第11話 平等な睡眠時間、不平等な睡眠

 少年は彼が入っても良い中庭で冷たい水で水浴びをしている。


「わぁぁぁ、綺麗だなぁ」


 すると、少しずつ光り輝く石造りの建物。特にあちらの建物のステンドグラスがとても美しかった。


「そか。今日はお月様が明るいのか。」


 手の掛からない兄、というのはその言葉通り、彼には手を掛けていないからという意味である。

 彼の食事は用意されないし、服だってボロ布や使用人が捨てるようなものしか用意されない。

 そして、今日もボロ布の中から着れそうな服を探す。

 この敷地内の物は殆ど全てが清められているので、そこに汚泥がついていたりはしない。


「これが一番マシかな。うーん。ちょっと破れてるけど使えるな!」


 彼は一般的な教養を教会で教わっている。

 頭はあまり良い方ではないけれど、農奴や奴隷の仕事が務まるくらいには文字を覚えている。

 ただ、ここでいう文字は大賢者様が言っていた文字とは異なる。

 あれは月力ルナフィールが宿った体、宿った目でなければ見ることが出来ない。


 ——だから、兄と妹で見ている世界が違う。


 そして、このユグドラシル家にはルールがある。そのルールは国だって国民だって関与している。


 必ず日が落ちる前に兄妹を帰宅させること。

 同じ時間に寝て、同じ時間に起きること。


 それも二人が生まれてから、ずっと行われてきている法的なルール。


「そろそろいいかな。もう、布団に入ったらばったり眠れそう。今日は走りまわったからなぁ」


 ニュールは寝室へと向かった。

 寝室は普段使っている建物とは違う場所にある。

 月が一番照らす建物。左右対称に作られた建物。

 使用人が使うドアを除いて、ユグドラシル家の者のみが使えるドアが二つ正面に見える。

 片方は街中でも良く見える素朴なドア。

 もう一つは神木として名高いアケシアという樹木、数少ない交易先の一つであるドワーフとホビットの国『ストーラ』の名工が作った芸術品である扉。

 部屋の壁の材質なども中の壁も全く違う素材で作られているが、シルエットだけを見れば、月の進行方向、そして一番高い時に左右対称になるように作られている。


「聖女様は準備にお時間がかかるから、立ったまま寝ないように気を付けないと」


 うつらうつらと首が傾く。

 実は生まれた時からここで眠っていた。

 彼は左隅に作られた左側のドアから入って、彼女は右隅に作られた右側の豪奢な扉を通って。


 少年は貧民から探された母乳の出る乳母に添い寝してもらいながら。

 少女は光り輝く賢者であるアルケネ、時には父ネビラスも伴って一緒に眠った。


 今は流石にそこまではしていなくて、少年は一人でここまできて、一人で寝室に入って、一人で寝る。

 少女は寝室までアルケネ二人の従者が付き添いに来て、一人で入って一人で寝る。


「あ、来た。」


 少年は即座に跪く。彼女は高貴な方だから、顔を見てはいけない。

 昔はそこまでではなかったが、日を追うごとに新たなルールが出来ている。


 ただ、この所作の時に一つ改変されていないルールもある。

 それがニュールには楽しみでしかたない。

 そして、従者の一人が彼に言う。


「ニュール。面を挙げよ。」


 一日一度だけ許される兄妹の対面である。

 扉は北向きに設置されているので、月光は少女の顔を照らす。

 カラフルな髪色も束ね方によっては芸術的なリボンのようになる。

 その光輝く瞳も、月の光に負けずにとても美しい。

 十一歳の聖女様はまるで天使のような風貌であった。


 であれば、ニュールは逆光。

 彼はボロ布を纏って、肌つやも国の最底辺に相応しいもの。

 洗っているが髪の毛が痛み、元々灰色のせいで一見すると老人のように見える。

 月明かりのせいで、彼はまるで路地裏の物乞いの様であった。


「おやすみ、ニュール。」

