第13話 希望の対の存在

 十六歳の少女が歩くだけで、会場はどよめいた。

 右足、左足を交互に出す。背筋が伸びてとても綺麗な歩き方ではあるが、それだけではない。

 歩く度に鱗粉のような光が舞い上がる。

 彼女が移動をするだけで、体に別の空気が振れるだけで、彼女の周りに光の蝶が飛んでいるよう。


「聖女様だ」


 誰かがそう言った。

 いや、全周囲から聞こえて来たので会場の八割以上の人間がそう言った。

 そんな彼らに慈愛の笑顔を向ける聖女。


 人類の希望は完成間近なのだ、今笑顔を向けられた人間は一生分の運を使い果たしたと言っても過言ではない。

 ただ、そんな彼女の笑顔を独り占めしようと一人の男が動く。


「こんにちは、オミニス。今日も素敵な笑顔ですね。」

「あら。王子様自ら声を掛けて頂けるのですか。とても嬉しいです。」


 銀髪の青年の名はユリウス・カイゼルゼータ。

 彼は王の息子である。王と王妃が急いで作った三男であり、黄金の世代である。

 爵位とはただの肩書き、でも王族となれば別。

 だって、王家という肩書きはただの肩書きではない。彼らは地主なのだ。

 地主という意味だけで、彼らは偉い。彼は地主の息子だから偉い。


「君は眩しすぎて、皆が困っているようです。どうですか、私の部屋にでも——」

「結構です。私、慣れていますので。」


 ただ、月力ルナフィールという目で見ると、オミニスの眼鏡には敵わない。

 だから即却下である。


「オミニス。せっかくのお誘いなのだから……」

「いえ。わたくし、ここの雰囲気をもう少し味わいたいのです。他意はありません。」


 色とりどりの髪をそれぞれリボンのように結んでいるので、少女は何もつけなくてもかなり華やかに見える。

 月の女神ルネシスは美の女神でもあり、容姿端麗であり、体のラインも神がかっている。

 目を奪われない者など殆どいない。

 それは男女問わずである。


「オミニスちゃん!おひさー!今日も眩いねー。アタシ、目が潰れるかと思っちゃったぁ‼」

「これはこれはズノール侯爵家のご令嬢様、いつも大賢者様にはお世話になっております。」

「でしょー。だからー。アタシとも仲良くなって欲しいかなーって。」


 オレンジの髪の少女。リリンシア・ズノール。大賢者の孫であり、彼女もまた黄金の世代である。

 よく食べ、よく眠ったのだろう。なかなかに月の冠が大きそうだ。

 などと、少女は考えつつ、彼女に笑顔を向ける。


「そうですね。今後ともよろしくお願いします。あ、そういえば!真っ黒な太陽。黒曜星についてリリンシア様はどのようにお考えですか?」


 そして、彼女の中身チェックに入る。

 勿論、大賢者の孫ならば、彼女なり応えてくれるだろう。


「こ、黒曜星ですか。えーっとあれだよね。戦になると突然現れるっていう真っ黒い太陽で……。ヤハギーグ魔王国が大昔に作り出したっていう……」

「そうです。私の持論を述べても?」

「あ、うんうん!ぜひ聞かせて!」

「黒曜星は実は普段から見えている、という話を以前、リリンシア様のお爺様に話してみたんですが……」

「うーん。それじゃあアタシもオミニスちゃんと同じで‼ほら、アタシ達考え方もバッチリ‼」


 はちきれんばかりの笑顔のオレンジ髪。複雑な形に盛り上げているのも、流石は侯爵令嬢といったところか。

 なんて、聖女様が考える筈もなく、彼女は肩を竦めただけだった。


 パートナー探しには二つの意味がある。

 一つは依然話した結婚相手選び、これは更に器の大きな子を世に残す為。

 そしてもう一つは、彼女自身が戦いに赴くときの仲間という意味でのパートナーである。

 勿論、この場合は複数人でも可能となる。


 ——ねぇ、あっちの黒いのは何?あれ?そうなの?オミニスが言うんじゃあそうなのかも。僕、頭良くないし、目も良くないから。僕の目が変なだけなのかも。


 少女は首を振って、聖女の笑みに戻った。

 すると、今度は別の男、彼も黄金の世代である。


「よう。ツンケンガール。俺とパートナーにならないか?」


 ド直球の彼。

 銀髪の真ん中に金髪がショートモヒカンを作っている男。

 ルドルフ・オルディン、同じく侯爵の人間であり、黄金の世代である。

 その彼に対しては半眼で対応する少女。

 毎回、毎回同じ直球しか投げない男。


「それはどちらの意味ですか?私は一般的な方には興味ありませんの。」



     ◇


「あー。足がガクガクする。なんで、こんなに石が転がってんだよ―。」


 十六歳になる灰色髪の少年は鈍色の瞳を薄めて、沈み始めた真っ黒な太陽を眺めていた。

 栄養不足のせいか、それとも体質なのか変声期を迎えたのか分からない、少年のような声。


「不味いなぁ。あれが沈む前に帰らないと門限に間に合わない。」

「おーい。ヘタレ野郎。そんなことじゃあ、戦場で生きていけないぞー。」


 タッパのある茶髪の青年が、訓練中に座り込んでいるのを見て注意をする。

 彼と接する人間は彼を下に見なくてはいけない。

 ニュールを本気で虐めていたのは、あまり学のない者たちで、ちゃんと法律を理解している者、彼の出生を理解している者は皆、彼に同情的である。


「ほら。ヘタレ野郎。バツとして腕立てだ!」


