第2話 西へ向かうしかない

 昔、孤児院で少しだけ教わった。


 黒塗りの地図について教わった。

 遥か昔は、あの地図の全てに人が住んでいたらしい。

 色んな種族が、皆で商売をしながら平和に暮らしていたらしい。


 ただある時、大異変が起きてしまった。

 その時、本当は何が起きたのか、彼は教わっていない。

 とにかく魔物が突然現れて、人間が住んでいた町が次々に住めない場所へと変わってしまった。


「そして今は元、王領。でも、流石に立ち行かないから議会制貴族政治になっているらしい。」


 但し、戦争のやり方は変わっていないらしい。


「基本的には農民が兵士として駆り出される。ただ、その時貴族がいなければ話にならないらしい。そこでも月力ルナフィールが関わっているらしいけど、俺の非力さを見れば、戦えなんて言わない筈だ。」


 オミニス・ユグドラシル。

 先にも言ったが、国民全員が知っている希望の光、聖女である。

 因みに彼女の父親は当時の国内随一の聖騎士で、母親は同じく随一の賢者。

 誰だって期待をしてしまうだろう、生まれる前から希望になることが決まっていたような存在。

 ニュールだって、彼女のことくらい知っている。


「聖女様が西に農園があるって教えてくれたんだから、それで間違いないんだろう。最後の方はなんて言ってるか分からなかったけど、俺は東トッタに向かえって言われているわけだし。ってか、どれくらい先?徒歩でいけるかなぁ。金貨じゃ馬は拾えないだろうし。いやいや勿体ないし!でも使えないし。」


 あの銀髪、庶民でも使える金をくれたら良いものを、なんて贅沢な愚痴を言っている。

 ただ、銀貨であればいくらでも休憩が出来る。

 平民が金貨のお釣りを用意できる筈もない。

 平民には金貨を扱えない。資産として価値はあるが、食べることはできない。

 それを扱える商人に出会わなければ、しかもそれなりの豪商と出会わなければ、一個人ではどうしようもない。


「ま、農場主様ならあるいは。うん、今はそれしかないな。ラッキーと思っておこう。あー、マジで遠い‼」


 そんな感じでフラフラと歩いていると、真上から照り付ける太陽が、地面をキラキラと照らしていた。

 地面でキラキラと光っている。烏でなくとも惹きつけられる。

 そして、これが大当たりだった。


「え?言ってる側から銀貨?……聖女様の威光?ぱねぇ。お祈りしとこ!」


 そして彼が歩いていると、穏やかではない騎馬の列が横を通り抜けていった。

 今のは恐らく、誰かの私兵だろう。


 貴族によっては国家から毎月貰えるお金で、戦闘を仕事とする小規模な軍隊を所有することもあるらしい。

 そもそも、それが貴族の役割なのだから、生活費以外は全てそれにつぎ込んで欲しいものだ。

 ただ、噂ではそういう使い方をしているのはごく一部らしい。


 理由は戦いは基本的に、その地域の平民が駆り出されるからだ。

 だって、自分たちが耕した畑は守らなければならない。

 牛も豚も鶏も羊もタダじゃない。


「うーん。銀貨か。馬車に……。いやいや、勿体ないって。金貨だけじゃ雇ってやらないって言われたらどうするんだ。金貨と銀貨があればなぁってなるかもじゃん!」


 その時、彼は背中に飛び膝蹴りを喰らって、地面に突っ伏した。

 大丈夫。金貨も銀貨も死守している。


「おー!ニュールじゃん!マジ、久しぶりだな?どうしてたんだよー。」

「あれ?トム先輩?どうしてここに?」


 引き籠りだって、偶には働いたりもしている。

 自分の欲しいものを手に入れる為に、ちょっとした仕事だってする。

 彼は山麓で開墾のお手伝いをした時の先輩だ。


「どうしてってよー。今回は俺達にも報酬が出るって話なんだよ。」


 更には。


「ぬわぁぁぁ。てめぇぇぇも来てたのかよ!おま、俺の足ひっぱんじゃねぇよ!」

「えーっと名前……。誰でしたっけ。」

「ゲインだ!ったく。のろまな癖に。前みたいにパンくずしか食わねぇ生活してんの?」


 いやな思い出を思い出させてくれた。

 彼には昔虐められた記憶がある。

 羊を追いまわしていた記憶とか、その他諸々。

 と、そんなことよりも。


「俺の脳内解説をどうしてくれるんですか。なんで中央の畑連中がここに来てんですか。俺の方が聞きたいですよ。二人とも仕事は?」


 地元の農民が土地を守る為という意味も含めて戦う。

 ここの部分の説明が無駄である。


「あ?お前はフランツさんとこのゲインか。」

「えっとあんたは?ボギンさんとこだ。っていうか、ニュール。てめぇ大丈夫か?」

「え?だから、何が?俺の質問、全然答えてない気がするんですけどー。」

「じゃあ、俺の質問に答えろよ。なんでお前も来てんだよ。」


 彼らには醜態を見せたという過去がある。

 だから、非常に言いにくい、いや言いやすい?


