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 ◇


 ―三田邸―


「昂幸、秋山さんが退院されたそうだね。体に異常がないなんて、本当に彼は奇跡の人だ。今夜は秋山さん宅に泊まらなくてよかったのか? 夏休みだし、久しぶりに家族水入らずで過ごしてもよかったんだよ」


「いえ、私を育ててくれたのはお父様とお義母様です。私は父に育ててもらった記憶はほとんどありません。私は秋山ではなく、三田家の人間です。お父様、それは迷惑ですか?」


「迷惑なわけないだろう。昂幸は私の自慢の息子だ。三田ホールディングスの後継者は昂幸しかいない。美波もそう思うだろう」


「はい。昂幸さんは私の自慢の息子でもあります。私達に子供はいません。昂幸さんしかいないのです。もしかしたら、昂幸さんは秋山家に帰ったら二度と戻らないかもしれないと不安でしたが、よく三田家に戻って来てくれましたね。お父様も私もどれほど嬉しかったことか」


 美波は思わず目頭をハンカチで押さえたが、あくまでもこれは泣いている振りだ。


 美波は美梨と偶然カフェで逢った時、彼女がおかしなことを言っていたが、情緒不安定で錯乱していると思っていた。


 でも乙女ゲーム2の選択肢を変更したことで、本当に修が昏睡状態から目覚めたことで、こんなことが偶然起こるとは考えられなかった。


 (彼女の話は本当だったのだろうか……。それとも彼女の動向をずっと探偵に調べさせ、原作のネタにしていたことが彼女に知れ彼女が私を責めたかっただけで、修が目覚めたこととは無関係なのだろうか。)


 美波は心の中で、できることなら修をずっとゲームの世界に閉じ込めたいと思っていた。美梨と修が幸せになるなんて、許せなかったからだ。だから二人が離れ離れになるストーリーを書いた。それが現実になると誰が思うだろう。


「昂幸さん、日曜日に三田ホールディングスのパーティーがあります。政財界からもお客様を招待していますが、菊川ホールディングスのご令嬢、比沙乃ひさのさんもいらっしゃいます。その意味はお分かりですね」


「はい」


「いい機会です。昂幸さん、三田に戸籍を戻しませんか?」


「美波、それは性急過ぎるだろ。まだ昂幸は十六歳だ。大学を卒業してからでも構わない」


「正史さん、こういうことは早い方ががいいのです。間をとって高校を卒業してからでいいのでは? 成人年齢も十八歳になりましたし」


 美波は三田の話に聞き耳も持たず、どんどん話を進めていく。昂幸は美波に優しくされていたが、その強引さだけは好きになれなかった。


 ◇


 ―日曜日―


 都内高級ホテルの大広間。

 三田ホールディングスのメガバンクである三田銀行の取締役頭取就任をグループ企業の各代表取締役社長や政財界の重鎮にお披露目するためのパーティーが行われた。美波はこのパーティーで息子の昂幸を紹介するべきだと三田に提案し、三田は軽い気持ちで承諾した。


 パーティーで三田正史は壇上に立ち、三田銀行の取締役頭取就任の挨拶をした。壇上の下で美波と昂幸は拍手をおくる。招待客からも大きな拍手がおこり、次はグループ企業の各代表取締役社長の祝辞になると思われたが、その前に三田は昂幸に視線を向けた。


「昂幸こちらへ。皆様に挨拶をしなさい」


「えっ? 私がですか?」


 三田に呼ばれ、突然の事に昂幸は慌てた。

 何故なら、挨拶の原稿はなく何も考えていなかったからだ。


「立派に成長された姿を皆様にお見せするだけでいいのよ」


 美波は優しく昂幸の背中を押した。


「三田ホールディングスの後継者、三田昂幸さんです」


 司会者の言葉に、昂幸は違和感を抱いた。

 ゆっくりと壇上に上がり、マイクの前に立ち会場を見渡した。会場にいる招待客が一斉に自分に向けられ思わず怖じ気づいたが、三田の父と三田ホールディングス会長の祖父、祖母に見守られ、平常心を取り戻した。


「皆様、ただいま紹介にあずかりました秋山昂幸です」


 『三田』ではなく『秋山』という名字に会場がザワザワとざわついた。


「私は嘘をつくのは嫌なので正直に申し上げます。三田ホールディングスのメガバンク三田銀行の取締役頭取と私の実母は離婚し、私は実母に引き取られ今は三田家に戻っていますが、戸籍上はまだ秋山昂幸です。将来、戸籍を三田に戻すかどうか、それはまだわかりません。でも将来、三田銀行の取締役頭取と一緒に仕事がしたいと思っています。三田の父も祖父母も尊敬しています。ですが……」


 昂幸は再び三田に視線を移す。

 三田は笑みを浮かべて、優しく頷いた。


「ですが私は三田ホールディングスの後継者としてではなく、将来は三田銀行の一行員として、父と一緒に仕事がしたいと思っています」


 それ以上の言葉が思い浮かばなかった昂幸は、深々と一礼した。顔を上げると、三田正史が昂幸を見て笑っていた。


 そして昂幸の隣に立ち、再び挨拶を始めた。


「皆様、私の息子は立派に成長致しました。大勢の人の前で嘘をつかず、はっきりと自分の意思が言える。しかもまだ十六歳の高校生です。我が息子ながら実に頼もしい。名字がどうであれ、昂幸は三田ホールディングスのいずれはトップに立つ人間です。今後とも、昂幸を宜しくお願い申し上げます」


 三田の挨拶に、会場から盛大な拍手が起こった。

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