第12話 十四歳になった双子
十四歳の少年ニュールの朝。
といってもここ数年ずっと続けて来た彼の朝。
「この布切れ、流石に使えないな。……雑巾にするか。いや、これって雑巾が使えなくなったから?ま、いいか。足ふきくらいには使えそう。」
起床して直ぐに、自身の服の洗濯から始める。
彼専用の洗い場で、彼専用の水を使って必死に洗う。
でも、彼の力はとても弱く、完全に水分を絞り切るまでにはいかない。
「……あと三年か。この生活が終わってしまうのは寂しいな。」
十七歳になれば、神は一人前になったと認識するらしい。
もしくは月力の器の成長が鈍化するからかもしれない。
どっちみち、彼はさらに手が掛からなくなる。
十七になった時、彼はユグドラシルという家名を捨てる。
「よし。多分、乾く。今日は天気もいいし!」
この作業の間に彼の妹は体を清めて、お祈りをして、服を着替えている。
だから、これくらいの時間が丁度よい。
一度か二度、妹の教師が訪ねてきたことはあったけれど、ここ五年はそういう機会もない。
このままあの大広間にいけば、昨日貰ったカチカチのパンを食べられる。
朝一番の彼の楽しみである。
「大地の女神フォセリアよ。今日も感謝を致します。」
少年が前を向けば、輝かしい自分の家族が幸せそうに朝食をとる姿が見れる。
ただ、それはやってはいけない。
高貴なる方の食事風景を拝見するなんて、許されない行為。
けれど彼は少しだけ三年後の別れが寂しかったから、チラッとだけ、片目だけそちらに向けていた。
「オミニス。食事中はよそ見をしてはなりません。」
「オミニス。もっと笑顔で食べなさい。」
妹が睨みつけていたので、彼は慌てて顔を下へ向けた。
「でも、今日は舞踏会です。私、あの場は嫌いです。」
「その気持ちは分かるけれど、パートナー選びは大事よ。」
「そうだぞ。私とアルケネもそこで出会ったんだ。高貴なる生まれは高貴なる力となる。本当に大切なことなんだ。」
「分かってます。……でも、言い寄ってくる人が多すぎて。私には決められません。」
最近は一か月か二か月に一回のペースで、舞踏会やらが開かれる。
そこで彼の妹はパートナーを見つける。
勿論、少年には何の関係もない話。
そんなことより、口の中のパンがなかなか柔らかくならない。
そっちの方が重要である。
「ごちそうさまでした」
その声と同時に少年はパンを飲み込んだ。
水は奇麗なので、そのまま胃袋の中まで流し込める。
綺麗な水が使える、本当に俺は恵まれているなぁ
そんな至福の笑顔の少年は、あと三年で家族ではなくなる彼女達の姿が消えると立ち上がって、ユグドラシル邸の出口へと向かう。
「さて。今日こそはゲインたちに負けないぞ。耕して耕して耕してやる。」
とても爽やかな笑顔で彼は門兵の間をすり抜ける。
どうやら、この二人も高貴な生まれらしく、今では話しかけるのも禁止されている。
彼自身、自分はこの国で最下層の人間だと知っている。
それでも、やる気だけはあるので両腕を曲げて、出来ない力こぶを作ろうとしてみせる。
「はぁ……はぁ……、相変わらず俺、体力なさすぎだろ。」
彼はここ最近、外での仕事が多い。
主に畑仕事だが、それにしては肌が青白い。
農奴仲間は皆、逞しく成長して、浅黒い肌になっている。
ただそれは、彼が日に弱いわけではなく、メラニン細胞も栄養不足に陥っているからだ。
あの、光り輝く女神アーテナスの威光を受けられない程に彼の体は貧弱である。
「おう。遅いぞ、ニュール。バツとしていつもの三倍な。」
「うげ!でも、遅かったのは事実!俺、がんばりまーす!」
基本的に夜に成長する彼ら人間は、月の女神ルネシスの加護によって生かされているようなものだ。
そして慈愛に満ちた女神は全ての人々に加護を授けている。
だから、同じような食事をしていても、彼らの方がニュールよりも丈夫である。
もしもニュールが彼らと同じ場所で寝泊まりしていたら、女神は彼に威光を与えてしまう。
そうさせないための禁忌呪法なのだから、彼は間違いなく最弱の人間である。
ニュールが水分を搾り取れなかった雑巾、それが庶民だとする。