 ただ法律上、彼を虐めないといけないことになっている。

 だから彼に同情をして、助ける行為は罰せられる。


「トム先輩。あと五秒待ってもらえません?」

「駄目だ。」

「えー。あと三秒でいいんで!」

「駄目……って、お前会話で休んでんだろ‼」

「げ……。バレた‼腕立てしまーす!って!乗らないで!俺が!俺自身が潰れるから‼」


 あと一年。

 少年に重くのしかかるのはトム先輩だけではない。

 十七歳になったら、彼は捨てられる。しかも、前線への移動が決まっている。

 農奴として働くから、魔物に襲われることはないのだけれど。


「いーーーーーーーーーち」

「おい。全然一じゃねぇから‼しかも、俺はまだ足ついてんだぞ。」


 なんとなーく力がついてきている気もするが、それは単に体が大きくなったからかもしれない。


 いや、俺の体が大きくなったということは俺自身も大きくなったということ、……多分。


 力なんて付かないことは知っているが、それでも彼はどこまでも前向きに考える。


「いーーーーーーーーー。先輩。あの黒い方の太陽が沈みかけたら教えてください。最近はアレが沈んでしまうと、門限まで間に合わないんです。」


 するとトムがきょろきょろと辺りを見回した。

 そして、直後ニュールは潰されてしまう。


「おま。変なこというなよ。まーたそうやって休もうとするー」


 ——見えないよ、お兄ちゃん。多分だけど、お兄ちゃんの目って普通の人より悪いから。そういう風に見えちゃうんだと思う。


 少年も我に返って、直ぐに謝罪した。


「あ、そうだった。アレ、俺の目が悪いってオミニスに——」


 だが、それが運の尽きだったらしい。

 巨体のトムは彼に気を使って全体重をかけずにいた、なのに彼の発言で。


「お前!聖女様と話したことあんのかよ!なんだよ、同情するんじゃあなかったぜ。」


 ニュールの三倍くらい重いだろう男の全体重に負けて、少年は口からプシュ―と息を吹き出した。

 もう、二度と息を吸い込めないと思った少年は、最期の言葉としてこう残した。


「こ……子供の……頃の……話……で……」

「なこと知るか!俺なんか一度も話た事ねぇんだぞ!ツンケン聖女様とな‼」


 それはそう‼と、少年は話をしたことがあるという事実で息を吹き返した。


「ぐ……ががががが。俺としたことがぁぁぁ」

「お、おお?マジ?俺を持ち上げるか?」


 ただ、トムの視界が3cm程度上がったところで、人間リフトは壊れてしまったらしい。


「幸せ過ぎて、ごめんなさぁぁぁぁい‼」


 昔は時々話をしていたのだ。

 その記憶と共に彼は意識を失った。いや、直ぐに水を掛けられて帰らされた。


     ◇


「全く。トム先輩、容赦ってものを知らないな。……でも」


 少年は鈍色の瞳を細めて、小躍りしそうな気分になる。

 今日、彼女は社交界とやらに行っている。

 何処で何をやっているのかは分からないが、自分と違って何処に出しても恥ずかしくない、いや誇らしい妹だ。

 もう、顔を合わせることもないと思うと寂しくはある。


「一緒にご飯も食べられないんだっけ。でも、俺は話したことがあるんだ。決定的に幸せだ。」


 今朝、彼は使用人から告げられていた。

 家に帰ったら、そのまま独房のような寝室に向かえと。

 そこでパンでも齧ってろと。


「……」


 声を出すのもダメと言われた。

 見ても駄目と言われた。見たら駄目なのは前からだけれど。


 俺の存在はオミニスにとって悪影響だ。俺のせいでゴメン、オミニス。


 家族はまだ帰っていないのか、姿は見えない。

 ただ、彼の通路には灰色の絨毯が敷かれていて、暗にそこを歩けと言われているようだった。


 ガチャ


 入ったら直ぐに鍵が掛けられた。

 そして、ベッドさえ取り除かれた石畳の上に座る。


 そこに蛍光塗料で注意書きまで残してくれている。

 正面の石壁には青い文字。

 絶対に喋るな、ノックの音がするまで寝るな、物音を立てるな、次のノックがしたら起きろ、そしてそこでパンを食べろ。

 と乱暴な口調ではあるが、綺麗な文字で書かれている。


 更に説明書きが今度は緑色で左の壁に。

 聖女は輝かしい存在になりました。聖女に倣ってその暗闇の中で生きなさい。手の掛からない子供で良かったです。あと一年で手放せると思うと、嬉しくて堪りません。

 

 注意書きが父親のもの、説明書きは母親のもの。


 彼の背筋が凍り付いた瞬間である。

 ついにここまで来たかと思った。

 いつかはこんな日が来るとは思っていた。

 これまでの生活でも彼は幸せを感じていた。

 皆の希望の象徴である聖女の対の存在、絶望の象徴にはなれていなかった。


 それは今日改めて気付かされたことだ。


 そんな中でも一番辛いのは、声を出せないことだった。

 オミニスにおやすみを言えない。オミニスにおはようを言えない。

 聞こえていたかは分からないけれど。


 これから彼は残り一年を、暗闇の中で生活をする。

 それがこの国が定めた、彼だけの為の新しい法律だった。

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