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「トーマス王太子殿下、スポロンさんを信じてあげて。掃除用の汚いバケツまで被ってくれたのよ。王室の執事なのに、こんなバカな真似は義父さんくらいしかできないわ」
「ルリアン……。臭い雑巾はもう取ってもいいのか?」
「やだ、いつまで被ってるのよ。そこの水道で頭と顔洗って。臭くてたまらない」
「ルリアンが被せたんだろう」
タルマンはぶつくさ言いながら、頭から水を被った。その隣でスポロンも頭から水を被った。
どうやら、スポロンの忠誠心は本物のようだ。
「わかったよ。トルマリンさん運転をお願いします。スポロンが助手席に乗ると目立つから、ルリアンが助手席に座って。この地下駐車場には王宮の通用口以外の出口があるんだろう。逃走用なんだから」
「はい。公道への出入口があります。トルマリンさん、先ずはレッドローズ王国に向かって下さい。国境警備兵には観光旅行だと。これは偽の身分証明書です」
「さすが優秀な執事ですね。偽の身分証明書とは。では後部座席より私にご指示下さい。道案内して下さると助かります」
「わかりました。メイサ妃はレッドローズ王国の王都にある御邸宅に夫となられたブラックオパール氏と息子のユートピアさんと御一緒に暮らされています。御邸宅には私とトーマス王太子殿下だけで伺います。トルマリンさん達は車中にてお待ち下さい」
「わかりました。トーマス王太子殿下の御内情は使用人が聞くわけにはいかないですからね。では出発しますよ。シートベルトをして下さい」
トーマス王太子殿下は若干緊張していた。マリリン王妃の話したことが全て真実なら、もう自分の帰る場所は王宮しかないと思っていたからだ。
◇
―レッドローズ王国―
メイサ妃の邸宅は王都の中心地にある高級住宅街の一戸建てだった。トーマスがレイモンドと暮らしていた民家や、ストーンに騙されて過ごした農村の古民家とは比較にならないほど立派な屋敷だった。
広い敷地に美しい園庭、そこに建つ白亜の豪邸はトーマス王太子殿下の御生母様が暮らすには相応しい邸宅だった。
「ではトーマス王太子殿下参りましょう。メイサ妃にもお知らせはしておりません。さぞ喜ばれることでしょう。トルマリンさん達は申し訳ございませんが車中にてお待ち下さい。あとでメイドに何か持ってこさせます」
「ありがとうございます。無事に到着してよかったです。私もレッドローズ王国の王都の道は何故かよく知っていて、どこか懐かしい気もします。記憶喪失になる前はこの王都で出稼ぎをしていたようですから」
「そうでしたか。安全運転に感謝致します。しばし休憩を。帰りも宜しくお願いしますね」
「せっかく御生母様と再会できるのに、日帰りですか?」
「国王陛下に内密でトーマス王太子殿下を連れだしたのです。本日中に王宮に戻らねばなりません。トーマス王太子殿下も宜しいですね」
「わかってるよ。スポロンやトルマリンに責任は課さない。スポロン、時間がない。行こう」
「畏まりました」
トーマス王太子殿下とスポロンはタルマンとルリアンを車中に残し、邸宅の門のチャイムを鳴らした。
邸宅のドアが開き、メイサ妃の執事コーディが出てきた。コーディはスポロンを見ると目を見開いた。そしてその隣に立っていたトーマス王太子殿下を見て、室内に向かって大声で叫んだ。
「メイサ妃、トーマス王太子殿下です。間違いありません。トーマス王太子殿下とスポロンさんがいらっしゃいました!」
直ぐさま邸宅にいた使用人ローザとエルザが玄関に現れた。コーディは門に走り寄ると正門を開けて深々とお辞儀をした。
「トーマス王太子殿下、首を長くしてお待ちしておりました。メイサ妃とお義父様が応接室でお待ちです」
トーマス王太子殿下は無言で玄関を見つめた。
(邸宅の中に母と義父がいる。話を切り出すのには勇気がいる。)
――その時だった。
邸宅から飛び出してきた少年がいた。トーマス王太子殿下と同じ黒髪で黒い瞳をした少年は、全速力でトーマス王太子殿下を目がけて駆け寄り思いきりジャンプして抱き着いた。
「お兄様、お帰りなさい!」
「お兄様? まさか、赤ちゃんだったあのユートピア?」
「はい。ユートピアです。お兄様はこんなに身長も伸びてお父様と同じくらいですね。でも私には直ぐにお兄様だとわかりました。私も七歳になりました。お兄様に逢いたかったです」
「……ユートピア」
ユートピアの無邪気な振る舞いに、トーマス王太子殿下は複雑な思いだった。
(あの赤ちゃんだったユートピアがもう七歳なんだ。自分はもう十六歳。母や義父は自分を見て何と思うのだろう。人懐こくて可愛い異父弟だと思っていたユートピアが、自分の実弟だったとは……。)
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