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 ◇


 ―ブラックオパール邸―


「ただいま戻りました。エルザ、私の知人を連れてきたので御茶の用意をして下さいな。エルザ、いないの? エルザ?」


 ローザは静まり帰った邸宅で、わざと大きな声を出した。数十秒後、応接室のドアが開いた。顔面蒼白になったエルザがローザに近付いた。手首にはロープで縛られていた痕が生々しく残っていた。


 ローザは応接室のドアが閉まっていて、監視の目がないことを確認する。


「お帰りなさいませ。ローザさん、こんな時間にご帰宅とは驚きました。ローザさんのお客様ですか。先ほどは新人のメイドが失礼致しました。応接室にご案内します」


 当屋敷に新人のメイドなどいない。

 エルザは然り気無く、侵入者の存在をローザに伝えた。


 ローザは掌に隠していたメモをエルザに見せた。そこには【侵入者がいるならば『はい』で答えなさい。】と書かれていた。 


「こんなに遅く知人を連れて帰ってごめんなさいね。子供達は二人とも起きてるの?」


「はい」


「メイサ妃やご主人様はもうお部屋ですか? それともいつものように応接室でコーディとお酒でも召し上がられているのですか?」


「はい」


 ローザはエルザの言葉に侵入者は二人しかいないと解釈した。一人は首謀者であるポール・キャンデラ、一人は無理矢理連れ去られたルリアン・トルマリン。エルザの手首を見てメイサ妃やご主人様も応接室で縛られ監禁されていると即座に判断した。


 犯人はローザと知人男性も応接室に招き入れ拘束するつもりだろう。ナイフではなく拳銃を手に入れ所持している可能性もある。


 エルザは子供や夫の命を人質に捕られ、命令に背けば『殺す』と脅されているかもしれない。ここはポールを刺激せず、何も知らぬ振りをして応接室に入り、隙を見て説得するしかない。


 未成年のポールを犯罪者にはしたくない。

 歪められた真実を正さなければならない。


 ローザはエルザの背中を『安心しなさい』と、言わんばかりに優しく擦った。


 エルザが応接室のドアを開けると、応接室のソファーには誰もいなかった。ドアの裏側に隠れていたポールが、知人役の私服警官の後頭部を一打し、拳銃を突きつけた。


 ローザはわざと悲鳴をあげ、怯えてみせる。


「エルザ、侍女を後ろ手に縛れ」


 エルザが躊躇していると、ポールは気が立ったように怒鳴った。


「早くしないか! 子供を殺されたいのか!


「……は、はい。すぐに」


「それがすんだら、この男も同様に縛るんだ」


「はい」


 エルザの手も声も震えていた。ローザは子供達の安全を守るために素直に両手を後ろに回した。エルザはロープでローザの手首を縛ったが、ポールにはわからないように緩めに縛り、直ぐさまポールが銃口を向けている男性の手首も縛った。ポールが見ていたため、男性の手首はきつめに縛ることになった。


 ローザが視線を向けたら、キッチンの後ろに人影が見えた。みんなはそこで監禁されているとすぐに察した。子供はこの部屋にはいない。泣かれたら困るからだ。ユートピアとコーネリアはきっとルリアンが他の部屋で子守りしているに違いない。ルリアンなら子供に危害は加えない。何故なら共犯者ではなく被害者なのだから。


「男の足も縛れ」


 ポールはエルザにそう命令した。よく見ると拳銃の引き金に手を掛けてはいるが、小刻みに震えている。


 (この少年は根っからの悪人ではない。きっと拳銃を打ったことなどないに違いない。)


 ローザはキッチンの後ろに監禁されているメイサ妃やレイモンドに聞こえるようにゆっくりと話しかけた。


「あなたの名前はポール・キャンデラですね。母親はサファイア公爵家の元シェフ、モーリス・キャンデラ。モーリスはとても優秀で仕事熱心なシェフでした。モーリスはシェフ専用宿舎に住み込みで働いていました。妊娠して退職しましたが、父親の名前は明かしませんでした」


「それがどうした。私のことをこそこそ調べたのか!」


「私はサファイア公爵家の時からメイサ妃に仕えていた侍女でございます。あなたはパープルワンハイスクールで成績優秀な生徒会長、王室研究部の部長もやっていて王室のことは私よりも詳しいのではないですか? 私の名前もきっとご存知でしょう。私はローザ・キャッツアイ、トーマス王子誘拐事件、メイサ妃誘拐事件にも居合わせた者です」


 ローザは話を長引かせ、後ろ手に縛られた手首のロープを解いていた。

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