

 褒美とか税金免除とか、喜ばしい話をしていることは分かる。


「そういえばトム先輩って、どこにいるんだろ。」

「お前、全然聞く気ないな。多分、二つの部隊に分かれてんじゃないかな。」

「えー?だったら、ここには聖女様こないってこと?あの珍妙な格好をしたお爺ちゃんだけ?」

「馬鹿!あのお爺ちゃん、じゃなくて王様も大変なんだよ。それに多分、聖女様の聖戦だ。どっちにも来る筈だよ。」


 因みにまだ東トッタ地区である。

 直ぐ近くに黒い壁があるけれど、それでも少し距離が離れているように見える。

 更に言えば、農園も見える。本来はここで職探しをする筈だった。


 そして、ついに。


「おおおおおおおおおおお‼」

「すげーーー!俺、生で見たの初めてだ‼」

「めちゃくちゃ輝いてる!それにすっごい美人‼」

「あー、俺もう死んでもいいかもー」


 急に周りが騒ぎ出した。

 その反応だけで、誰が来たのか分かる。

 それにゲインも同様に叫んでいるから彼女が来たのだと。


「来たぞ!聖女様だ!見ろよ、めちゃくちゃ輝いてる‼」


 そういえば、先ほど一度見たのだが、今のゲインには言えない話だ。

 嫉妬で狂い死んでしまうかもしれない。


「あぁ。あの髪色。聖女様だな。ここからじゃ顔までは見えないけど。」

「何言ってんだよ!あれ、後光?何?すげぇ、キラキラしてる‼」


 ただ、それについては分からなかった。


「言ってなかったっけ。俺ってめちゃくちゃ目が悪くて。」

「マジかよ。もったいねぇな。あー、だから前に行こうとしてたのか。」


 正確に言えば、月力ルナフィールが全くないから、周りの皆より視力が悪い。

 人間本来の肉眼であれば、皆も米粒程度にしか見えない。

 この世界で月力を持っていないのはニュールだけなので、その尺度も間違っているのだろうけれど。

 きっと周りにある五つの米粒は馬車を守っていた、彼女を守る騎士だろう。

 彼らがおそらく噂の黄金の世代、皆には彼らもハッキリと見えているだろう。


「光の蝶……。噂通りだ。俺達庶民にも見えるくらいの月光帯ルオーラだ‼あれくらいは分かるだろ?周りの奴らもすげぇけど。やっぱ聖女様が一番すげぇ‼」


 そっちの方がもっと分からない。

 生まれた時から、月力ルナフィールを持っていないのだから、感覚そのものが分からない。

 ただ、せっかく彼があんなに嬉しそうにしているのだから、なんとなく笑って見せる。


「あぁ、凄く素敵だな。」


 そして、そこから聖女様の演説が始まった。

 月力ルナフィールとは、この世界で言う魔力のこと。

 それにより奇跡を起こせる。

 自然現象を引き起こす奇跡なのだから、そこから先は月力とは関係がない。

 だから、声を風に乗せる魔法なら、ニュールにも聞こえる。


 だから、彼女の声は聞こえる。


『皆さま、初めまして。私はオミニス。オミニス・ユグドラシルです。』


 大歓声が起きる。

 先の王様が本当に可哀そうに思えるほどの人気ぶりだった。


『私は生まれた頃より……、皆さまの希望となるべく精進してきました。私自ら名乗るのはお恥ずかしいのですが、聖女と呼ばれています。』


 待ってました、知ってた、愛してる、感動です、俺たちの希望です。

 様々な言葉が飛び交う中、彼女は一旦話を区切った。


『静粛に。聖女様は多忙であらせられる』


 多分、銀髪の男。

 皆が押し黙った、月力による圧を掛けられたのかもしれない。

 でも、それさえ分からない。


「ここに来て、無力さを感じるな。でも、聖女様の為だったら何でもしたい。」


 皆が感じていることを感じられない。

 けれども、その気持ちだけは誰にも負けない。

 そして、銀髪米粒が後ろに下がった。


『私は決めたのです。閉じられていく世界を諦め、次の世代に託すのは止めにしたいと。私のお父様、お母様はこう言いました。私が子を産み、次の聖女の誕生を待っても良いと……』


