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 ◇


 ―王宮・玄関前―


 タルマンは予定の時刻ピッタリに玄関前に車を停め、マリリン王妃のお出ましを待った。後続には護衛車が数台待機している。


 五分後、マリリン王妃はメイドを数名引き連れ玄関前に現れた。だが、タルマンの車に乗り込んだのはマリリン王妃お一人だった。


「おはようございます。マリリン王妃」


「おはようトルマリンさん。昨日はお疲れ様でしたね」


「えっ? 昨日ですか? 私は昨日はお休みを頂いていたので一日中宿舎で休んでおりました」


「そうですか。奥さんが昨日仕事を終えて帰宅するとトルマリンさんが不在だったと言われたので、てっきり娘さんと外出されたのかと思いましたわ」


「牛乳をきらしていたのでちょっと買い物に行ってました。それに娘は日曜日だけトーマス王太子殿下のメイドを勤めさせていただいてますから」


 タルマンは昨日四人で外出したことを必死で誤魔化す。たとえマリリン王妃とはいえ、ナターリアやルリアンの身の安全を考えたら、スポロンとの約束を破ることはできないからだ。


「そうですか。トルマリンさんは口がお堅いようですね。それならば私との話もきっと誰にも口外されないでしょう。私はご存知の通り元お妃のお付きのメイドでした。レッドローズ王国のサファイア公爵家でずっとメイドとして働いていました。トルマリンさんの運転されるタクシーに乗せていただいたことがあるのです。覚えてらっしゃいませんか?」


「それは本当ですか? 大変申し辛いのですが私は記憶喪失でして、過去のことはさっぱり思い出せません」


「あなたの顔は忘れたことはありません。あなたはタルマン・トルマリンと名乗っていますが、本当の名前はタダシ・キダニではありませんか? ドリームタクシーにタダシ・キダニと言う名前の移民が運転手として登録されていたこともわかっています。トーマス王子の誘拐事件の解決に協力し、メイサ妃を元マフィアから救い出したのもタダシ・キダニとサファイア公爵家の元執事レイモンド・ブラックオパールでした。二人はメイサ妃を救出したあと交通事故を起こし、一時は死亡されたと報道されました」


「マリリン王妃がメイドをされていた時にこの私がタクシーに乗せたと? 私の名前はキダニではなくタルマン・トルマリンです。妻も子もある冴えない男です。メイサ妃を救出するなんて、そんな勇敢な男ではありません。世の中には似た顔の人間は複数いると言われています。きっとマリリン王妃は誤解されているのです。ホワイト王国の農民を王宮の専属運転手にして下さったのは、私がタダシ・キダニだと思われたからですか? だとしたら人違いです。本当に申し訳ないです」


 タルマンはルームミラーで、納得がいかない顔をしているマリリン王妃を見つめる。マリリン王妃の気高く美しい顔。


 (でも……そう言われると、マリリン王妃に似た純朴な顔立ちの女性をどこかで見かけた気もする。初々しい女性がイケメンの男性と……。)


 トーマス王太子殿下の御生母様を元マフィアから救い出したのなら、タダシ・キダニもレイモンド・ブラックオパールもこの国の英雄だ。


 (でもこんな冴えない私が英雄のはずはない。大体レイモンド・ブラックオパールなんて逢ったこともないのだから。)


「三十点」


 突然マリリン王妃がそう言い放ち、タルマンは何故かドキッとした。


「三十点? 運転手として三十点ですか? すみません。無事故無違反となるよう努力します」


「そうではありません。キダニが私にそう話したのです。キダニは私にこう言いました。『ここが天国なのかはたまた地獄なのか。日本ではないことはわかっていますが、現実なのか夢なのかすらわからない』と」


「私が……そんなことを? まるで異星人ですね。異星人……? 異世界……? 三十点……三十点……」


 タルマンはハンドルを握り運転しながら、そう呟いた。頭の中に霧がかかったように霞んだ。その時だった。深い霧の中で可愛い男の子の声が蘇る。

 

 ――『おじちゃんと一緒に行きたいけど、パパがそう言うなら我慢します。卵をいっぱい産みそうな鶏にしてね。ちゃんとお世話をするから鶏は食べないでくれますか?』


 タルマンは頭がズキズキと痛んだが、その声が誰の声なのかわからないまま、頭痛を我慢して訪問先のピンクダイヤモンド公爵家までマリリン王妃を送り届けた。


「四時間後にお迎えに来て下さい。一旦王宮に戻ってよろしくてよ」


「マリリン王妃、畏まりました」


「ただし先ほどの話は他言してはなりません」


「……はい」


 ――『鶏……。頼んだんだ。スポロンが迎えにくる前に、おじちゃんにお土産に鶏を買ってきて欲しいと。自分で飼いたいからと』


 (そう言えば、昨日トーマス王太子殿下も『おじちゃん』と言っていた。メイサ妃の侍女ローザさんは私を見て、何故か驚いていた。何度も私の名前を確認し、私の経歴も聞いていた。何故か鶏の話やトーマス王太子殿下がご幼少の頃の話もしていた。さっきのマリリン王妃のように……。)


 トルマリンは右手でガンガンと頭を叩く。


 (いかん、いかん。私の名前はタルマン・トルマリン、妻はナターリアで娘はルリアン。タダシ・キダニのはずはないし、レイモンド・ブラックオパールなんて知らない。)

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