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 壇上を降りた昂幸は美波とともに菊川ホールディングスの会長の孫娘で、菊川銀行取締役頭取の令嬢菊川比沙乃のテーブルに向かい挨拶をした。


「菊川ホールディングス会長様、ご無沙汰しております。これは比沙乃お嬢様、よくお越し下さいました。三田正史の長男昂幸です」


「先ほどの挨拶には驚きましたが、なかなか誠実な息子さんですね。将来が楽しみです」


 菊川ホールディングスの会長に褒められ、昂幸はとても複雑な心境だった。なぜなら菊川ホールディングスの会長は将来孫の比沙乃と昂幸が結婚すると思っているからだ。困惑していると、比沙乃が口を開いた。


「美波おば様、本日はおめでとうございます。お招きありがとうございます。お祖父様、若い者は若い者同士、昂幸さんと二人でお話してもいいですか?」


「これは参りましたね。女性からそのような申し出をするとは。昂幸さん、我が儘な孫娘ですがお時間宜しいですか?」


「はい」


 昂幸は比沙乃と交際するつもりも、婚約するつもりもないことをハッキリ伝えるつもりだった。何故なら昂幸には恋をしている女子がいたからだ。以前三田家で働いていた使用人の娘、滝川亜子たきがわあこだった。


 比沙乃はバルコニーに昂幸を連れだす。


「昂幸さん、あなたはお母様の再婚相手の戸籍に入り、まだ秋山昂幸なのね。三田昂幸に戻るつもりはまだないのでしょう」


「どうしてそれを……」


「あなたのスピーチを聞いてハッキリわかったのよ。私、三田ホールディングスの後継者しか興味はないの。将来、三田銀行の一行員から始めるなんて、理解できなくてよ」


「そうだよね。君は菊川ホールディングスの令嬢だ。そう言うと思ったよ」


「まだ三田ホールディングスの後継者になるかどうかわからないあなたと交際しても、私には何のメリットもないわ。三田ホールディングスと菊川ホールディングスが合併したら、日本一の大企業になれたのに。婚約のお話は私から白紙にさせていただきます」


「そうだよね。君には私なんかよりセレブな御曹司が似合ってるよ」


「……つまんない。少しは狼狽えて引き止めなさいよ。言っときますが、私からお断りしたのですからね。お祖父様にも三田のおじ様にもそう申します。では、失礼」


「ありがとう。感謝するよ」


 比沙乃は歩みを進め立ち止まり、振り返る。


「『ありがとう』ですって? 私をバカにしてるの? まあいいわ。きっと後悔するわよ」


 比沙乃は余裕の笑みを浮かべ、会場内に戻った。


 昂幸はバルコニーから夜景を見つめながら、亜子のことを考えていた。


 (亜子……。

 亜子に今すぐ会いたい……。

 俺の気持ちを伝えたい……。)


 三田ホールディングス主催のパーティーは終わり、昂幸は両親と共に三田邸に戻る。美波は菊川比沙乃から婚約する意思はないとハッキリと断られ、かなり不機嫌だった。


「お父様、明日、秋山の家に戻ってもいいですか?」


「昂幸、お母様のところへ帰るのか。それは残念だな」


「お父様、さっき壇上で話した事は本心です。三田ホールディングスの後継者にならなくてもいい。将来、お父様と一緒に仕事がしたい。お父様の力になりたいんです」


「そうか。昂幸、楽しみにしてるぞ。荷物はこちらから送る。休日には必ず顔を見せて欲しい」


「はい」


 昂幸と三田の関係は、例え名字が違っていても、血の繋がりがなくても今までと何ひとつ変わらない。


 (明日、俺は秋山の家に戻る。

 家に戻る前に亜子にもう一度逢いたい。)


 昂幸は、はやる気持ちを押さえながら、同じ敷地内にある使用人の社宅に向かう。亜子の部屋のチャイムを鳴らしたけど誰も出てこない。


 (どうしたんだろう……。留守なのかな?)


 社宅のドアノブにゆっくりと手を掛けた。ドアはあっさり開いたが、室内は真っ暗で、荷物は何もなかった。


 (どうして……!?

 亜子……何処に行ったんだよ……。)


 その時、隣室のドアが開き他の使用人が教えてくれた。入院中だった母親の再婚相手が昏睡状態から目覚めたため、荷物を纏めて出て行ったことを。亜子の引っ越し先は執事の白石も『不明である』としか教えてはくれなかった。


 ◇


 翌日、昂幸は白石の運転する車で秋山の家に戻った。義父だと思っていた秋山修が実父だったと知り、昏睡状態から目覚めたばかりの父に酷い態度をとったことを後悔していたからだ。

 

「昂幸様、玄関までお伴致しましょうか」


「白石、大丈夫だよ。いや、白石さん。今まで偉そうに呼び捨てにしてすみませんでした。七年間、あなたがいてくれたから私は寂しくなかった。色々ありがとうございました」


「今生の別れみたいに言わないで下さい。休日にはお迎えに上がります」


「そうだね。お父様と約束したし、宜しくお願いします」


「はい。それでは行ってらっしゃいませ」


「行ってきます」


 昂幸は車から降り、タワーマンションを見上げた。


 (両親は果たして自分を受け入れてくれるのだろうか……。許してくれないかもしれないな。)


 エントランスに入り、美梨から渡されていたキーでオートロックを開錠し中に入る。エレベーターに乗り込み、最上階へと上がった。

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