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「私は本日付でトーマス王太子殿下の侍女になりました。ただし鶏を殺害した犯人が捕まるまでの間ですが」


「そうですか。その件は大変申し訳ありませんでした。私も娘も責任を感じております。ところでトーマス王太子殿下、こんな時間に家に何か急用でも?」


「ルリアンさんはいますか?」


「それがですね……。あの鶏が殺害された日より気持ちが沈んでいまして。先ほどもフラリと外出してしまいました。ルリアンの責任ではないのに、よほどショックだったようです。多分、王宮の近くにある公園ではないでしょうか」


「そうですか。失礼します」


 トーマス王太子殿下はトルマリン家をあとにし、スタスタと使用人宿舎の裏門に向かう。


「トーマス王太子殿下、まさか公園へ? 護衛もつけず?」


「ローザ、止めてもムダだよ。私は今ルリアンに逢わなければきっと後悔する」


 誰一人護衛はいないが、ローザは余裕の笑みを浮かべた。


「止めは致しませんが、スポロンも護衛もおりませんので、私が金魚の糞のようについて行きますが、それでも宜しいのですか? 傍にいて盗み聞きものぞき見も致しますけど」


「いちいち煩いぞ。勝手にしろ」


 トーマス王太子殿下はそのまま裏門から出て行く。ローザはその数歩あとをピッタリとついて歩いた。


 王宮から徒歩五分の距離に幼児向けの公園があった。公園にはブランコや滑り台もある。ふと視線を向けるとブランコに女性が座っていた。トルマリンの娘であることは、ローザにも一目でわかった。


 トーマス王太子殿下にピッタリついて歩いていたローザが足を止めて周囲を見渡す。周囲には人の気配はないが、全神経を尖らせ鋭い眼光を暗闇に向けた。


 トーマス王太子殿下はブランコに歩みより、背後から声を掛けた。


「何やってるんだ。こんな時間に若い女性が一人でいるのは危ないだろう」


「……えっ? トーマス王太子殿下こそどうしてここに?」


 ルリアンが慌てて目頭を拭った。


 (まさか……泣いているのか?)


「……ルリアン」


「何かご用ですか? トーマス王太子殿下。このような場所にお一人で来られるのは危険でございます。王宮にお戻り下さい」


「どうしてそんなによそよそしいのだ」


「マリリン王妃の侍女トリビアさんから聞きました。あの鶏が殺害されたのに、ピンクダイヤモンド公爵令嬢と仲良く会食をされていたそうですね。よく食事が喉を通りますね」


「それは知らなかったからだ」


「どちらにしろ、ピンクダイヤモンド公爵令嬢との婚約は解消などされてはいない。私に国王陛下の前で恋人の振りまでさせたのは、やはりからかっただけなのですね。使用人の娘がアタフタしている姿は楽しかったですか?」


 ルリアンがトーマス王太子殿下をキッと睨んだ。


「何をバカな。私を振ったのはルリアンだ。ポール・キャンデラとイチャイチャしていたではないか。それなのに私がピンクダイヤモンド公爵令嬢と会食したことをそんなに責めるのか。私は知らなかったんだ。ダリアさんが同席していたなんて」


「ダリアさん……。いえ、自分とトーマス王太子殿下の身分の違いをまざまざと突きつけられた気がしただけです。私はあの鶏が可哀想でなりません。何故、殺されなければならなかったのか。メイサ妃のもとで今も飼われていたなら、今でも卵を産んでいただろうに。誰があのような仕打ちを……。あの鶏は私だわ。弱いものは抹殺される。強いものは弱きものが殺されても笑いながら食事ができるのです」


 トーマス王太子殿下は怒りをぶつけるルリアンに反論するどころか、ブランコに座っていたルリアンを背後から抱きしめた。


「……やめて下さい」


「私だって傷付いている。あの鶏は私の代わりに殺されたのだ。犯人は私を狙っているのだから……」


「トーマス王太子殿下を? まさか……」


 ルリアンの頬に涙が零れ落ちた。

 ルリアンは泣きながら左右に首を振った。


 ルリアンを抱きしめていた腕に力が入る。


「ルリアン、一人で行動しないでくれ。ルリアンを危険な目に遭わせたくはないんだ。ルリアンを事件に巻き込みたくないんだ」


「もうほっといて下さい。私なんかどうなっても構わないわ」


「私はルリアンが好きだよ。でも待って欲しい。国王陛下やマリリン王妃を納得させるには時間が必要なんだ。私はこうしてルリアンと一緒にいたい……」


 抱きしめている腕にルリアンが手を添えた。


「無理です。トーマス王太子殿下は王位継承者なのですから」


「私が王位継承者でなければいいのか?」


「……えっ?」


「私にも事情はあるんだ。でもそれを簡単に乗り越えることなどできない。私に時間をくれないか」


「トーマス王太子殿下……」

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