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◇
―翌日、月曜日―
三羽の鶏はそれぞれが卵を産み、早朝から『コケコッコー』と鳴き、宿舎の住人から苦情の嵐だったが、ルリアンは産みたての三個の卵をナターリアに差し出し嬉しそうに笑った。
「母さん、新鮮な卵だよ」
「神の恵みね。目玉焼きにしましょう。あの鶏、ずっと飼っておくことはできないのかしらね? 食費が助かるのに」
「それはダメよ。昨日ローザさんにトーマス王太子殿下に渡す約束をしたから。それに早朝から鳴き声が凄くて宿舎の住人に怒鳴られたから無理」
「そうよね。残念ね」
ナターリアはフライパンで産みたての三個の卵を割り目玉焼きを作る。タルマンは運転手の制服に着替えているが浮かない顔だ。
「義父さん、しっかりしてよ。今日はマリリン王妃の公務の送迎なんでしょう。ボーッとして事故しないでよ。昨日から心ここにあらずなんだから」
「わかってるよ。運転には自信があるから事故なんてしないよ。……まてよ、事故?」
タルマンはいつものように頭をガンガンと叩く。
「やだ、事故がどうかしたの? ローザさんの話を思い出したの?」
「いや、何でもないさ。さあ、母さんの美味しい朝ご飯を食べよう。いただきます。それでルリアンは今日はどうするんだ?」
「今日はベランダの鶏をスポロンさんに渡したら、王立図書館に行くつもり。もうすぐ新学期だから、予習しないとね」
「ルリアンは勉強家だな。誰に似たのかな。きっと母さんだな。鶏の籠は重いから、私も手伝うよ」
「いいの? 義父さん、無理しなくてもいいよ」
「大丈夫だよ。マリリン王妃の公務の送迎に間に合うように早めに出よう」
「わかった。母さん、いただきます」
いつもと同じ朝食。パンと牛乳とベーコンと目玉焼き。いつもと違うのは、この目玉焼きはベランダの鶏が産んだ新鮮な卵だ。
朝食のあと、タルマンはベランダから鶏の入っている籠を両手で持ち上げた。ルリアンは昨日スポロンさんから渡された電話番号に電話をかけ、昨日の経緯を説明して王宮の使用人専用の裏門までタルマンと一緒に鶏を持って行った。
そこにスポロンがいると思っていたのに、そこにいたのはスーツ姿のトーマス王太子殿下だった。
「ど、どうして、トーマス王太子殿下が?」
「ルリアン、先ずは『おはよう』だろう」
トーマス王太子殿下はタルマンの顔をマジマジと見つめ、両手で抱えている鶏の籠に視線を落とし、ハッと息をのんだ。
そしてタルマンに向かってこう語りかけた。
「おじちゃん、鶏ありがとう」
「……おじちゃん!?」
警備員が眉を潜めタルマンから鶏を受け取る。
「おじちゃん、ちゃんと約束を守ってくれたんだね。待ち詫びたよ」
「トーマス王太子殿下、わ、わ、私はおじちゃんではありません」
「九歳の記憶って朧気だけど、意外と残ってるんだね。昨日ハッキリと思い出したんだ。私と同じ黒髪、そのゲジゲジ眉毛、優しい笑顔。トルマリンさんはあの時のおじちゃんなんだろう? まさかあのおじちゃんがルリアンさんのお義父さんとは驚いたよ」
「ち、違います。それは完全な誤解です」
「違うのですか? トルマリンさんがあの時のおじちゃんだから、ローザがわざわざ鶏を宿舎まで届けに来たのでは?」
「ち、違います。私はタルマン・トルマリンです。トーマス王太子殿下からおじちゃんと呼ばれるような、立派な男ではありません」
「そうですか……。それは残念だな。トルマリンさんに報告があります。私は娘さんのルリアンさんと真剣交際をすることにしました。国王陛下もマリリン王妃も承知しています。報告が遅くなり申し訳ありませんでした。今日はマリリン王妃の公務の送迎なんですよね? ルリアンさんの予定は?」
「娘と真剣交際!? トーマス王太子殿下、冗談にもほどがあります。使用人の娘との交際を国王陛下がお許しになるはずはありません」
「シーッ、声が大きい。これは非公表です。ルリアンさんの身を守るためです。本日はルリアンさんをお借りします。お忍びでこっそりデートしても宜しいですか?」
「お忍びでデート!? まさか、ルリアンとそんな仲に!?」
ルリアンはトーマス王太子殿下の爆弾発言に驚いている。
「トーマス王太子殿下、あれは……」
「ルリアン、私達は真剣交際なんだ。今日は何処に行くの? お忍びだ。私も自由に街を歩きたい」
「今日は王立図書館に。でも危険過ぎます。やめて下さい」
「大丈夫、スポロンがこっそり護衛してくれるから」
「それって全然お忍びじゃないでしょう。執事公認ではありませんか。私は一人で行きたいの。勉強するんだから」
「では私も勉強しよう。九月から新学期だしね」
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