世界を救うべく生まれた全てを持つ聖女と何も持たない灰色の男

綿木絹

第1話 十七歳の男、家を追い出される。

 アテラマース王国の法律では十七歳が成人年齢である。


 その歳になると責任能力を問われ、平民であれば納税義務も課せられる。

 そしてその殆どが物納で行われる。


 ただ、爵位持ちは特権階級であり、納税が免除されている。

 そして、貴族の特権はそれだけではない。

 毎月、爵位に応じて国庫から金貨が支払われる。


 北側に広がる山岳地帯に住むドワーフ族との穀物貿易で、我が国は金貨と装備品や装飾品を仕入れている。


 ドワーフだけではない。あらゆる種族が世界に隠れ住んでいる。

 世界はまだまだ広いが、真っ黒に塗りつぶされた地図の面積の方が圧倒的に広い。

 因みに黒塗り地帯は、全て魔物に奪われた土地である。

 99%は既に奪われて、目下我が国は破滅待ちが現状だ。


 そんな中、一人の青年が家から追い出されてしまった。

 彼の名はニュール。長年厄介になった家をついに追い出され、今から就職先を探すところである。


「う……。外が眩しい。引き籠りすぎて目がチカチカする。重力ってこんなに重かったっけ?」


 平民の彼は十七歳。

 自分で生きていかなければならない年齢である。


「えっと。どの地域が人を募集しているんだっけ。東トッタ地区に行けって言われたような。無能な俺でも雇ってくれるといいんだけど。」


 灰色の髪、鈍色の瞳の青年の声は一般男性に比べると高めである。

 身長はギリギリ170cmあるかどうか。

 肌は真っ白を通り越して青くも見え、筋肉だけでなく脂肪もついておらず、骨と皮だけにしか見えない男。

 肌も痛み、髪も痛んだ灰色だから、遠目には老年の男性に見えるかもしれない。


 そもそも栄養が足りていないから、一歩目を間違えた瞬間に彼の人生が終わる。

 その可能性は十分にある。


「山が見える方が北側で、ドワーフさんたちが穴を掘って暮らしてる。その更に向こうには大平原が広がっているという噂だけど、黒塗り地帯だし?あの辺、山道ばっかだし?俺に踏破可能とは思えない。そして東。確かカムリバナ地区だっけ。ここが元王領のサイルヒレン地区だから、西に行けばトッタ地区。でも、カムリバナもトッタも黒塗りエリア。だから西カムリバナ地区か、東トッタ地区が辺境だけど、東トッタがいいらしい。」


 雇ってもらえるとしたら黒塗り地区の直前の地区。

 だから、そこへ行けば無能な彼でも雇ってくれるに違いない。

 

「黄金世代に希望の象徴である聖女様が誕生された。だから皆が活気づいてる。だから多分、非力な俺でもそこでなら雇ってくれる筈だ。誰も最前線で農奴なんてしたくないだろうし。」


 この世界では、月力ルナフィールを多く持つ貴族の人間が必要不可欠である。

 人間社会でも、黒く塗りつぶされた大地でも。

 彼らは身体能力に長けている。それだけではなく、彼らがいなければ魔物とは戦えない。

 だから貴族は特権階級なのだ。


「えっと。つまり俺はどっちかに行けばいいのか。」


 彼は今、右に行くか、左に行くかという、正に運命の分かれ目に立たされている。

 多分、いや間違いなく片道切符である。雇われなければ飢え死ぬしか、道が残されていない。

 教会に逃げ込むという選択肢がない訳ではないが、この世界に貢献したいという矜持は持っている。

 彼に出来ることは、コツコツと畑を耕したり、石をどかしたり、羊を追いまわしたり。後はあまり思いつかない。

 しかも、どれもこれも半人前でしかない。


「猫の手も借りたいとか、そういうので。死なない程度に食べさせてくれるだけでいいから。そういえばさっき、貴族院が動くとかどうとか歩いてる人が言っていたな。」


 これから先の生活を考えると、空を見たくなる。

 家主に行けと言われた場所はあるが、最初に一歩目が分からない。

 分からないから、彼は結局空を見上げた。


「なーんか。今日は真っ黒い太陽が嫌な感じに出てんなぁ。……これって俺の幻覚だっけ。月力ルナフィール皆無の俺は、視力も張力も嗅覚も触覚も筋力も体力も何もかもがない‼そして引き籠っていたから情報も何もない‼」


 50%の確率で雇われそうだが、50%の確率で職にありつけずに露頭を彷徨いそうだった。


 家を追い出された直後に、こんな右か左かみたいな人生の選択が待っているとは。


「南は海。えっと海は確かあっち。つまり右手で剣を握って、左手で盾を構えて……。右に海があるのが良いか、左に海があるのが良いか。……でも、魔法とかもあるし。あれ?剣は右手?利き腕の方が右手?海から見て右手だっけ?山を見ながら右手だっけ?」


 彼の頭は壊滅的に悪い。

 身体能力がなく、この世界で魔力を表す月力もなく、頭も悪い上、引き篭もっていたから現状を知らない。

 そして、お金をもっていない。


 一発勝負の第一歩、二者択一だが、既にどちらが右で、どちらが左かさえ分からなくなった彼。

 こんな迷える子羊を救ってくれるのは、心優しき聖女・・くらいしかいないだろう。

 だが、そう都合よく聖女は現れたりしない。


「こういう時は運試しだな。ちょうど枝が転がっている。……ちょっとバランスの悪い枝ではあるが。よし、俺は君に決めた!俺の命をお前に預けた!お前が俺の運命を決めてくれ‼」