「黒塗り地帯だったら、危ないから農場で雇ってもらえるかと思ったから、ですけど?東トッタ地区に行くつもりですけど?」


 すると、彼らは肩で笑った。


「いや。その発想は合ってるかもだけど、それって戦わされるってことだからな?」


 と、トム先輩。


「ってか、馬鹿なの?お前、相変わらずなーんも考えてねぇな。これから俺たちの国は二十年ぶりの聖戦をするんだぜ?巻き込まれるじゃなくて、戦うんだよ。」


 これはゲイン。

 酷い虐めを受けたことがある、だが悪い奴ではなかった筈。


「え?二人とも、そんなに戦いたいんすか?俺達平民、農民、雇われの下っ端っすよ?」

「馬鹿だなぁ。うまく行けばお貴族様お抱えの兵士になれるかもしれないんだよ。」

「それにある程度、いろんな地区からも農奴が集められててな。その活躍次第じゃ、次の年の税金の免除がされるんだ。」


 ——ん。そんなことより。


「あー!なんか知らないけど、パンが落ちてる‼」


 拾い食い?するに決まっている。


「おま……。まだ、それやってんのかよ。」

「ニュール、腹壊すぞ。しかもそれ、どうみてもカチカチのパンだ。しかもカケラ。」


 でも、パンの欠片がある、それは食べる。

 それくらい、お腹が空いているのだ。


「俺、引き籠ってた時、碌に食べてなかったから。つい」


 農奴と呼ばれる階級である彼らさえやらない行為。

 引き籠る以前の彼もあんなだったなと、二人して肩を竦めた。


「えっと。それじゃあ、俺は遠くで見守っておくんで、お二人とも!頑張ってください‼」

「おう。てめぇは後ろから刺されないように気を付けるんだな。」

「はい?」

「なぁ、ニュール。聖戦の意味を分かっていないな?」

「はい。分かってないです。名前がかっこいいくらいしか。」


 ドヤ顔でそれを言ったから、トム先輩もゲインも唖然とした。

 

「お前、相変わらず馬鹿だな。」

「はい。馬鹿ですけど。あれ、ここにもカチカチパンが……」

「多分、地元の人間の誰かが逃げ出したんだろうな……」

「あぁ。特に女子供は逃げた方がいいしな。」


 ただ、その言葉の意味を青年は理解せず、時々落ちている固いパンを拾っては食べる。

 銀貨が落ちている時は競争になったが。


「しゃー、俺の勝ちー。」

「くそ、お前なかなかやるな。」

「うー、俺、惨敗。」

「相変わらず足、遅いなぁ。っていうか前より筋肉落ちてないか?」

「一年間くらい、部屋からも出なかったんで……」


 ただ、三人で歩くと一人で歩くのとで、長かった道も楽に進めた。

 そして、次第に落し物の量も増えていった。

 何人もの子供を抱えた母親、時には男とすれ違った。

 ものすごい形相で必死に逃げていくので、確かに荷車から時々モノを落ちていた。

 リンゴなんか本当に有難い。

 子供が口にくわえていたパンも有難い。


「あー、ほんとだ。みんな急いでる。それでかー。でも、なーんで急いでるんだろ。」

「だから、聖戦って言ったろ?っていうか、その度に食うな‼」

「えー、これは唾液でドロドロになってるから、さっきのより食べやすいしー」

「あー、トムさんだっけ?駄目っすよ。こいつ、マジもんの馬鹿だから。」

「マジかよ。悪いことは言わねぇ。果物なら食ってもいいが、そういうのは止めとけ。」


 そう、ニュールは本当に色々と出来が悪い。

 その後も拾い食いをしながら歩く、履けそうな靴があったらその度に自分に合うかを確認する。

 

 だから、会話が途中だったことに、かなり歩いた後で気が付いた。


「そうだった。聖戦って?聖戦って何なんですか‼」

「お、銀貨だ!今度こそ俺が!っしゃあ!まぁ、住む地区って昔みたいに決められていないみたいだから、逃げるわなぁ。」


 トムがいち早く見つけた銀かを拾う。


「クソ。負けた!タッパに負けた。って、そうだよなー。でも、どうせ待っててもあの黒い壁が来ちまうんだろー」


 地図で黒く塗りつぶされている部分は本当に黒い壁が存在していた。

 だから、明確にここまでが住めると分かる。

 そのぎりぎりに魔物が現れることもある。その場合は住民総出、もしくは貴族が鍛えた兵士によって対処されている。

 牧場や農場の主の上には貴族、もしくは貴族に繋がっている商人が居る。

 土地は王のものであるが、今は土地代の請求は行っていないらしい。

 そして、税金を雇い主の更に上に居る貴族がまとめて一括納税する。

 噂ではそこで貴族はピンハネをしているとか。


 ただ、先には話したが貴族がいなければ戦いは成立しない。

 だから、平民はある程度の安心を買ったと自分に言い聞かせて、貴族や商人のピンハネを享受している。


「お貴族様が守ってくださるのでは?」

「そういうことになってるけどよぉ。黒い壁が来ちまった時は別らしいぜ。」

「あぁ。どうにもならないらしいから、さっさと逃げちまうって噂だ。で、聖戦はなぁ。その黒い壁の一部をぶち抜く戦いのことを言うんだ。」


 そうらしい。

 そういう情報は殆ど持っていない。

 いや、単に忘れてしまったのかもしれないけれど。

 ニュールという青年はこの国で一番貧弱で、一番頭が悪く、一番月力と呼ばれる魔力がない。

 月力に関しては間違いなく0である。


「へー。それじゃあ歴史的瞬間すね。それじゃあなんで逃げてるんだろ。」

「マジ、何も知らないんだな。流石にそれくらい教わったろう。」

「あー、こいつ孤児院で時々学問を教えて貰ってた程度なんすよ。」


 するとトムは肩を竦めた。


「成程、そうだったな。悪かった。それはさておきだ。どうして何十年も壁を破ろうとしなかったか、それが問題なんだ。」

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