 空気が凍り付いた。

 そもそも聖女とは何かさえ、分かっていないのだ。

 これはニュールがどうとか関係なく、全員一致の考えだろう。

 ただ、彼らは皆彼女に目を奪われている。

 周りの米粒五人ではなく、真ん中のカラフルな米粒一人に。


『——ですが。それでは私が何の為に生まれたのでしょうか。私はこう思います。私たちの世代で、この黒い壁を打ち崩せと、月の女神ルナシス様が仰っているのだと‼』


 先の儚げな口調ではなく、今度は明確な意志が伝わる言葉。


「おぉ。すげぇぇぇ。マジでそうだよ。聖女様、万歳だ……」


 ゲインだけではない。皆、感動して涙を流していた。

 人間は月の女神ルナシスの加護を受けている、らしい。

 ニュールには分からない話なのだが。

 だって1mmも加護を授かっていないのだから。


 ——生涯に一度は必ず見るという、女神ルナシスの夢。


 彼だけは一度も見たことがない。


「うーん。感じたこともないし……」


 その加護こそが、月力ルナフィールであり、人間は誰しも月の冠ルネシスクローネという器を持っているらしい。

 そして、聖女は現在生き残っている人間の中で最も大きな器を持ち、最も多くの月力を持っている。

 しかも、周囲にいる五人の黄金世代の比ではない。


「……らしい」


 一人だけ取り残されているのがニュールである。

 ただ、彼は嬉しそうに聖女様を見つめていた。

 そんな彼女が鷹揚に両腕を前に翳す。

 ニュールには見えないが、差し出された掌から何かが出ているのだろう。

 翳された集団が両腕を突き上げて、何かをつかみ取ろうとしている。

 そして、大歓声を上げている。


『こんなにも多くの方に来て頂けるなど、私は思っていませんでした。皆さまも私と同じ気持ちでいらっしゃる。これほど嬉しいことはありません。』


 その翳された掌が、向こうからゆっくりこちらへと移動する。

 すると、平民兵たちの手がまるでウエイブするかのように呼応する。


『私たちは黄金の世代と呼ばれているそうです。ですが、この私たちの戦いを共にする貴方たちも私は…………』


 ニュールは右からやってくるウェーブに戸惑っていた。

 近づけば近づくほど、彼らが何かを掴もうとしているのが分かる。

 目の動きで分かる。


 これが只のガッツポーズウェーブであれば、そのままやれば良いのだろう。

 でも、彼らは明らかに何かをつかみ取っている。

 この流れに乗って何かをつかみ取るフリをするのが良いだろう。

 ただ、周囲の人間、更にはゲインに「馬鹿か、お前。何、空気を掴んでんだ。そこじゃねぇだろ、さてはお前はアンチ聖女だな‼」と思われるかもしれない。


 そこで彼は考えた。

 誰よりも先に動いて、俺はもう取ったんだぞアピールをすれば良いかもしれない。


「よし。それでいこう。このウェーブに俺も乗ってやる‼」


 だから、彼は右側の人達の動きを見て、ここだと思った瞬間にジャンプをして空気をつかみ取った。


 だが。


「あれ……」


 誰一人ジャンプをしない。腕を突き出してもいない。

 今か今かと待っている様子だが、手をワキワキさせて待っている様子だが、誰も何かをつかみ取ろうとはしていなかった。


 つまり一人だけジャンプしてしまったことになる。


 いや、そんなことより。


「聖女様、どうしたんだろ。」


 ゲインが言った。

 聖女様の演説が止まっていたのだ。

 ニュールもちゃんと彼女の話を聞いていたが、彼には彼女が米粒程度にしか見えない。

 だから、ウェーブ案件に目を奪われて、肝心の聖女様を見ていなかった。


 更に。


「なぁ。俺達見られてねぇ?お前が妙な動きをしたからだろ。」

「あいつが空気読まねぇから、聖女様がご機嫌を斜めにされたのでは?」

「あり得る。聖女様って気分を害されることってよくあるらしいぜ。」

「あいつのせいで俺達が加護を受け取れないって、マジ?」


 結果的に周囲から、アンチ聖女様の烙印が押されてしまう。

 そして、銀の米粒が動いて、聖女様に何かを告げている。

 本当に銀の何か、銀髪なのか金属のヘルメットなのか分からないくらい光沢のある髪の男だった。

 確か、王子様と呼ばれていた男。

 その男が離れた後、ニュール以外の皆がジャンプして何かをつかみ取った。


「う……。やってしまった。」


『し……失礼しました。私たちだけでなく、この私たちの戦いを共にする貴方たちも黄金の世代です。今宵は共に戦いましょう‼』


 そして、ウェーブは左に去っていった。

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