 ——運命の枝占い。


 彼の命となった、60cm程の木の枝の運命は。


「あ!」


 その枝は右でも左でもなく、海側へ。

 つまり追い出された家の方向に倒れ、直後に通りかかった騎馬の護衛付き馬車に踏まれて、跡形もなく粉砕した。


「粉砕……だと⁉これはもしや……。バラバラになった全てが俺の進む道。つまり可能性は無限大という意味では——」


 彼の戯言はさておき、と言いたいが彼は真剣にそう思っている。

 木っ端みじんになった木の破片が、それぞれ何処を向いているのか、這いつくばって考えている。


 そんな彼の耳に、馬のいななきが届いた。

 そして馬車のドアが開く音がした。


「私の馬車が何かを引いたみたいなんですけど。御無事ですか?嘘、人を轢いた感触ではなかったのですが——」


 うつ伏せになっていたニュールは目を剥いた。

 直ぐに起き上がり、頭を下げた。

 彼の命だった枝を轢いた馬車が停まり、そこから絶世の美女が下りて来ていたのだ。


 金色と桃色と水色、そして白色。それぞれの色の髪がリボンのように結ばれていて、それが芸術的に見える少女。

 いや、それさえも少女の美貌には敵わないだろう美少女。

 虹色を思わせる瞳は闇夜でもうっすらと輝いている。


 彼は彼女を知っている。

 いや、この国の人間ならば、誰だって知っている。


 こんな時にこんな所で、いや本当に彼女に会えるなんて。


「せ、聖女——」

「聖女様‼こんなところで平民の相手をする暇はありませんぜ!」


 余計なことを言う、銀髪の真ん中に金髪がショートモヒカンを作っている男。

 なんで、そうなった!とツッコみそうになるが、独特な髪色は貴族の血統の証。

 聖女様が乗っていた馬車を警護していたのだから、それなりの立場の人間だろう。


「済まないが、私たちは急いでいる。ほら、これでもやるから。早く何処かへ行きなさい。この方は、お前のような下賤な者が話して良い相手ではないんだ。」


 ニュールの灰色とちょっとだけ被っているが、彼の場合は光り輝いた銀髪である。

 しかも、先の男に比べて鎧がかなり高価なものだ。目利きは出来ないけれど。


「って!男ばっかで恰好つけないでよ。このアタシもいるんだからね!ほらほら、聖女様は馬車に戻ってくださいな。君もいつまでもそこに居ないで、早くあっちに行きなさい‼」


 オレンジの髪の少女。翠眼の美しい瞳の女。

 予想だけれども、モヒカンと同じくらいの身分のもの。

 つまり月の冠ルネシスクローネという、月力の器の大きな人間たち。

 貴族の集団、見た目は若いから子供か、もしくは孫であろう。


「いえ、困っている方を救うのが聖女の役目です。その……お顔を上げてください。私は構いませんので。」


 そう言われたから顔を上げるニュール、


「あら、お怪我はなさそうですけれど。如何されましたか?」


 眼力だけで、圧倒されそうになる。

 と言いたいところだけど、彼は魔力を見極める目を持っていない。

 だから、単純に少女の美しい瞳に釘付けになった。


「えっと、俺……。西の果てにあるという農園を目指していて……」

「まぁ!そうなのですね。でしたら私たちが向かっている先の途中ではないでしょうか。」


 愛らしい顔、上品で優しい女性。

 身に着けているものも高価なものだろうけれど、どれも彼女自身が持つ華やかさに負けている。


「オミニス様ぁぁ!こんな奴に絡むなってーの。」


 だが、邪魔をするモヒカン。


「は?あんたグイグイ来すぎてキモいんだけど。」


 そして突然の怖い口調の聖女様。


「えと、僕も聖女様は早く行かれた方が……」


 白い髪の少年っぽい男もいた。彼の瞳の色はえんじ色で、その男も馬に乗っている。


「もう!ユーゴまで!ふん、分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば。……平民の君。確かに西はあっちだけど、そこから先に絶対に行っては——」

「聖女様!急ぎ向かわねばなりません!御父上と御母上からも寄り道せぬようにと言われています。でなければウチたちが叱られます‼」


 今度は紺色の髪の女。

 彼女の碧眼も美しいが、聖女様の魔的な瞳には負ける。


「そもそもお前だ。この私が平民に金貨を渡したんだぞ。無礼である!さっさと立ち去れ!」

「だー。これだから王子様はよー。金があるってか?金なら俺にもあるっつーの!」


 銀髪、モヒカン金髪まで大声を出してきた。

 結局、彼女の話は掻き消されて、最後の方は何を言っているのか分からなかった。


 馬車を五騎で守っているのだろう。

 その五人がわざわざ馬から降りて、聖女様を馬車に押し戻してしまった。

 どうやら、貴族様は大忙しらしい。確かに先ほど貴族院に動きがあるという話を聞いた。


「うーん。貴族ってなんか、アレだな……」


 結局、彼女らと彼らの姿は、直ぐに見えなくなってしまった。


 結果として金貨を手にした青年。

 これは庶民が富くじに当たったようなもの。

 だとしても。


「滅茶苦茶幸運なんだろうけれども。金貨を扱えるのは豪商か農場主か貴族くらいだ。今の俺じゃ使えない。確かにこれは天からの授かりもの。……ん?王子様とか言っていたような。でも、知らない人だ。知らない人から金貨を貰った、……通報されそう。でもこれを見せれば、無能な俺でも雇ってくれるかも?」


 灰色髪の青年は、金貨を大切にポケットにしまい、聖女様が仰った方角、西に向かって歩き始めた。

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