「お休みなさいませ。オミニス


 ニュールは笑顔で、オミニスは冷たい眼差しで。

 そして、少年は自分が、少女は従者がそれぞれのドアを開けて、二人は寝室へと歩みを進める。


 ガチャ


 少年の背からだけ、鍵が掛かる音が聞こえて、毎日やっている就寝の慣習が終わりを告げる。

 少年はあちらがどのような部屋か、話程度には知っている。

 ただ、彼は気にせずに独房のような部屋の藁束の上に寝転がった。

 たった壁一枚を挟んだ先で少女は気品のあるベッドに寝転がっているだろう。


「おやすみ。オミニス。」


 重厚な壁でその声は届かないと彼は知っている。それでも言いたかった。

 そして彼は目を瞑った。



 少女の耳にも一つだけ掛かる鍵の音が聞こえる。自分の後ろからではないことも聞き分けられる。

 彼女は溜め息をしないように深呼吸でごまかし、ゆっくりと決められている方向でベッドに潜り込む。

 たった一枚の壁、彼女側には女神のレリーフが彫られている。

 そして、かなり重厚であると聞かされている。


 ただ、彼女は人間の世界で一番月力を持っている少女である。

 彼が聞こえないと思っている、その声さえ彼女の耳は拾ってしまう。

 

「おやすみ。お兄ちゃん……」


 笑顔になりそうになるのを両手で押さえ、彼女もまた目を瞑った。



 これが二人に与えられた平等な睡眠時間。

 勿論、その周辺は天と地の差ではあるのだけれど。

 勿論、これも決められたルール、儀式の一環なのだけれど。


 人間は夜にこそ成長する、それは身体的にも魔的にも。

 日中の行動はこの睡眠の為の準備とも言える。


 天から舞い降りる女神ルナシスの威光だ。

 ニュールとオミニス。二人は二卵性双生児として誕生した。

 いや、誕生する前から禁忌の呪式により、片方にのみ月力のみならず他の栄養が集められていた。


 ニュールは間違いなく神に愛されし人間である、アルケネとネビラスの子である。

 成長する過程でも、彼は神に愛されてしまうに違いない。

 そして、これも禁呪であるが、日ごろのニュールの扱いは生贄に近い。

 敢えて二人の境遇を光と闇にすることで、彼を闇に置くことで、対称的に光は輝きを増す。

 それがこの国の総意である。


 彼を別にやる、もしくは本当に闇に葬ることは出来ない。片方がいなくなれば、それは普通の英雄の子と変わらない。

 あくまで二人が双子であるという境遇が大事なのだ。

 そして、その極めつけの儀式が二人の睡眠中に行われる。


 二人は神に愛された双子である。

 だから、ここには間違いなく英雄が二人眠っている。

 オミニスが外から見ていたならば気付けるだろう、けれどニュールが外に出ても彼の目には見えない現象が起きている。


 月の女神ルネシスは間違いなく、英雄二人分の月力を彼らに送る。

 ただ、直前に片方の起動が変わる。

 近づけば近づくほど、片方は英雄の器には見えない。

 それくらい世俗的であり、あまりにも暗くて見えないのだ。


 だから、本来ニュールが授かるべき威光は全てオミニスへと注がれる。


「うーん。羊―まてー。おいー、犬まで俺を馬鹿にするなー。でもわんこかわいいー」


 彼もちゃんと聞かされている。

 今、女神の威光を受けて素晴らしき夢を見ている彼女も知っている。

 そして両親も承諾したからこそ行われている、禁忌の呪法である。

 国総出で行っている、非人道的な呪法である。


 普通に育てば、立派な英雄、立派な賢者になったに違いない二人。

 だが、そんな彼らは勝てないから、殆どの領地を失った。

 アルケネとネビラスは国随一の英傑である。

 彼女、彼を以てしても、土地が奪われていくのだ。


 ——それくらい、彼らは神に近い人間を渇望していた。

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