ならばニュールは完全に搾り取られて、一滴も水分が残っていない布切れである。
「妹もぶとうたいかなんかで頑張ってるんだ。俺もここで頑張るぞ!」
そして最弱の彼は今日も畑を耕す。
◇
オミニスは馬車に乗せられて、舞踏会へと向かう。
十五年くらい前までは夜に行われていた舞踏会、そしてただ食事をして会話をする社交場。
アルケネのお腹に双子いると分かってから、その様子は一変した。
二人は睡眠の儀式があるから、日が落ちた後は必ず帰宅する。
これは法律で決められている。
「また。あのお城に行くのですね。」
少女は小高い丘に聳え立つ王城を眺めて、俯いた。
武術会を含めて、貴族の社交場は全て王城で行われている。
何せ、名家と名高いユグドラシルの邸宅も、起源を辿れば王の私物である。
「貴族、貴族というけれど。尊い者が本当にいるのでしょうか。」
「それは言葉の綾だよ、オミニス。貴族とは高貴なる器の持ち主のことだ。『
「教わりましたわ。ですが、元々は広大な領地を持っていた、とも教わりました。」
今、アテラマース王国があるのは、昔の地図で言うと王の領地である。
更に詳しく言うと、その領地の半分程度である。
だから、爵位とはただの肩書であり、その殆どは昔の地図の時代の名残だ。
「それは昔の話。今の貴族とは違う話よ。国の運営だって王が決めている訳ではないのだし、みんなで話し合って決めているのよ。」
それも大賢者グレート・ズノールに教わっている。
彼が大賢者という肩書きを持っているのは月力は劣るが、知識は国内随一だからだ。
魔道としての意味でなら、彼女の母アルケネ・ユグドラシルが大賢者を名乗るに相応しい。
「今から行く場所に入れなければ、国の重要な話し合いが出来ない。月力が高い貴族にしか、国を動かせない。だから、これは適材適所なんだよ。」
「それくらい見れば分かります。あの空まで伸びる結界を普通の方々が無事に通過できるとは思えませんし。」
『
そして、魔族と戦う場合、月力が高い者が指揮をしなければならない。
だから、彼女の両親の言う貴族の理屈は間違っていないのだろう。
ただ、蹂躙された歴史は長く、その間に貴族が自身が保有する領民から選りすぐった結果でもと、十四歳の少女には思えてならない。
勿論、そうやってここまで生き残ってこれたのだから、正しい行為だったのかもしれない。
ただ、遠くに見える懸命に鍬を振り下ろしている庶民を見ると、胸が締め付けられる思いになる。
そして、自分に課せられた使命にも、普段は考えないようにしている使命にも胸を締め付けられる。
「今は議会制民主主義。それでも民を率いて戦える人間は限られている。それは……、分かっているのですけれど。」
「その為には良きパートナーを探さないとね!」
アルケネ・ユグドラシルが、彼女にできる最大限の笑顔を作る。
そこには二つの意味があるのだが、一つはそのままで将来の夫を見つけること。
「お前の誕生は奇跡の世代を生んだと言われている。今までも何度かそういう世代はいたが、今度こそ本物だ。私の目に狂いはない筈——」
「皆がちゃんと夜に寝るようになったから。今までの慣習で夜中遊び惚けていたのが悪い、……ですよね、お父様?」
「オミニスちゃん、笑顔!笑顔!今日も本当に可愛いわね!そのドレスも凄く似合ってる‼」
少女が聖女にあるまじき形相で父親を睨みつけたので、母が慌てて娘を宥める。
そんな母にまで少女は半眼を向けて、プイと顔を横に振る。
法律により、貴族の社交場は日中行われることになった。
それにより、皆の生活が規則正しくなり、両親の目の届くところでしっかりと子供を寝かしつけるようになった。
彼女にはどうでも良い、奇跡の世代の誕生の理屈である。
オミニスは六歳の時点で両親を越える
勿論、それは両親が国随一の
そして九歳の時点で、彼女は両親それぞれの全盛期をも軽々と越えていった。
まさに希望の光である。そんな希望がつまらなそうな顔を窓に向けて、こう言った。
「本当に私の眼鏡に適う方がいるのかしらね……」
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